今日の住職は、今までの住職とはちょっと違った雰囲気。
サラリーマンあがりのにおいがした。
(といっても今は60代らしいが)
風貌は、ちょっとすごみがある感じ。
31歳まで、マスコミ、広告関連の仕事をして、
それから実家がそうだということで、僧侶になられたらしい。
話は、はきはきと大き目の声でしゃべられる僧侶。
飽きることなく、興味深くお話を聞くことができた。
最初に、浄土真宗は、念仏を唱えることにより
救われる宗教といわれる。
では、人間の声をまねるオウムが南無阿弥陀仏と
まねてしゃべると、救われるのか(極楽浄土へ
行けるのか)。という問い。
気持ちが入っていない、意味がわかっていないから、
救われないのではというひとつの意見を紹介。
では、南無阿弥陀仏をとなえる小さい子供は救われるか?
これでいうと救われないことになってしまう。
・・・もちろん結論はないのだが。
話の途中でキーワードになるようなことをいわれる。
参考になるような、関心するようなフレーズがあったりした。
たとえば、「お寺には教えがある」
「つまったら、お寺においでなさい」
「仏法を学ぶことにより、人生の生き方がかわってくる」
「みなさんが法話を聞きにこられているということは、
先祖だったり、なくなった方が導いて下さっている」
松下幸之助の人物について。知らなかったが、松下幸之助は、
浄土真宗の信徒だったようだ。そのきっかけは、彼が部下に
対して、事業は成功しているが、何か物足りない。と相談し、
それに対して、宗教心がないからだと聞き・・・という話から
信徒になったとか。
その松下系のある会社で、社員がたばこをすい散らかして
地面がたばこのすいがらで汚れる状況があったらしい。
そうじをしても、なかなかきれいにならない。
ところが、その社長が、道具とか使わず、素手でたばこの
吸殻をそうじしたという。それをみた社員たちは、
たばこを捨てなくなったという。ちょっと感動した。
誕生日の誕というのは、辞書で調べると、
実は、うそ、いつわりという意味があるそうだ。
ブッタの誕生日(4/8)、親鸞聖人の誕生日(5/21)等は、
仏教では、降誕会という。
うそ、いつわりの世界に生まれてきたということになる。
人は、期待しているどおりに、物事が進まないとといって、
不平不満する。言葉でいうことと、
逆のことを腹のなかでは思っていたりする。
うそいつわりのない3つのほんまもん(ほんとうの
こと)もある。
・腹と口(言っていること)がいっしょ
・自分のことより先に相手のことを考える
・上の2つが継続する
これら3つのものを持っているのが阿弥陀さん。
最後に、死をまじかに迎えるときにやればいいことと、
ある人の詩の紹介。
・死をまじかに控える人の枕元で、言ってあげればよいこと。
「がんばれ」ではなく、「よかったね。極楽浄土へ行けるね」。
・もし自分が病院でつきそいがなく、一人でいるとき、
佐藤キナという人の詩「一人じゃなかもん」を
読むといいそうです。
内容は、
一人じゃなかもん み仏といっしょに朝食いただいて
一人じゃなかもん み仏とよもやま話に花さかせ
一人じゃなかもん み仏に不平も愚痴も話します
一人じゃなかもん み仏は笑ってうなづきなさいます
一人じゃなかもん み仏のお慈悲のふとんに眠ります
一人じゃなかもん み仏と大悲の朝をむかえます
一人じゃなかもん み仏と無限の光を拝みます
一人じゃなかもん み仏に両の手合わさせてもらいます
サラリーマンあがりのにおいがした。
(といっても今は60代らしいが)
風貌は、ちょっとすごみがある感じ。
31歳まで、マスコミ、広告関連の仕事をして、
それから実家がそうだということで、僧侶になられたらしい。
話は、はきはきと大き目の声でしゃべられる僧侶。
飽きることなく、興味深くお話を聞くことができた。
最初に、浄土真宗は、念仏を唱えることにより
救われる宗教といわれる。
では、人間の声をまねるオウムが南無阿弥陀仏と
まねてしゃべると、救われるのか(極楽浄土へ
行けるのか)。という問い。
気持ちが入っていない、意味がわかっていないから、
救われないのではというひとつの意見を紹介。
では、南無阿弥陀仏をとなえる小さい子供は救われるか?
これでいうと救われないことになってしまう。
・・・もちろん結論はないのだが。
話の途中でキーワードになるようなことをいわれる。
参考になるような、関心するようなフレーズがあったりした。
たとえば、「お寺には教えがある」
「つまったら、お寺においでなさい」
「仏法を学ぶことにより、人生の生き方がかわってくる」
「みなさんが法話を聞きにこられているということは、
先祖だったり、なくなった方が導いて下さっている」
松下幸之助の人物について。知らなかったが、松下幸之助は、
浄土真宗の信徒だったようだ。そのきっかけは、彼が部下に
対して、事業は成功しているが、何か物足りない。と相談し、
それに対して、宗教心がないからだと聞き・・・という話から
信徒になったとか。
その松下系のある会社で、社員がたばこをすい散らかして
地面がたばこのすいがらで汚れる状況があったらしい。
そうじをしても、なかなかきれいにならない。
ところが、その社長が、道具とか使わず、素手でたばこの
吸殻をそうじしたという。それをみた社員たちは、
たばこを捨てなくなったという。ちょっと感動した。
誕生日の誕というのは、辞書で調べると、
実は、うそ、いつわりという意味があるそうだ。
ブッタの誕生日(4/8)、親鸞聖人の誕生日(5/21)等は、
仏教では、降誕会という。
うそ、いつわりの世界に生まれてきたということになる。
人は、期待しているどおりに、物事が進まないとといって、
不平不満する。言葉でいうことと、
逆のことを腹のなかでは思っていたりする。
うそいつわりのない3つのほんまもん(ほんとうの
こと)もある。
・腹と口(言っていること)がいっしょ
・自分のことより先に相手のことを考える
・上の2つが継続する
これら3つのものを持っているのが阿弥陀さん。
最後に、死をまじかに迎えるときにやればいいことと、
ある人の詩の紹介。
・死をまじかに控える人の枕元で、言ってあげればよいこと。
「がんばれ」ではなく、「よかったね。極楽浄土へ行けるね」。
・もし自分が病院でつきそいがなく、一人でいるとき、
佐藤キナという人の詩「一人じゃなかもん」を
読むといいそうです。
内容は、
一人じゃなかもん み仏といっしょに朝食いただいて
一人じゃなかもん み仏とよもやま話に花さかせ
一人じゃなかもん み仏に不平も愚痴も話します
一人じゃなかもん み仏は笑ってうなづきなさいます
一人じゃなかもん み仏のお慈悲のふとんに眠ります
一人じゃなかもん み仏と大悲の朝をむかえます
一人じゃなかもん み仏と無限の光を拝みます
一人じゃなかもん み仏に両の手合わさせてもらいます