「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2015.5料理僧

2015-05-31 07:58:37 | 仏教
食べるからつながるご縁
~料理僧の現場から

真宗の僧侶にしては珍しく、
坊主頭、そしてあごひげ。
30代ほど。

Nhkのeテレで番組出演。
その3人のスライドが出ていた。
料理僧といわれている3人。
天台宗、曹洞宗、浄土真宗の僧侶。
その中の一人が今回の講師の
青江氏。

料理僧と言われるようになった
きっかけ。
僧侶の友人つながりで
知り合った愛媛今治の離島おうえじま
の僧侶、加藤円正氏。
この方は絵がうまくて、自分の料理
している様をイラストにした。
イラストに最後に一筆、料理僧と
書いた。
これが料理僧と言われるようになった
出来事。

私的なことについて。
浅草のお寺の息子。小学生の途中までは
将来の夢はコックさん。でも卒業の
時には、お坊さん。そういう雰囲気に
なって仕方なく。でも人が敷いたレールの
上を歩いて行くのはいや。
その後、お坊さんになるのが嫌で、
アメリカに逃げた。経営学を学び、
卒業後、アメリカで会社の経営に。2000年頃。
その後、2001年の夏をすぎたころ
親から珍しく電話、おまえ大丈夫か?
寝ていて、寝ぼけていた。9.11が起きていた。
事件現場近くに知人が2人ほどいた。1人とは
連絡が取れなくなった。

そういうこともあり、
アメリカで生きにくくなっていた。
英語も捨てた。経営学も捨てた。
会社も譲った。
いろんなものを捨てたが、捨てられないものがある。
それは日本人であること。
2002年、日本に帰国した。
仏教の勉強をはじめた。
そして僧侶に。

現在、料理をして食事会のようなこともしている。
暗闇ごはんという食事会。
目隠しをして、食事してもらうというもの。
食事というものは、
なんとなあく食べるということが
当たり前だが、目隠しをすると、
いっしょうけんめい食べる
ということになる。

普段の生活、仏教でも信じるということが大切。
法然上人のことを信じて、親鸞上人も念仏。

料理の師匠がいて、その師匠が一番いいと
考えている調理法を引き継いでいる。

みなさんには、できることがある。
そして、担当した役割を他の人に
バトンを渡して引き継いでいってほしい。

最期の質疑応答の中で、
仏教は一日二食。
どうしてもお腹がすくので、
暖めた石をお腹にあてていた。
お腹がいっぱいになるような感覚を
得るため。

懐石料理というものがある。
石を懐かしむと書くが、
暖めた石をお腹にあてていたというところから
でてきた言葉らしい。

料理家でもある今回の僧侶から
素材を生かすためのベストな調理法なども
少し述べられていたが、
自分は料理にはあまり感心がないので
その辺の話は聞き流した。

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ブータン幸福度、テレビより

2015-05-26 22:36:41 | 仏教
国民一人当たりのGDP、平均寿命などを基準に、
欧米が決めた2015幸福度では、
1位がスイス、日本が46位、ブータンは50位くらいにも
入っていない。

しかし、ブータンは国民の幸福度は高いと言われる。

ブータンでのインタビューが興味深かった。
火事で家をなくし、財産もなくしたある55歳くらいの
女性に対して、幸福度を聞いたところ、
幸福度10という答えが返ってきた。
ひっくりかえる答え。
今は、アパート住まいでニートの30歳の息子らと
生活している。このニートの息子について、
これから仕事につけますかねと、
質問したら、このままじゃないですかという答え。

また農村に住んでいる40歳に近い女性が、
幸福度は5。では、自分が考える最大の幸福度は?これも5。
これまた、ひっくりかえるような答え。
人生なんてうまくいかないのが当たり前
という言い分のようだ。

ブータンの僧侶は、言っていた。
幸福は、経済生活だけではない。
幸福になるためには、いかに心を豊かにするかだ。

ある若い女性、3年前には風呂も無い古屋に住んでいたが、
仕事が順調で、今はマンション住まい。
でも休みの日の公共の場での自主的な清掃作業を
している。徳を積むという考え。
表面的な損得だけではない。
また、仏画を前にお祈りも欠かさない。

結局、何を幸せとするかが問題。
ブータンの人たちは、仏教の思想を色濃く持ち、
足ることを知っている国民だ。
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築地本願寺、法話2015.5.22

2015-05-22 23:27:53 | 仏教
鹿児島・奄美大島のお寺の僧侶。
女性の布教師さん。
見た目年齢不詳。40代か50代か。

1500年ころ、鹿児島に浄土真宗が広まったが、
その後、300年間、浄土真宗が禁止された。
弾圧があった。
それでも、かくれ念仏と言われるように、
影では、浄土真宗が信仰されていた。

薩摩の支配下にあった沖縄も同様、
浄土真宗が禁止されていた。

時は経ち明治11年、奄美に浄土真宗が
信仰されてきた。

沖縄は自然崇拝、シャーマニズムもあったが、
奄美は、ほんとうに宗教らしい宗教がなかった。


話は、世界布教について。
移民ブームで、北米、南米、ハワイに
日本人が移住。浄土真宗の門徒も多かった。

移民先で、ブッディストチャーチと呼ばれるものも
あった。移住したばかりで、日本語しかわからず
日本人は苦労。その中で、お寺という存在は
日本人にとってコミュニティとなっていた。

実は、そうそふ【曽祖父】が、アメリカに移住し
、そして布教師をしていた。

そうこうしているうち、大戦が始まり、
日本人は、アメリカの地で迫害を受け始めるように
なった。そんな中、曽祖父は、幼い娘を連れて
日本・熊本にもどった。

曽祖父は、当初ブラジルのほうに行く予定もあった。
が、奄美のほうで布教のため生活し始めた。
近代まで、奄美にはお寺さえなかった。
奄美でほぼはじめての仏教を開いたのは、曽祖父。

曽祖父の娘は、やがて得度をうけ、布教師となる。
(その娘が、すなわち、おばあちゃんにあたる。)

そして、このおばあちゃんのまごにあたる今日の法話
をしている僧侶も、おばあちゃんに憧れ、布教師となった。

僧侶からの働きかけで、布教が行われる。
しかし、反対に門徒さんのほうからの働きかけで
布教の機会ができることもある。
ある奄美の門徒さんが土地を提供し、
奄美に2つめのお寺ができた。

その祖母がなくなって20年になった。



仏縁をとても感じると、この布教師さん。
まあ、一般的な人は、特記するほどの仏縁は
もっていないだろうと思う。

今回は、布教師の先祖についての歴史を
入れながらの若干手前味噌的なお話という
気も少ししたが、個人的には、
興味の持てるまずまずの内容の法話であった。

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マイコレクション、ペーパーウエイト

2015-05-18 21:21:40 | 仏具コレクション
先日のトーハクでインドの仏が
ペーパーウエイトになったものを買った。

透明のガラスの中に、
インドの仏が写りこんでいる。


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顔だけ上野大仏

2015-05-17 05:43:42 | 見仏(東京)
今までご縁がなかったのか、
上野大仏の敷地内に昨日初めて行った。
トーハクへ行ったついでに。

お寺という体ではなく、
敷地内には、お守りを売っていたり、
仏塔があって、その中に薬師如来がいたり、
そして、顔だけの上野大仏。
顔だけでこれだけ大きいので、
全身は大きかったはず。

関東大震災のときに焼け落ちたという
ことらしい。

お顔立ちは、江戸または昭和仏の雰囲気で
びゃくごうが大きく独特な雰囲気。
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国立東京博物館、インドの仏

2015-05-16 22:15:55 | 見仏(特別展)
公開終了が明日にせまった展示を見るために
少し慌ててトーハクに行ってきた。

東洋館にはもともとインドの仏(ガンダーラ出土)が
あるので既存の仏も展示されているかと
思っていたが、そうではなかった。

9分の上映ビデオを見ると、
インドの博物館のほうから来ているもの
もあるようだ。

さて、展示物で気の付いたこと。
2世紀頃の仏は、当時のギリシャの彫刻様式
のようなものが多く、石仏で、人間(仏陀)を
そのまま彫られたものが多かった。
頭髪は、仏像独特の羅髪ではなく、波波の髪、頭上に
少し盛っている感じ。もちろん西洋人顔。

10世紀頃の仏は、金属製のものもあり、
石仏のものある。
羅髪、髪型などは、日本の古い仏像のものに近い。
ただ、雰囲気はタイの仏像に近い。

インドで仏教が衰える13世紀より少し前の仏は、
ヒンズーに影響を受けたものがあり、
服を着た巨○の人間の女性風でありながら
憤怒の鬼に近いような表情で、手がたくさんある。


密教系の仏の雰囲気のものもあった。
光背に火がメラメラ燃えている様が
彫られていて、これが後々、日本に伝わった
不動明王の光背につながったのだろう。

ちけん印に近い形は、説法印と表現され、
ごうま印という聞きなれない印もあった。
ごうま印は、
座った仏陀が、指の先を地にあてた形。
悟ったということを示しているという。

日本の仏像は、菩薩でも男性として
彫られているが、
今回の展示の中には、
明らかに女性として彫られている
仏もあった。

仏が菩薩か如来かという判断は、
体に装飾品がつけられているものが
菩薩、質素な服を着ているのは、
如来という区分けで、展示仏には
その名前がつけられていた。

9分の上映ビデオの中に数秒程度、
仏像大使と命名されているいとうせいこうと、
みうらじゅんが登場していた。
いとうせいこうが、
仏像は仏教を広めるためにインドが発明して
すごいというようなコメントをしていた。

国別では、インドの他に、パキスタン、
バングラディシュ、東南アジアの仏もあった。

大きな仏は輸送の関係もあり、ほとんどないが、
おおむね期待を満たしてくれた
今回の展示だった。


今日は、鳥獣戯画の展示もあったようで、
そちらには、すごい行列ができていたようだ。
そんなに見たいものなのかなあと
思ってしまう。教科書にでていただけじゃん。


最期に、平常展示の仏も少し見に行った。
仏像フロアの今日のメダマは、三十三間堂からの
千手観音3体。単純に考えると、京都三十三間堂には、
現在998体の千手観音がいるということになる。
撮影禁止なのだが、一部の西洋人観光者が
それに気づかず、写真をとっていた。
仏そのものは撮影禁止だけど、この千手観音が光に
照らされた影が見事で、この影だけでも
撮影させてくれないかなあと思った。
ここトーハクでのライティングは、
非常に凝っているから、見もの。

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築地本願寺、法話2015.5.6花岡氏

2015-05-06 20:00:35 | 仏教
昨日に引き続き、
聴聞することにした。
今日も花岡という僧侶。
まだ40そこそこなのだが、
ずいぶんと貫禄はある。
京都か奈良の、あそかビハーラ病院という
病院に勤務している。

医科大学の学生や、
看護学生の研修の受け入れも病院でしている。
また、昭和大学にも
年に一回講話に出かけていく。

あるとき、今日は、生と死について、
考えて見ましょう。

最初に、生死はなんと呼ぶか?
医学生たちはせいしと答える。
→間違い。
正解をだした人がいた。
その人は、仏教研修もしている
アメリカ人の学生だった。
正しい読みは、しょうじ。
生死は、仏教用語。

学生に、生のイメージは?死のイメージは?
と問う。以下のように答えた。
(生)    (死)
 明      暗
 始      終
 動      止
 楽      悲

中に、死を始と答えた学生もいた。
その学生は、仏教系の高校出身で
教育で身についていたようだ。

学生のほとんどが持った死は、
マイナスというイメージは、
浄土真宗では、間逆のイメージ。
(死は、明、始、動、楽というのが、
 浄土真宗の立場)  

むしろ、生きているこの世界のほうが
単なる明暗でなく、暗いということもある。

あるとき、座った電車の前で
立ち話していたサラリーマン2人。
最近、真っ暗になることはなくなったよねぇ。
明るいのが当たり前。
暗いという状況がわからないのでは。
というようなことを言っていたのを聞いた。

明るすぎて、眼に見えているものしか
信用しなくなったのかもしれない。

僧侶の住んでいる奈良の吉野は、
夜になると真っ暗になる。
星空もよく見える。

人間の死は、自分で経験できない。
生きている人間が、悲しい、寂しいと
言うけれど、ほんとうにそうなのだろうか。



今務めている病院の院長の体験談。
院長のおばあさんが亡くなったときの話。
ある病院で、容態の悪くなったおばあさんを、
家族から離し、ICUに入って、
電気ショックを与え、心臓マッサージ。
結局、そのまま、おばあさんは亡くなった。
そしたら、その院長は、「なんて事してくれたの」。
いずれ、おばあさんの命は
亡くなるような状況だった。
亡くなるなら、家族の手をとり、最後の
あいさつをしたかった。


生きていることは最上の喜び、
死は絶対に忌み嫌うものという考えは
変えていかなければならない。


今、勤務している病院で、臨終の場に
つき合わせてもらうこともある。

あるときの、臨終の場。
看護婦:呼吸が止まりました。
医者:まだ、他の家族の方で来られる方はいますか?
家族:今、会社を早引きして向かっているところです。
医者:では待ちましょう。

そして、残りの家族が到着してから、臨終確認に入る。

医者は、自分の腕時計を見て、時間の確認と思いきや、
医者:この時計は自分の時計なんです。
僧侶は思った。この人は何考えてんの?
医者:亡くなったご主人の時計はありますか?
家族:ないです。
医者:それでは奥さんの時計はありますか?
奥さん:ないです。携帯電話の時計でよいですか?
医者:はい。何時ですか?
奥さん:○○時○○分です。

で、この時刻が臨終の時刻となる。
奥さんは、まさか自分が、臨終の時刻を
告げることになるとは思わなかったと言っていた。

(故人、家族の時計で臨終の時間とするのは
 気配り。医者が自分の携帯の時計を見て・・・
 というシーンは、きっと味気ない。)


この勤務先の病院では、病気を治すことが一番の
目的でない。胃に穴をあけて栄養を取らせる
ことはない、栄養剤を点滴することもない。

この病院では、患者がたばこを吸ってもOK、
お酒もOK。ペットとの面会もOK。

その人らしく、最期を迎えさせてあげたい。


このあたりのタイミングで、聴聞していたご老人が
私もその病院へ行きたい。
→僧侶:いらしてください。お待ちしています。


ホスピスの先生たちは、死について
死んだらどうなるか研究している
グループもある。

外科医のほうは、自分の立場から
死を忌み嫌う。
手術した患者が、病状を悪くし死ぬという
ことは、自分の手術が疑われるし、
死はいやなもの。

死んだらどうなるかの研究をしている会で
あるとき、パネリストとして参加したことがある。

(ここからの話は、筆記がちょっと
 追いつかず、内容については、あまり筆記することが
 できなかった。)

医学は、科学。証明できないものは、
認めない。
従って、医学で死後について研究するのは、
範疇(はんちゅう)外。
・・・
死んでいくのは当たり前。その中で
死んで新たに生まれるという発想も
宗教にある。
・・・




今回、この僧侶が勤務されている病院での臨終の
ところの話が、一番感動したところ。

この僧侶の立場からは、
こんな法話を期待していた。
期待していた内容で、よかった。










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築地本願寺、法話2015.5.5花岡氏

2015-05-05 21:40:52 | 仏教
法話が始まる前、
昨日来たんだけど、よかったから
今日も来たんだよ。
という声が聞こえていた。

今日は、奈良 花岡という僧侶。

去年の11月、高倉健さんが亡くなったが、
その健さんの座右(ざゆう)の銘(めい)は、
「往く道は、精進にして、
忍んで終わりに悔いなし」
これは、千日行を2回もした天台宗の
さかいゆうさいさんから頂いたもの。
で、実は、さかいゆうさいさんは、
浄土真宗の讃仏偈(さんぶつげ)を読み
その中から、漢字をほぼそのまま日本語に変えた。
ただし、行くは、往くという表現に変えている。

ぶっちゃけ寺というテレビ番組で
聖同門、浄土門ということが出たらしい。
前者は、修行して現世でさとりをひらく教え、
後者は、浄土でさとりをひらく教え。

日蓮宗のお坊さんと仲がよくなり、
自分が勤めている病院を見学したいということで
病院にきた。

見たら、そのお坊さん無精髭だし、
頭髪も乱れている。
頭髪自体伸びていることも本来は、
日蓮宗なのでないはず。
ちょっと失礼と思った。

よくよく、話を聞いてみると、
実は荒行の100日の修行が終わったばかり、
和尚さんたちへの挨拶まわりが終わらないと
頭髪や、ひげをそってはいけないらしい。

話が戻って、
健さんの座右の銘の元になったさんぶつげでは、
この文章にくる前に、「つらい状況にあっても」
がつく。

このさんぶつげは、
阿弥陀になる前のほうぞう菩薩だった
ころの書物。菩薩目線から阿弥陀さんのことを
述べた書物。

浄土へ行って、さとりをひらいて、浄土から
さとりをひらくように衆生をサポートする。
という阿弥陀さんの働きについて記述した書物。

・・・

今日の午前中の法話は終了。

インターネットで事前に調べて見ると
病院に努めてもいるということで、
ガンなどの病人に対する心のケアを
されているのであろう。

しかし、この3日間の計6回の法話のうち、
今日の午前中の回には、この話は出なかった。
最初の日には、自己紹介がてら、
その話はでたと思うが。

話の内容もまずまずよかったのだが、
一番聞きたかったのは、病院での仕事についての
内容だった。





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芸能人のがん

2015-05-03 18:33:49 | エピソード
テレビを見ていたら、元自衛隊員の芸能人が
末期がんを公表しているシーンがあった。

自分、家族、親類、回りの人の病気ということに
出くわす他に、芸能人の病気というのは、
その次に身近に感じること。

この方は、自分の病気をさらけ出して、
気持ちの強い方で、りっぱだと思う。

私たちは、これに何を学ぶか・・・。
私たちは、単に、かわいそうに・・・、
それと比べれば、今の自分は幸せ・・・などと
と感じるだけでは、ダメだと思う。

いずれ自分にもこういうことが起こる可能性が
高いんだよと、考えなくてはいけない。
特に中年になったら、そう思ったほうがよい。
いよいよ、今度は自分の番だなと、・・・
そんな状況になることは、
可能性として高いということを
知っておかなければならない。
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深川不動尊2015.5

2015-05-03 18:09:59 | 見仏(東京)
少し乱れたと感じる精神を落ち着けるため、
深川不動尊へ。

ちょうど行くと、ごまの真っ最中。
あぐらをかいて、少しの間精神をおだやかに。

ごまが終わり、僧侶が、木質の不動明王の前でお経。
なにやら始まる気配。

そう、この木質の不動明王(写真)に
触ることができるのだ。
僧侶に導かれ、明王のひざ、うでをさわらせて
もらった。
決められたタイミングでしか触れないので、
ありがたい気持ちになる。

次に館内の散策へ。
2階は、88箇所めぐりのシミュレーション。
まにぐるまをぐるぐる回す。

同じく2階には、数十センチの各種仏像が展示されている。
中でも愛染明王は、女性に人気のようだ。

また同じく2階には、人間大の金々のあみださん。
六道のかけじくのかかった小部屋にいた。
なんまんだ~。

次に4階へ。こちらは大小さまざまな大日さん。
中央の大日さんを除いて、永代供養の大日さんのようだ。

中央の大日さんは、人間大の坐像で、
ちょっと変わった雰囲気の仏。
どちらかというと、人間に近いような雰囲気もある。


精神も少し整え、仏像ワンダーランド的な雰囲気を感じ、
帰路についた。

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