「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、兵庫(新潟?)のほうの住職の法話

2010-07-30 23:27:39 | 仏教
今日の住職は、今までの住職とはちょっと違った雰囲気。
サラリーマンあがりのにおいがした。
(といっても今は60代らしいが)
風貌は、ちょっとすごみがある感じ。

31歳まで、マスコミ、広告関連の仕事をして、
それから実家がそうだということで、僧侶になられたらしい。

話は、はきはきと大き目の声でしゃべられる僧侶。
飽きることなく、興味深くお話を聞くことができた。

最初に、浄土真宗は、念仏を唱えることにより
救われる宗教といわれる。
では、人間の声をまねるオウムが南無阿弥陀仏と
まねてしゃべると、救われるのか(極楽浄土へ
行けるのか)。という問い。

気持ちが入っていない、意味がわかっていないから、
救われないのではというひとつの意見を紹介。
では、南無阿弥陀仏をとなえる小さい子供は救われるか?
これでいうと救われないことになってしまう。
・・・もちろん結論はないのだが。

話の途中でキーワードになるようなことをいわれる。
参考になるような、関心するようなフレーズがあったりした。
たとえば、「お寺には教えがある」
「つまったら、お寺においでなさい」
「仏法を学ぶことにより、人生の生き方がかわってくる」
「みなさんが法話を聞きにこられているということは、
 先祖だったり、なくなった方が導いて下さっている」

松下幸之助の人物について。知らなかったが、松下幸之助は、
浄土真宗の信徒だったようだ。そのきっかけは、彼が部下に
対して、事業は成功しているが、何か物足りない。と相談し、
それに対して、宗教心がないからだと聞き・・・という話から
信徒になったとか。
その松下系のある会社で、社員がたばこをすい散らかして
地面がたばこのすいがらで汚れる状況があったらしい。
そうじをしても、なかなかきれいにならない。
ところが、その社長が、道具とか使わず、素手でたばこの
吸殻をそうじしたという。それをみた社員たちは、
たばこを捨てなくなったという。ちょっと感動した。

誕生日の誕というのは、辞書で調べると、
実は、うそ、いつわりという意味があるそうだ。
ブッタの誕生日(4/8)、親鸞聖人の誕生日(5/21)等は、
仏教では、降誕会という。
うそ、いつわりの世界に生まれてきたということになる。
人は、期待しているどおりに、物事が進まないとといって、
不平不満する。言葉でいうことと、
逆のことを腹のなかでは思っていたりする。

うそいつわりのない3つのほんまもん(ほんとうの
こと)もある。
・腹と口(言っていること)がいっしょ
・自分のことより先に相手のことを考える
・上の2つが継続する
これら3つのものを持っているのが阿弥陀さん。


最後に、死をまじかに迎えるときにやればいいことと、
ある人の詩の紹介。
・死をまじかに控える人の枕元で、言ってあげればよいこと。
「がんばれ」ではなく、「よかったね。極楽浄土へ行けるね」。
・もし自分が病院でつきそいがなく、一人でいるとき、
 佐藤キナという人の詩「一人じゃなかもん」を
 読むといいそうです。
 内容は、
一人じゃなかもん み仏といっしょに朝食いただいて       
一人じゃなかもん み仏とよもやま話に花さかせ
一人じゃなかもん み仏に不平も愚痴も話します         
一人じゃなかもん み仏は笑ってうなづきなさいます
一人じゃなかもん み仏のお慈悲のふとんに眠ります        
一人じゃなかもん み仏と大悲の朝をむかえます 
一人じゃなかもん み仏と無限の光を拝みます         
一人じゃなかもん み仏に両の手合わさせてもらいます


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上野、寛永寺、清水観音堂

2010-07-11 22:20:08 | 見仏(東京)
一風変わった仏がいるというので、出かけていった。

なんとなくの記憶で、変わった仏で、菩薩なのに、
四天王のかっこうをしている。
という、アバウトな記憶で見に行った。

そこのお寺は、確かに上野のこのあたりに
来たときには、たまに目には映ってはいたが、
概観からすると、神社なのかなあと
今までは思っていたところだった。

で、自前の双眼鏡を持ち、拝所の正面に立ち、暗い中、
やや遠めの小さな推定50cmほどの仏像(八部衆とか、
閻魔大王とか、不動明王など)が並んでいるなあと
思っていたが、その珍しい仏のほうは、ぱっと見、
どこにあるかよくわからなかった。

しばらく目で追っていくと、見つけた。
1m以下のそれほど大きくない仏で、
金色がかっている。
顔は穏やかな菩薩の顔なのに、なぜか、よろいを
まとっている。初めてのパターン。
菩薩が、武将のよろいをまとっているんだもの。

帰った後確認して、わかったことだが、
四天王の毘沙門天の対面にはいたが
四天王の1人ではないようだ。
また、観音菩薩ではなく、地蔵菩薩だった。

拝観にお金がかかっていいので、できれば、
近くでじっくり見ることができたらなあと思う。
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築地本願寺、法話、兵庫のほうの住職

2010-07-09 21:55:21 | 仏教
全般的に、とうとつに、和訳のお経の中の言葉を引用されて
説明をされるが、難しくて、理解しにくかった。
また、話の中で登場する人物も、とうとつにでてくるので、
これも理解しずらかった。
何より、マイクの調子が悪く、
かなり聞こえずらかったこともあった。

話が退屈だったので、ふと、亡くなったおばあちゃんの
ことや、亡くなる前の病床のおじのことが、
ふと、頭に浮かんできた。


断片的には、ポイントになる言葉もあった。
・法話を聞きたい、聞く必要があるから、
 足を運んで法話を聞きにきている
 →確かにそうです
・浄土真宗でのご利益は、お金持ちになるとか
 ・・・そういうことではなく、
 いつなんどき死んでも、極楽浄土へ行けるということ
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品川区、養玉院如来寺

2010-07-04 22:05:47 | 見仏(東京)
五智如来とやらを見にでかけた。

最寄の馬込駅から徒歩10~15分。

近づくにつれ、お墓が見えたりしていた。

本堂に向かうと、中央に大日如来坐像が見えた。
ちけんいんではない。
やや金が残っていて、大きい。
他の4体の如来も大きい。座高が推定2.5m~3.0m。
若干、中央の大日が座高が低い。

大きいとやはり見ごたえがある。
5体をすべて視界にいれてみるとなかなか壮観。
ちょっと残念なのは、
体全体を金で塗りなおしたときなのか、
それとも最初に目を描いた後、
上から金で塗ったのかわからないが、
目の部分が、金でにごっていた仏もあったりした。
できたら、
目の部分は修復したほうがいいのになあと思った。
それでも、今日は時間をかけてこの如来たちを
見に行ったかいがあり、よかった。

堂内は、全く他に参拝者もいなければ、
寺務の人もいなかった。
最初、堂内に入って、右端の薬師如来のほうに
足を運んだとき、びっくりしたことが起きた。
何か地震でも起きたかのように建物が
ゆれたような気がした。
ありえないと思いびっくりした。
帰ってから、その日の地震の情報を確認したが、
地震はなかったようだ。

カラスのいたずらか何か(?)だったのかもしれないが。




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