福岡のほうのお寺の住職。
頭のほうを見ると、髪がそられているが、
真宗らしくないと一瞬思った。
よく見るともともと髪が薄そうで、
薄いついでに、髪をそっているという雰囲気に見えた。
40代くらいではあるようではあった。
まあ、容姿などはどうでもよいのだが。
この法話にでている方は、法話にでようと思い、そして、
足を運んだということは、それだけのご縁があるんです。
仏力というものが働いているんです。
真宗の仏典の引用もして、人間に生まれてくることも、
めずらしく、喜ぶべきこと。
そして仏法を聞くことは、与えられる機会が少ないのに
仏法を聞くことができる。ありがたいこと。
相手の話は、すなおに聞くものです。
寒いねぇと言われたら、寒いねえと返すもの。
これを、冬だもの・・・と返してはよろしくない。
仏法を聞くときは、すなおに聞くことが大事。
自分の都合によって、見方が変わってくる。
例えば、法師としてある法話にでたとき、
最初から最後まで寝ていた人をみて、
あまりいい人でない印象を持つ。
その人が、法話が終わった後、おかしをもってきてくれた。
法話は聞いていなかったけど、いい人だと思う。
しかし、家へ帰ってみたら、
そのおかしは賞味期限切れだった。
やっぱり、よからぬ人だと思う。
相手が変わったわけではない。
言い換えると、
自分の判断はほんとうに正しいかどうか怪しい。
自分の判断よりも仏さんの判断にゆだねる。
禅宗では、自力の力で悟ろうとする。
それに対して、浄土真宗は、すなおに受け入れる、
他力の宗教。
自分がかしこいと思っている人よりも
そうでない人のほうが、すなおに仏法を聞くことができる。
ポイントになる点は何度も繰り替えし、説得力のある話を
される方だった。
頭のほうを見ると、髪がそられているが、
真宗らしくないと一瞬思った。
よく見るともともと髪が薄そうで、
薄いついでに、髪をそっているという雰囲気に見えた。
40代くらいではあるようではあった。
まあ、容姿などはどうでもよいのだが。
この法話にでている方は、法話にでようと思い、そして、
足を運んだということは、それだけのご縁があるんです。
仏力というものが働いているんです。
真宗の仏典の引用もして、人間に生まれてくることも、
めずらしく、喜ぶべきこと。
そして仏法を聞くことは、与えられる機会が少ないのに
仏法を聞くことができる。ありがたいこと。
相手の話は、すなおに聞くものです。
寒いねぇと言われたら、寒いねえと返すもの。
これを、冬だもの・・・と返してはよろしくない。
仏法を聞くときは、すなおに聞くことが大事。
自分の都合によって、見方が変わってくる。
例えば、法師としてある法話にでたとき、
最初から最後まで寝ていた人をみて、
あまりいい人でない印象を持つ。
その人が、法話が終わった後、おかしをもってきてくれた。
法話は聞いていなかったけど、いい人だと思う。
しかし、家へ帰ってみたら、
そのおかしは賞味期限切れだった。
やっぱり、よからぬ人だと思う。
相手が変わったわけではない。
言い換えると、
自分の判断はほんとうに正しいかどうか怪しい。
自分の判断よりも仏さんの判断にゆだねる。
禅宗では、自力の力で悟ろうとする。
それに対して、浄土真宗は、すなおに受け入れる、
他力の宗教。
自分がかしこいと思っている人よりも
そうでない人のほうが、すなおに仏法を聞くことができる。
ポイントになる点は何度も繰り替えし、説得力のある話を
される方だった。