「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.3.29

2013-03-29 22:45:43 | 仏教
栃木の方の住職。45歳くらい。
その前は、大阪にあるお嫁さんの実家のお寺にいたそうだ。

大阪で、一味会という、いわゆる法話のようなものがあった。
この住職の先輩が、住友金属重工業の社員を集めての法話を
していたという。

ナマステというインドの言葉があるが、ナム(南無)と意味が
関係しているという。
南無は、従うとか、聞きいれる存在。帰依。
何に帰依するか。浄土真宗では当然、阿弥陀さん。


この住職は、お腹の子供を死産させてしまった女性の法事に。
とても明るい人という印象。
実は夜は泣いていたという。
この住職は、自分をわかっていなかったと反省。
(悲しいのだけれど、明るさをよそおっていた)


金子みすずの詩「さびしいとき」の引用

さびしいとき
わたしがさびしいとき、
よその人は知らないの。
 
わたしがさびしいとき、
お友だちはわらうの。
 
わたしがさびしいとき、
お母さんはやさしいの。
 
わたしがさびしいとき、
ほとけさまはさびしいの。


仏心は、みかえりを求めない大慈悲。
仏様はさびしいというのは、この慈悲につながる。
(自分が寂しいまま、仏さまは、同感してくれて、
 自分の気持ちをわかってくれる。
 見仏家が思うに、つまり、仏像鑑賞のひとつのよさ
 を示していると思う。)


インドのむかし話。
ある女性が子供をなくし、嘆き悲しんでいた。
ある師が、救ってあげようと、その女性に言った。
普通の家庭にどこにでもあるとあるものを、
身内を亡くしていない家からもらってきて、ほしいと言った。
その女性は、たくさんの家を回って、そのものを入手しようと
するが、身内を亡くしていない家など、どこにもないことに
気づく。
(・・・身内は、いずれ死ぬ。自然の摂理。だから、
 そんなに嘆き悲しむな)
その女性は後に出家したという。

この話は、2ヶ月ほど前に見た映画「道元」の中にも
同様にあった。

ここで、浄土真宗的な教え。
亡くなったことを、かわいそうに、と、
生きている人は思う。それは生きている人の傲慢さ。
(浄土にいけるのになぜかわいそうなの?)

とある新聞に、野球選手の小林繁、不運、57歳で亡くなる。
江川問題で、阪神にトレードに出され・・・というのもあり
不運という内容だった。
(浄土は素晴らしいところなのになぜ不運なの?)


眠くならず、よいお話が聞けたと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そのうちに八十八ヶ所めぐり

2013-03-24 07:18:22 | エピソード
格闘家須藤元気の「幸福論」という本を借りて読んだ。

本題は、本の内容とは若干違ったところもあった。
四国八十八ヶ所めぐりの流れにそって、
人とのふれあいが書かれてあった。
また、旅のできごとに関連して、連想ゲーム的に、
思い浮かんだ過去の思い出が、おやじギャグ風に
楽しく書かれてあった。

八十八ヶ所めぐりでは、寺と寺の間が80kmも
あるようなところでは、自転車を借りてめぐり、
その他は徒歩でめぐったようだ。
旅をしながら、「ありがとう」という言葉を
何度も繰り返した。
・・・これは、本題につながっている。

当時まだ格闘家だった須藤元気は、坂本竜馬のことば、
「剣術なんて買っても愚劣、負けても愚劣」を
引き合いに出し、剣術のところを
格闘技に置き換えていたりもしていた。
その後の引退を示唆する点だった。

とても興味の引かれた本だった。



それで、・・・自分も、そのうちに
八十八ヶ所めぐりに旅立つことになるだろうと考えている。
今は東京での仕事があり時間がないが、
リタイヤしたら数ヶ月たたない内に
出発する。バイクでめぐるか、自転車か、徒歩のみか。
それとも公共交通機関と併用して徒歩にするか。
交通手段は、まだ決めていない。
八十八ヶ所めぐりをはじめれば、
その記録をまた、このブログにアップできれば
いいかなあと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地本願寺、文化講座、ひろさちや

2013-03-23 23:34:06 | 仏教
本屋へ行き、仏教のジャンルにならぶ本を見ると、
作者が「ひろさちや」の本もよくみかける。

その「ひろさちや」の講演を聞きに出かけていった。
10分前についたら、講座の場所は人で埋まっていて、
立ち見がでていた。でも、追加のいすを用意して
下さったので、すわることができた。
ざっと400、500人くらいいたかもしれない。

ひろさちやの声は、cdか何かで聞いていた記憶が
あったのか、なんとなく聞き覚えのある声だった。
容姿も本の表紙で見たのか、なんとなく、
イメージどおりの人であった。

昭和11年生まれ、18才まで大阪で生活。
ひろさちやという名前は、ペンネーム。
浄土宗。

去年の1月、91歳だった母をなくした。
なくなる10年前くらいに、浄土にいくんやで、
でも30代のときに戦争にとられて亡くなっただんなと
あちらであっても、年をとりすぎて、あんた誰?
といわれるかもしれないねと、少し母を
からかったこともあった。

「みんなそのままでいいんだよ」ということが
一番印象に残った。

びんぼうなら、びんぼうでいいじゃない。
お金持ちになろうと苦労して、苦しまなくてもいいじゃない。

インドの民話の話で、牛99頭もっている、まあ裕福な人が
あと1頭いれば100頭になるといっしょうけんめいになり、
こじきのかっこうをして、牛を1頭しかもっていない人から
だまして牛を1頭もらう。
だましたほうは、うれしいだろうが、だまされたほうも、
困った人にほどこしをしてあげて、うれしいと感じ、
むしろだまされたほうが、より幸福感があっただろう。
(牛はヒンズーでは神聖な生き物だから、仏教が栄えた時代に
 できた民話なのかなと思った。)

病気は不幸なのだろうか?
病人のまま幸せになることを考えるとよい。
病気がなくなったときのことを思い描いて、
幸せになりたいと考えるが・・・。

60分の講座は終わり、質疑応答に。
ある人が重要なことを質問した。
そのままでいいと、努力しなければ、
人は向上していかないとも思うが、
そのままでいいとは相反する・・・?

それに対して、努力できる人は努力すればいいんです。
努力しても限界があるならば、
無理して努力することはないんです。
(心わずらいしてつらい思いをするなら、努力もほどほどに)


その他の見解として、「浄土へいったら輪廻しません」と
言い切ったところは、浄土宗、浄土真宗の
思想そのままのような気がした。
・・・それが事実かどうかは、誰もわからないはず・・・。


とにかく、仏教系の話で、こんなに人が集まるということは、
ひろさちやという人は、人気があるんだなと思った。
目からうろこ的な内容はなかったが、この講演を
聞けてよかった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川崎大師、正御影供大法要

2013-03-20 19:43:57 | 見仏(神奈川)

お彼岸でもあるし、また、空海が入場された日でもある。
これに関しての、正御影供大法要。

いつものように、厄除け等でない人も本堂のたたみに
すわり、お経を聞ける。
いつもは本堂の見えないところにいる
空海のお顔もおがむことができる。


先週の土曜日の運動が後を引いて、体がけっこうだるかった。

15~20分の法要でも我慢ができず、足をくずしまくった。
お経に対する集中力も欠けていたような気がする。

こんな日だから、電車でかかとを軽くあてられたり、
シートがとなりの人とひじが少しあたったくらいで、
少しいやな思いをした。
こんな日は悪い連鎖が起きてしまう。

川崎大師(平間寺)の中には、
八十八箇所をシュミレーションできるところがある。
何番目の何寺、本尊は何というのが石の柱88個に
書かれてある。
一回目は、何番目の何寺というのを読みながら、
石の柱をひとつひとつさわっていった。
二回目は、般若心経を唱えながら、
石の柱をさわっていった。

仏像としては、本堂の不動明王、愛染明王が堂内が
暗いながらもなんとなくいい雰囲気を感じた。
小さな池では、金ぴかの金箔で塗られた釈迦像を
しばしながめていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年ぶりの鎌倉3/19、 辻の薬師堂

2013-03-19 14:15:42 | 見仏(神奈川)
14:15頃、安養院から徒歩で到着。

着いたら、無人の小さなお堂があるだけだった。

小さなお堂ではあるが、建物以上にりっぱそうな薬師如来、
十二神将のうちの2体がいた。

こちらの拝観システムはユニーク。
お賽銭を入れたら30秒間ライトがつき、
それによって、少し仏像がよく見えるというシステム。
ある意味ハイテクかも。

もう少し、近くで見れれば、拝観する価値は
十分あると思うが、ちょっと遠めだった。

なぜ、こちらを見仏対象にしたかというと、
鎌倉国宝館で、十二神将は、こちらの辻の薬師堂にあった仏だ・・・
と書かれてあったような記憶があったから・・・
期待していた。


14:50頃、一旦鎌倉駅までもどったが、
先週の土曜日の運動の影響で疲労が溜まり、
これ以上見仏する気にならなくなりギブアップ。
もう少し元気であれば、
しめに長谷寺へ行っていたかもしれない。


とりあえず、2013年春の鎌倉見仏は一旦終了としたい。
次回は、次の秋とか冬になるかも。

今回行く予定であった来迎寺、寿福寺あたりは、
次回見仏してみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年ぶりの鎌倉3/19、 安養院

2013-03-19 13:50:22 | 見仏(神奈川)
13:50頃、安養院近くのバス停で下車し到着。

浄土宗のお寺。
こちらを見仏対象にしたのは、「千手観音」という言葉にひかれて。

どちらかというと、
拝観目的の人たちに対応するようなお寺ではない雰囲気。

本堂の中を少し遠目から除く。
するとあきらかに鉄質の千手観音、
なんとなく手がいっぱいある雰囲気はある。
少し遠めなのでよくは、わからない。
当然、千に近いほどの手はないことだけはわかる。
推定だが、昭和仏だと思う。
とにかく、
機械機械していてロボットのように見えなくもなく、
変わった千手観音だった。

その千手観音のすぐ前には阿弥陀如来。
坐像1m近くはあっただろうか。
こちらは、更に真新しい。

右奥の仏壇ではないところには、
興福寺の阿修羅像に似たシルエットの小さい像が見えた。
一般人が買えるような仏像模型的なものであったかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年ぶりの鎌倉3/19、 杉本寺

2013-03-19 11:40:09 | 見仏(神奈川)
今回、3度目くらいだろうか。

杉本観音バス停下車、11:40頃到着。
天平時代に建てられた鎌倉で一番に古いくらいのお寺。
密教系。

前回まで、本堂の入り口には、撮影禁止の張り紙が
なかったような気がするのだが・・・。

正面に、十一面観音菩薩二体、毘沙門天。
光明皇后をモデルにしたといわれる真ん中の十一面観。
きれいなお顔立ち。左側の十一面観音は、けっこう新しく、
顔が四角っぽい感じ。
毘沙門天は、火事で燃えかかったのか、
ゴマ炊きでくすぶったのか、全体が黒々としている。
いずれも人間大以上はありそうな大きさ。

少し奥には、地蔵菩薩二体、小ぶりな不動明王、
小ぶりな三十三観音。

さらに奥まったところにある仏もあるのだが、
こちらは遠くて顔の表情がまったくわからない。

その他、右側面には、現在の皇后さまが
参拝したときの写真も飾られてあった。

前に来たときには、床がゆれて、それにつれられ、
仏像もゆらされていたというシーンがあったのだが、
今回は、床がしっかり補強されて
新しくなっていたような気がする。


次の予定地に行こうとしていた「五大堂 明王院」について、
このお寺の処務のおばちゃんに聞いたが、そんなこと
そのお寺に聞いてくれとつめたい反応。
まあ確かに・・・。ネットで調べて直接電話してみた。
「うちは一般拝観をしていません。」とのこと、
観光ページのようなホームページでは、
鎌倉唯一の五大明王がおられる(見れる?)とか、
書いてあったと思う。はっきりいってホームページで紹介して
もらいたくないものだ。
見仏対象にしてしまい、無駄足を運ぶところであった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年ぶりの鎌倉3/19、 覚園寺

2013-03-19 10:00:12 | 見仏(神奈川)
前回、見損なったので、再びやってきた。
9:30の鎌倉駅発のバスに乗り、・・・歩き、
お寺に着いたのは9:50頃。

今回も「頼朝切符」を買ったのだが・・・。
550円の頼朝切符を5050円も出していたのに、
うっかりしたもので、おつりをもらうのを忘れてしまった。
急いでいたというのはあったけど・・・。
もしかしたら、戻ってこないかもしれない。
観光協会なんかにお布施なんかしたくない。
と、思いつつ、10時から始まった拝観ツアーにも
脳の3割ほど、おつりのもらい忘れの件について、
考えていた。ある種の煩悩か・・・。


さて、始まった拝観ツアー。
最初に本堂ではないが本堂っぽい堂の説明。
少し遠いので、愛染明王、不動明王などの
お顔がよく見えないが・・・。ここで特出する点は、
不動明王が鉄で作られたということだった。
・・・めずらしい。

次に柵の中に入っていき、いよいよ本堂へ。
500円は少し高いと思っていたが、・・・。
予想以上にりっぱな仏がいた。
正面には薬師三尊。薬師如来、両脇に日光月光菩薩。
いずれも坐像。鎌倉作らしく玉眼。薬師如来は記憶では、
2.5mほどはあっただろうか。
ほどよい大きさで、皇后しい。
そして、両側側面には十二神将。
これがけっこう大きさがある。
人間大くらいはある。
これだけ大きな十二神将は、
今まで自分がみた十二神将の中では一番かもしれない。

この本堂には、他には、阿弥陀如来と道教の神様3人がいた。

説明してくれたおじさん(作務衣を着ているということから、
僧侶ではないのかもしれない)は、丁寧に話をしてくれる
のだが、途中で質問しようという間もなく、
次から次へと瀧のようにしゃべる。

説明の内容は、お寺とかその仏像独自の話なら、
ありがたいお話なのだが、仏像一般的な話になってくると、
内心「そこはいいです」と思って聞いていた。
唯一、質問できたのが、仏像の色具合について。
円応寺の王たちと同様、やや泥がかかってかわいた
ような色具合がしていたので、聞いてみたが、
・・・塗料の具合なんでしょうかと
はっきりした答えはわからなかった。

自分なりの想像で解釈すると、・・・明治以降、
廃仏棄却という流れの中で、
あでやかな保存状態のよい仏像は目に付き、
廃仏の危険にさらされる。
それなら目立たないように塗料をぬれば、
危険が少なくなると思って、ある塗料をぬった???

その他、特出すべき点としては、このお寺は、明治までは、
各宗派の境のない道場であった。
しかし、明治以降は宗派は一つにしなければ
ならなかったので、明治以降、真言宗ということに
なったという。
確かに、阿弥陀三尊から連想すると、
浄土宗、または浄土真宗らしいイメージはする。

その他の仏像としては、黒い地蔵菩薩(黒地蔵)などがいた。


それで、おつりもらい忘れの件だが、この拝観が終わり、
急いで観光協会窓口へ。そしたら、おつりの4500円が
メモ書きとともに保管されていた。
無事にお金がもどってよかった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖天宮、埼玉坂戸市

2013-03-17 20:20:43 | 見仏(埼玉)
西武バスの一日乗車券も使いながら、埼玉坂戸市の聖天宮へ。
テレビ東京の路線バスの旅に触発され、バスを使ってみた。
バスといっても西武バスしか使わなかったことと、
そもそも、このへんのバス路線は、
鉄道中心の交通を補完する役割でしかない。
横方向の移動が効率的でない。
移動時間が長く、時間を有効に使えないバス旅であった。

それはさておき、
聖天宮は、台湾方式の道教の神社。
雰囲気は日本のお寺に近いかも。
5年以上前にも来たことがある。

聖天宮前に着いたら、なにやら太鼓、ヒップホップな
ダンスが行われていた。
ちょっとしたお祭りのような催し物をしていた。
和太鼓のほうはともかく、アメリカのヒップホップは、
場に合わないような雰囲気ではあった。

聖天宮は、広々とした中庭があり、壁には一面、
道教の神々の絵が描かれている。
本堂のほうには、神々を守る四体の四天王、
不動明王的な守り神(赤、青、白、黒の各色を基調にしている)。
その中で、阿修羅のような像もいた。
道教の神のほうは、いわゆる人間。
口ひげ、あごひげを生やしている。

最後に、この神社の由来。台湾のある法師が、
40代半ばで大病になったが、本尊「三清道祖」の
おかげで回復。お礼にお宮を建造することとしたが、
お告げにより、台湾ではなく、日本(しかも周りが
畑しかないような地)に建てることとなった。
台湾から宮大工を呼び、建立には15年を要したという。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地本願寺、法話2013.3.15

2013-03-15 22:10:50 | 仏教
はじめに、常設布教の建物の前に書かれてあった言葉が
目に留まったので紹介。
「欲望は海水を飲むことに似ています。飲めば飲むだけ
 のどが渇くのです。」ダライラマ。



福島県、ふたば町の僧侶。
黒めがねをかけた45歳前後。
ふたば町といえば、原発事故によって、
非難を余儀なくされた場所。
その場所にあるお寺の住職。3人兄弟、末っ子。
上2人は、女ということで、当然、お寺のあと取り
として期待されてきた。
2年前の原発事故があるまでは、門徒さんから信頼され、
りっぱに住職を引き継げることができるというのが
目標であったが・・・。
原発事故後は、非難区域になっているお寺からも去らなければ
ならない状況になった。今は、郡山に場所を仮に移している。
お寺でない普通の住宅で、フローリングに阿弥陀如来を置いている。


福島原発関連の話は、とても真剣に聞けたような気がする。

えーっとか。無駄なつなぎの言葉がなく、
ゆっくりしたしゃべり口調でかまないしゃべり方だった。


話が、今日の本題のよりどころとするところに、
入ってくると、ちょっと眠くなってきた。
よりどころとするところは、浄土真宗では、
阿弥陀さんに決まっていて、
ある意味パターン化している話の内容だったのだ。

少し飽きてきて、周りをみたら、3人ほどは寝ていた。
そんな様子を感じ取った住職は、
私は一本調子の話しかできないんです。
と話をして、エクスキューズしていた。
調子というより、話の内容かなとも思う。
でも、前半の原発関連の話は、とても興味深かった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする