昨日に引き続き、
聴聞することにした。
今日も花岡という僧侶。
まだ40そこそこなのだが、
ずいぶんと貫禄はある。
京都か奈良の、あそかビハーラ病院という
病院に勤務している。
医科大学の学生や、
看護学生の研修の受け入れも病院でしている。
また、昭和大学にも
年に一回講話に出かけていく。
あるとき、今日は、生と死について、
考えて見ましょう。
最初に、生死はなんと呼ぶか?
医学生たちはせいしと答える。
→間違い。
正解をだした人がいた。
その人は、仏教研修もしている
アメリカ人の学生だった。
正しい読みは、しょうじ。
生死は、仏教用語。
学生に、生のイメージは?死のイメージは?
と問う。以下のように答えた。
(生) (死)
明 暗
始 終
動 止
楽 悲
中に、死を始と答えた学生もいた。
その学生は、仏教系の高校出身で
教育で身についていたようだ。
学生のほとんどが持った死は、
マイナスというイメージは、
浄土真宗では、間逆のイメージ。
(死は、明、始、動、楽というのが、
浄土真宗の立場)
むしろ、生きているこの世界のほうが
単なる明暗でなく、暗いということもある。
あるとき、座った電車の前で
立ち話していたサラリーマン2人。
最近、真っ暗になることはなくなったよねぇ。
明るいのが当たり前。
暗いという状況がわからないのでは。
というようなことを言っていたのを聞いた。
明るすぎて、眼に見えているものしか
信用しなくなったのかもしれない。
僧侶の住んでいる奈良の吉野は、
夜になると真っ暗になる。
星空もよく見える。
人間の死は、自分で経験できない。
生きている人間が、悲しい、寂しいと
言うけれど、ほんとうにそうなのだろうか。
今務めている病院の院長の体験談。
院長のおばあさんが亡くなったときの話。
ある病院で、容態の悪くなったおばあさんを、
家族から離し、ICUに入って、
電気ショックを与え、心臓マッサージ。
結局、そのまま、おばあさんは亡くなった。
そしたら、その院長は、「なんて事してくれたの」。
いずれ、おばあさんの命は
亡くなるような状況だった。
亡くなるなら、家族の手をとり、最後の
あいさつをしたかった。
生きていることは最上の喜び、
死は絶対に忌み嫌うものという考えは
変えていかなければならない。
今、勤務している病院で、臨終の場に
つき合わせてもらうこともある。
あるときの、臨終の場。
看護婦:呼吸が止まりました。
医者:まだ、他の家族の方で来られる方はいますか?
家族:今、会社を早引きして向かっているところです。
医者:では待ちましょう。
そして、残りの家族が到着してから、臨終確認に入る。
医者は、自分の腕時計を見て、時間の確認と思いきや、
医者:この時計は自分の時計なんです。
僧侶は思った。この人は何考えてんの?
医者:亡くなったご主人の時計はありますか?
家族:ないです。
医者:それでは奥さんの時計はありますか?
奥さん:ないです。携帯電話の時計でよいですか?
医者:はい。何時ですか?
奥さん:○○時○○分です。
で、この時刻が臨終の時刻となる。
奥さんは、まさか自分が、臨終の時刻を
告げることになるとは思わなかったと言っていた。
(故人、家族の時計で臨終の時間とするのは
気配り。医者が自分の携帯の時計を見て・・・
というシーンは、きっと味気ない。)
この勤務先の病院では、病気を治すことが一番の
目的でない。胃に穴をあけて栄養を取らせる
ことはない、栄養剤を点滴することもない。
この病院では、患者がたばこを吸ってもOK、
お酒もOK。ペットとの面会もOK。
その人らしく、最期を迎えさせてあげたい。
このあたりのタイミングで、聴聞していたご老人が
私もその病院へ行きたい。
→僧侶:いらしてください。お待ちしています。
ホスピスの先生たちは、死について
死んだらどうなるか研究している
グループもある。
外科医のほうは、自分の立場から
死を忌み嫌う。
手術した患者が、病状を悪くし死ぬという
ことは、自分の手術が疑われるし、
死はいやなもの。
死んだらどうなるかの研究をしている会で
あるとき、パネリストとして参加したことがある。
(ここからの話は、筆記がちょっと
追いつかず、内容については、あまり筆記することが
できなかった。)
医学は、科学。証明できないものは、
認めない。
従って、医学で死後について研究するのは、
範疇(はんちゅう)外。
・・・
死んでいくのは当たり前。その中で
死んで新たに生まれるという発想も
宗教にある。
・・・
今回、この僧侶が勤務されている病院での臨終の
ところの話が、一番感動したところ。
この僧侶の立場からは、
こんな法話を期待していた。
期待していた内容で、よかった。
聴聞することにした。
今日も花岡という僧侶。
まだ40そこそこなのだが、
ずいぶんと貫禄はある。
京都か奈良の、あそかビハーラ病院という
病院に勤務している。
医科大学の学生や、
看護学生の研修の受け入れも病院でしている。
また、昭和大学にも
年に一回講話に出かけていく。
あるとき、今日は、生と死について、
考えて見ましょう。
最初に、生死はなんと呼ぶか?
医学生たちはせいしと答える。
→間違い。
正解をだした人がいた。
その人は、仏教研修もしている
アメリカ人の学生だった。
正しい読みは、しょうじ。
生死は、仏教用語。
学生に、生のイメージは?死のイメージは?
と問う。以下のように答えた。
(生) (死)
明 暗
始 終
動 止
楽 悲
中に、死を始と答えた学生もいた。
その学生は、仏教系の高校出身で
教育で身についていたようだ。
学生のほとんどが持った死は、
マイナスというイメージは、
浄土真宗では、間逆のイメージ。
(死は、明、始、動、楽というのが、
浄土真宗の立場)
むしろ、生きているこの世界のほうが
単なる明暗でなく、暗いということもある。
あるとき、座った電車の前で
立ち話していたサラリーマン2人。
最近、真っ暗になることはなくなったよねぇ。
明るいのが当たり前。
暗いという状況がわからないのでは。
というようなことを言っていたのを聞いた。
明るすぎて、眼に見えているものしか
信用しなくなったのかもしれない。
僧侶の住んでいる奈良の吉野は、
夜になると真っ暗になる。
星空もよく見える。
人間の死は、自分で経験できない。
生きている人間が、悲しい、寂しいと
言うけれど、ほんとうにそうなのだろうか。
今務めている病院の院長の体験談。
院長のおばあさんが亡くなったときの話。
ある病院で、容態の悪くなったおばあさんを、
家族から離し、ICUに入って、
電気ショックを与え、心臓マッサージ。
結局、そのまま、おばあさんは亡くなった。
そしたら、その院長は、「なんて事してくれたの」。
いずれ、おばあさんの命は
亡くなるような状況だった。
亡くなるなら、家族の手をとり、最後の
あいさつをしたかった。
生きていることは最上の喜び、
死は絶対に忌み嫌うものという考えは
変えていかなければならない。
今、勤務している病院で、臨終の場に
つき合わせてもらうこともある。
あるときの、臨終の場。
看護婦:呼吸が止まりました。
医者:まだ、他の家族の方で来られる方はいますか?
家族:今、会社を早引きして向かっているところです。
医者:では待ちましょう。
そして、残りの家族が到着してから、臨終確認に入る。
医者は、自分の腕時計を見て、時間の確認と思いきや、
医者:この時計は自分の時計なんです。
僧侶は思った。この人は何考えてんの?
医者:亡くなったご主人の時計はありますか?
家族:ないです。
医者:それでは奥さんの時計はありますか?
奥さん:ないです。携帯電話の時計でよいですか?
医者:はい。何時ですか?
奥さん:○○時○○分です。
で、この時刻が臨終の時刻となる。
奥さんは、まさか自分が、臨終の時刻を
告げることになるとは思わなかったと言っていた。
(故人、家族の時計で臨終の時間とするのは
気配り。医者が自分の携帯の時計を見て・・・
というシーンは、きっと味気ない。)
この勤務先の病院では、病気を治すことが一番の
目的でない。胃に穴をあけて栄養を取らせる
ことはない、栄養剤を点滴することもない。
この病院では、患者がたばこを吸ってもOK、
お酒もOK。ペットとの面会もOK。
その人らしく、最期を迎えさせてあげたい。
このあたりのタイミングで、聴聞していたご老人が
私もその病院へ行きたい。
→僧侶:いらしてください。お待ちしています。
ホスピスの先生たちは、死について
死んだらどうなるか研究している
グループもある。
外科医のほうは、自分の立場から
死を忌み嫌う。
手術した患者が、病状を悪くし死ぬという
ことは、自分の手術が疑われるし、
死はいやなもの。
死んだらどうなるかの研究をしている会で
あるとき、パネリストとして参加したことがある。
(ここからの話は、筆記がちょっと
追いつかず、内容については、あまり筆記することが
できなかった。)
医学は、科学。証明できないものは、
認めない。
従って、医学で死後について研究するのは、
範疇(はんちゅう)外。
・・・
死んでいくのは当たり前。その中で
死んで新たに生まれるという発想も
宗教にある。
・・・
今回、この僧侶が勤務されている病院での臨終の
ところの話が、一番感動したところ。
この僧侶の立場からは、
こんな法話を期待していた。
期待していた内容で、よかった。
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