奈良県から来た花岡さんという30代後半くらいのおぼうさん。
今日の法話は、印象に残った。
というのも、このおぼうさんの働いている場所が変わっている。
お寺ではなく、診療所(あそかビハーラ病院)に
勤めているという。
病院におぼうさん?・・・
ってと思ったが、末期がん患者の気持ちを
やわらげるホスピスをしているという。納得。
親鸞聖人の750年周年記念のいっかんとして、
浄土真宗が診療所を作ったという。
そういう患者を受け入れるので、
たばこ、酒は、一般的に病院では、NGなのだが、
こちらの診療所はOKらしい。
患者にとっては、1本の注射より、1本のたばこ。
1本の注射より、一杯のお酒。
中には、病院の中におぼうさんがいると知ると、
忌み嫌う患者さんもいるという。
患者さんだけではないが、
人々はいろんなことで苦しむ。
身体的、精神的、社会的な点。
そして、スピリチュアルな点。
スピリチュアルな苦しみとは、
生きることの意味を見失うことや、
死んだらどうなるかという不安。
キリスト教の同じようなホスピスを
している日本人の名前をあげた。
その方のいう苦しみは端的に、時間、関係、自律という。
時間:過去をくいたり、未来に希望がもてない。
関係:家族との間、会社との間の気使い。
自律:自分で用を足せない。自分でしたいことを自分で決められない。
このようなスピリチュアルな問題を解決に導いてくれるのが
阿弥陀さん。
死んだらどうなるかという不安→浄土にいける。
参らせてもらえる。
往生できる。往生は、行って帰ってくるという意味がある。
浄土に行ってまた、戻ってこれる。つまり、生まれ変わり。
阿弥陀さんが浄土に導いて、また、浄土から帰り、
新たな関係が生まれる。自律した生活ができる。
今日の法話は、普通とは変わったおぼうさんの立場からの
法話で、よかった。
時にはブラックユーモア、関西人らしいユーモアもあった。
末期がんなど、死に直面している人からみると、
浄土真宗は、大きなささえになるだろうなと思う。
今日の法話は、印象に残った。
というのも、このおぼうさんの働いている場所が変わっている。
お寺ではなく、診療所(あそかビハーラ病院)に
勤めているという。
病院におぼうさん?・・・
ってと思ったが、末期がん患者の気持ちを
やわらげるホスピスをしているという。納得。
親鸞聖人の750年周年記念のいっかんとして、
浄土真宗が診療所を作ったという。
そういう患者を受け入れるので、
たばこ、酒は、一般的に病院では、NGなのだが、
こちらの診療所はOKらしい。
患者にとっては、1本の注射より、1本のたばこ。
1本の注射より、一杯のお酒。
中には、病院の中におぼうさんがいると知ると、
忌み嫌う患者さんもいるという。
患者さんだけではないが、
人々はいろんなことで苦しむ。
身体的、精神的、社会的な点。
そして、スピリチュアルな点。
スピリチュアルな苦しみとは、
生きることの意味を見失うことや、
死んだらどうなるかという不安。
キリスト教の同じようなホスピスを
している日本人の名前をあげた。
その方のいう苦しみは端的に、時間、関係、自律という。
時間:過去をくいたり、未来に希望がもてない。
関係:家族との間、会社との間の気使い。
自律:自分で用を足せない。自分でしたいことを自分で決められない。
このようなスピリチュアルな問題を解決に導いてくれるのが
阿弥陀さん。
死んだらどうなるかという不安→浄土にいける。
参らせてもらえる。
往生できる。往生は、行って帰ってくるという意味がある。
浄土に行ってまた、戻ってこれる。つまり、生まれ変わり。
阿弥陀さんが浄土に導いて、また、浄土から帰り、
新たな関係が生まれる。自律した生活ができる。
今日の法話は、普通とは変わったおぼうさんの立場からの
法話で、よかった。
時にはブラックユーモア、関西人らしいユーモアもあった。
末期がんなど、死に直面している人からみると、
浄土真宗は、大きなささえになるだろうなと思う。