「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.8.30

2013-08-30 23:02:14 | 仏教
愛知県のほうのお寺の僧侶。黒縁系のめがね。
45歳くらいだろうか。

最初に、悟りをひらいた人から、一般の人がどう見えたかについて。
四苦八苦の状態だという風に見た。というところから、
四苦八苦についての解説。
それに関連するエピソードを交えての法話という流れ。
四苦八苦は、全部は覚えていなかったが、
一度は聞いたことがある言葉。
生・老・病・死の四苦の他に以下の内容を合わせて八苦と呼ぶ。
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が
               思うがままにならないこと

愛知弁だろうか、ーーーーちゅうーーー。といった、ちゅうを
よく使っていた。

この中で、どの話につながっていたのか忘れたが、
過去の経験が、その後の生き方に影響してくるという話から、
以下のエピソード。
最近、結婚した相手の女性は、大阪出身で、
車で愛知と大阪を行き来していたが、
高速道路で、覆面パトに、後ろをつけられ、
スピード違反で捕まった。
それがあって、スピードには注意するようになった。、、、、
まあ、それほど、落ちのある話でもなかったが・・・。

ある新聞の記事に、松下幸之助の記事が載っていた。
壮年の松下幸之助が20歳の社員を前にして、
自分の年と変わってくれる人がいるなら、財産を与えます。
生・老・病・死の老につながる話。

僧侶の友達で東大でロケット工学を学んだ友達。
卒業後、みつびし重工業(?)に入社。
あるとき、気象衛星ひまわりの打ち上げに
失敗した。莫大なお金がかかる。
そんなときは、左遷という形で、上司が変わる。
変わった上司と馬があわず、うつ病になりかけたという。
怨憎会苦(おんぞうえく)につながる話。

大阪の僧侶の学校に通って、電車通勤をしていたころの話。
電車に座っていたら、紙袋をいくつも持って、自分の前に
たったおばさん。どうぞというジェスチャーで、
席をゆずったという。そしたら、そのおばさん、
「ショックやわあ」。(笑)。
年をとっていると思われ、席をゆずってもらった
ことにたいてショックだったというわけ。

うつみみどりが、京都の西本願寺で講話をしたことが
あったという。
母が小さいときから病気がちで、みどりのほうは、
内気な子だったという。
あるとき、小学校からかえって、母が高熱を出して、
苦しんでいた。みどりは、病院へいかなきゃと、
一人で病院へ行ったが、病院で母が苦しんでいるという
ことを結局伝えられず、家にもどってきたという。
そしたら、母は冷たくなっていた。
その後、後妻がきた。とても厳しい人だった。
成績があまりよくなかったみどり。
学校のテストの結果を仏壇の前に行き、みどりも座らせ、
その母は、前妻に、どうか出てきてください。
みどりはテストで30点とりました。・・・・と、ぐち。
あるとき、がんばってテストで満点を取った。
今度も同様に、仏壇の前につれていかれ、
みどりは、テストで満点とりました。・・・
その母は、泣いていたという。
これだけ厳しい人が、自分のために泣いてくれたという
ことにうれしかったという。
そんな厳しい母のおかげで、活発な女の子になったという。



話の内容は、どちらかといえば一般的な話で、
なるほどと、思わせる点は少なかったが、
話の内容は難しくはなく、中には、
感動できる話もあった。聞きやすい法話だった。



法話がある館の前に、法話の標語的なことが書いてある。
今日は、以下のような内容が書かれてあった。
せみは、春秋を知らない。したがって、
せみは、今が夏ということがわからない。
→自分なりの解釈:
 せみは、春秋というすごしやすい季節を知らない。
 だから、夏が暑くてたいへんと思わない。
 せみを人に置き換えてみる。
 そして、春秋を自分にとって、順風満帆なとき、
 夏を自分にとって、つらいときと置き換える。
 つらいと思っている状況でも、
 見方を変えれば、それは普通の状況。
 自分の考え方ひとつで、困難な状況も克服できる。







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築地本願寺、法話2013.8.16

2013-08-16 23:14:07 | 仏教
茨城県のほうの住職。30代前半くらいだろうか。
最初に、僧侶のほうからおねがい。
話を聞きながらうなずいてほしいという。
一人にしてほしくないらしい。
珍しいパターン。

いつものように仏典の引用から始まったので、
硬い話になるのではないかと警戒したが、そんな心配はいらなかった。

あの大震災のときの話をもちだしてきた。
茨城では震度6強。
車で信号待ちをしていたときのことだったという。
...人の興味がありそうなところから入った。
親戚に東北のおじがいて、このとき、おじは、
今まで価値があると思っていたものが
価値がないように思えた。体ひとつ残った。
価値とは、名誉とか、お金とか、地位とか。

命の意味を問わずに生きているのではないだろうか。
価値というからの中に生きているのではないだろうか。
迷いの中にいるのではないだろうか。

この大震災の少し後、
北海道の旭川の神居(かむい)というところにあるお寺に
法話をしに行った時の話。
旭川駅行のバスに乗ったつもりだった。
時間になっても着かないので運転手に確認した。
すると、違うバスに乗ったことに気づいた。
自分では正しいと思って進んできた道だったが、
実際には迷っていた。

自分だけの価値判断で、進んでしまっているのではないか。
また、価値を求めるが故に、
手段と目的がすりかわってしまっているのではないだろうか。

命の意味は、・・・
南無阿弥陀仏の六文字。命の意味を教えてくれる。
父と母がいて自分がいる。また、その先祖がいて自分がいる。
一如(いちにょ)に支えられて生きている。
阿弥陀さんのおかげで、命が光り輝いている。

この僧侶も夫婦喧嘩をする。
自分のものさしで測る=自分の価値。自分のものさしを相手に
渡そうとする。・・・うまくいかない。


僧侶自身の話。
実家がお寺であったが、高3のとき、父に、「つがないよ」と告げる。
父・・・しかたなく納得。大学をめざし、東京のほうで
浪人二年。その後、縁があって、関西の龍谷大学へ。
大学卒業近くなり、仏教系の大学でもあったが、
再び、「つがないからね」。

そして、関西の一般企業へ就職。
・・・しかし、仕事がうまくいかない。怒られてばかり。
辞めたいとも思ったが、お寺を継がないで飛び出した自分を思うと・・・。

そんなある日のこと、突然、父が会社に現れた。
父は、今日で息子は会社を辞めます。・・・

実は、この僧侶のつれあいが、このままだと持たないと、
父に告げていたらしい。

すぐに荷物をまとめ、新幹線で東京へ。
そして、実家の茨城へ。
その間、父とは一言もしゃべらず。

実家に着くと、母が正座して出迎えてくれていた。
そして、母は自分を抱きしめた。おかえり、、、。
父は、「おまえはそのままでいいから、生きろよ。」・・・

阿弥陀さんの存在の近いところに
自分を置いてくれている父と母。うれしかった。

早口で、メモをとる手が追いつかなかったが、
久しぶりに感動できたいい法話だった。


最後に、如来の心を表しているのではという多田みちたろう
という人の詩を紹介して、法話は終了となった。
時間もおしてきていて、詩を書き留める余裕がなかったが、
・・・一部・・・

ふるさとをはなれて人は都会にでてきた。
都会の中で自分を見失った。
そして、ふるさとへもどり・・・・





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築地本願寺、法話2013.8.9

2013-08-09 23:19:02 | 仏教
群馬のほうの住職。

『歎異抄』(たんにしょう)他の解説。
たんにしょうは、浄土真宗の仏典。

あみださんにおまかせするとき、・・・
往生するとき。

法然、ぜんどう大師は、
念仏で浄土へ行きましょう・・・と説いた。

親鸞の息子が、関東へ。
息子は、自分は親鸞に浄土真宗の教えといわれるものの
他に別の教義を特別に教えてもらっていると、周りの
僧侶に話す。これをうけ、真実を知りたく、
関東の僧侶が、関西にいる親鸞のもとに・・・という騒動も。

そんなことがあり、親鸞は、自分の息子をかんどう。

小乗仏教では、さとりをひらいた人は、一人とされる。
したがって、スリランカ、タイなどの小乗仏教が
盛んな地では、仏像も1種類(?)。

大乗仏教では、さとりをひらいた人は、一人ではない。
これが、仏像もたくさん種類がある(?)・・・につながる(?)。

近年、テーラワーダと言われる小乗仏教が
日本にも入ってきている。
小乗では、実際にブッタが説いたという「仏説」は
ないというが、大乗では違う・・・。

(浄土に参らせていただくというのは、
 よく聞くが、浄土に生まれるという表現は
 どういう意図からそういっているのだろう)

念仏をどのくらい唱えれば浄土へ行けるのだろう
という議論もかつて僧侶の中にはあった。
善人でも悪人でも無条件で浄土へ行けるということから
念仏は、浄土へいく条件ではない?・・・

1.念仏さえすれば浄土へ行けると考えている人
2.念仏を唱えない人
1,と2.は、自力の人。

あみださんの働きに、おりにふれ、縁にふれ、
生活の中で、自然に念仏する。
これが他力で、これが、歎異抄の教えの中心。
仏教は他力なり、というのが浄土真宗の教え。




■率直な印象
話の内容が難しい。浄土真宗の仏典に
日頃から慣れ親しんでいる人ならともかく・・・難しい。

大学で仏典の講義を聞いておいる雰囲気。

仏教について論文をだしているらしく、
やっぱり、そんなところからも学問的な説明に
なる傾向にある。

話が面白いか否かと言われれば、おもしろくない。

話に「落ち」がない。・・・まあ別に
落ちはなかったら、どうだ・・・というわけではないが。





■先週のおばさん
今日も、法話の帰り、先週と同じ時間に
新富町駅の上のほうにあるコンビニの前に行ってみた。
ホームレス風のおばさんはいなかった。

夜になってもこれだけ暑い日だと、
暑くてたまらない。
ホームレスの人たちは、たまらないだろうなと思う。
地下鉄のエリアにもぐって、少しでも、
暑い思いをしなくてもよいようにしているのかもしれない。




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築地本願寺、法話2013.8.2の帰り

2013-08-02 22:13:13 | エピソード


ここ二ヶ月ほど、本願寺の法話には、
3週に1回くらいは出ているが、
内容がよくなかったり、自分の眠気さがまさってあまり興味が
もてなかったりで、ブログ更新はできていない。
(夏になり関心ごとが他に増えたという理由もある。)

今日も、出だしから、上人が80歳のときに書いた手紙に
ついての引用から始まり、興味が持てなかった。

最初から聞こうという意識が強かったとしても、
話の内容は、なるほどと共感できる部分はなかった。


・・・と、これだけの内容では、ブログを更新しようとは
思わなかったが、法話の帰りのあるできごとがあったので、
ブログを更新することにした。

法話の帰り、コンビニ(サンクス?)によって、
味噌かつフライを買った。
五個入り。コンビニの外で割り箸で食べはじめた。
すると、自分の前にホームレス風の、
何種類もの紙袋を持った女性が目に入った。

この味噌カツがとてもおいしかったなら、
そんな気持ちにならなかったかも
しれないが、味噌カツを2つ食べたところで・・・。

「よかったらどうぞ」と、彼女の前に差し出した。
「ありがとうございます」とその一言と声が、
上品な感じだった。以外だった。
年齢は、50代~60代くらいだろうか。
ホームレスになって1年たっていない
かもしれない(いや数カ月かも)。

ちょっと後で、水がないとのどがかわくかなと思ったけど、
水をあげるために、コンビニで買い物?そこまでする?と
内心迷いながら、結局、水はあげなかった。


タイでは、貧しい人が地べたで、空き缶のようなもので
物乞いをしている人たちも目にした。

お布施して、得を積むというという考えがタイにはある。
日本にはないようだが、お布施、ほどこしをして、
得を積むという精神が日本にも根づけばよいのにと思う。





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