「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

京都、最終日、東寺

2007-10-14 12:22:40 | 見仏(京都)
 東寺。弘法大師にゆかりの深いお寺。
大師は31才で唐へわたり、
帰国後、東寺を時の天皇から与えられ
50~62才まで東寺に、
62才から高野山へ。

 そんな東寺へ、朝9時頃から入り、
出たのは昼12時頃まで。
ゆっくり時間をかけて見た。

 まず、宝物館。まず目に付くのは、
5mほどあろうかという千手観音。
平安作であるが、傷みが激しく、
昭和に修復した像。そして、本とかにも
よく載っているとばつ毘沙門天。
その毘沙門天を地天女が両手で支えている。
邪鬼は、踏まれていなくて、漫画チックな
かわいい表情をしている。

 次は、東寺の一部である観智院。
普段は公開されていないが、運がよく、
行った日は、見ることができた。
五大虚空菩薩像がメイン。唐製。
五体ともそれぞれ、動物に乗っている。
獅子に乗っている文殊菩薩、ぞうに乗っている普賢菩薩は
よく見るが、馬、つる、鳳凰に乗っている
仏像はめずらしい。普賢菩薩の下のぞうは、これらの
動物の中で一番小さくまた、鼻が短かった。
当時の中国でもぞうの大きさなど細かい点に
ついての情報はなかったのだろう。

 東寺の講堂。
立体曼荼羅が入っているお堂。
曼荼羅図は、絵や布系のもので
作られるが、ここは立体。
曼荼羅図内のいくつもの絵の仏像に当てはめて、
実物の仏像が並んでいる。
三十三間堂の数の多さに圧倒されるほどの数は
ないが、それでもかなり迫力がある。

 中央の大日如来坐像(おおよそ2.5m)は、
玉眼ではなさそうだが、白目、黒目がはっきり
かかれて、今まで見てきた他の如来像や菩薩像に
比べて、割と眼が大きい。かわいい眼をしている。
ある意味、俗世ぽいと感じてしまったのか、
少し離れたところにいたOL同士の言葉が部分的に
聞こえてきた。「煩悩まみれ」。
想像するに、この大日如来の表情をみて、この仏像は
煩悩にまみれていると感じたのだろう。

 不動明王は、けっこう顔の表面がけずれていたりするが、
この中にある仏像は、国宝になっているものが多い。

 四天王の多聞天がちょっと気になった。
他の四天王とちょっと雰囲気が違っていた。まず、
その表情が、妙に怖い。若干老朽化したのも原因なの
かもしれないが、表情が、西洋の悪魔のような雰囲気。
こんな表情は今までの見仏の中ではじめてだ。
そして、その足元を見ると、他の四天王は、
しっかり邪鬼をふんずけているのに、
この像は、地天女に支えられている。
邪鬼2体はといえば、地天女のそばで、
にこやかな表情を浮かべている。
六波羅密寺のときにあったおばさんの「あそびあし」と
同じように、仏師にちょっとした遊び心があり、
アレンジしたのかなあという気もする。

 金堂。
字のごとく、大きめの金色のぶつ様が
いらっしゃる。玉眼の坐像、約2.0mくらいの
薬師如来を中心に、両脇に日光、月光菩薩。
こちらは立像で、2.5mほどだろうか。
日光、月光菩薩は、端正な顔立ち。
ややめずらいい玉眼。
日光菩薩をしたからうかがうと、やさしく
見つめられていて、
気持ちが落ち着きおだやかになる感じがした。
薬師如来の下のほうには、
小さい十二神将が囲んでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都、二日目、国立博物館、永観堂

2007-10-08 23:58:25 | 見仏(京都)
 「国立博物館」。
とてもレトロな建物がありながら、
そこには展示はなく、
となりの普通の事務所のような建物に展示がある。
内部も、いたって普通のビルという感じがした。

ぶつは確かに、いくつかあるが、
これといって目をみはるものはなかった。
(やはり、三十三間堂の迫力の後だっただけに、
そう感じたのかもしれない)。
ここに比べると、奈良の国立博物館のほうが、
だんぜん、いい感じがした。

 「永観堂」。
ここには、やや小ぶりな変わった形を
した「みかえり阿弥陀」がおられる。
立像で、上半身が正面を向かずに、
うしろを振り返る姿勢になっている。
昔、永観律師という人が念仏行をしていたところ、
最初は正面を向いていた阿弥陀如来が、
永観の念仏の遅さに対し「永観、遅し」と
お告げになり、このときの振り返った姿が、
そのまま残ったという。

その他庭園等は風情はあるが、見仏としては、
それはどうでもよかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都、二日目、六波羅蜜寺と六道珍皇寺

2007-10-05 23:55:59 | 見仏(京都)
 六波羅蜜寺を探して、バス通りから、
緩やかな坂道を下っていた。
すると、右手にお寺がある。
六波羅蜜寺ではなさそうだが、入ってみようか
どうしようかとたたずんでいたら、
前からおばさんが話しかけてきた。
話好きのおばさんで、ここのお寺は、いいよ・・・。
ただ、だし。
ついでにおばさんに六波羅蜜寺はどこかたずねてみた。
下った左手のほうにあるとのこと、
私(おばさん)もこれから行くから、また後でと、
おばさんが言い別れた。

 いいと言われたし、見ないわけにもいかないので、
六道のほうを見ていくことにした。
のぞき穴のようなところから、部屋の中を見ることができた。
仏像というよりは、やや新しめの平安時代調の人物や、
えんま様がいただろうか。
特にこれといった見所はないような感じだった。

 六道という言葉からは、地獄とか畜生道とか、
あまりいいイメージが浮かんでこない。
死を恐れてしまう言葉。

 さて、六波羅蜜寺へ。
本堂にも多少ぶつがあったりしたが、
やはり、空也上人。やや小ぶりな空也上人の口から、
小さな阿弥陀如来が6体でているという、
非常に変わっているぶつ。写真ではよくみたことあるが、
生で見ると細かいところに気がつく。
口から出ている阿弥陀如来をつないでいるのは
針金かなとわかったり、空也上人の眼は玉眼だったり。
とにかく、遊び心のあるユニークなぶつである。
見ていると、先ほどのおばさんが声をかけてきた。
もう先へ行ったのかと思っていたが・・・。
平清盛像について、これいいよねー。
・・・死にたくなかったんだろうね。
とかなんとかいっていた。
さらに、「あそびあし」という言葉を出したので、
何の意味か尋ねたら、ぶつの足がそろっていなくて、
片側が少し前にでているさまを言うらしい。
そういうのは珍しいですね。と返した。
そのおばさんは、話好きで、かつ、ぶつが好きそうで、
受付のおじさんに何かと話しかけていたようだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都、二日目、三十三間堂

2007-10-01 23:08:51 | 見仏(京都)
 三十三間堂。その多さにおおーという感じ。
人と同じくらいの大きさの千手観音が千体。
2~3mほどの大きさの本尊の千手観音坐像が1体。
計1001体の千手観音。
ひな壇に怒涛のごとくずらり並んでいる。
それから、二十八部衆のぶつが前列に並ぶ。
後にも先にも、これだけのぶつが
並んでいる光景を、見ることがないであろう。

 1000体以上もあるのだから、自分の顔に
似たぶつがあるかもと、いわれるが、
仏像は、仏像であって、ちょっと人間の顔に
当てはめるのはどうかなと思う。
でも、仏像は仏像でも、そのお顔は、
よくよく見ていくと、いろんな表情があり、
おもしろい。やけにきれいなお顔の仏像さんも
いらっしゃる。帝釈天のすぐ後ろの一体のお顔は、
ほんとうにきれいであった。

 一体の大きな本尊さんは、これだけの
他のぶつを束ねているという位置づけもあってか、
熱心に中国系の観光客から拝まれていた。「オンバサラ 
ダルマキリソワカ」。
千手観音にお祈りするときの言葉を唱えながら。

 二十八部衆のなかに、まけいしゅら王と
呼ばれるのがあって、これはヒンズーのシバ神で
あるらしい。そう書いてあった。よくインドの絵で
みるシバ神の姿とは、ちょっと違っているが。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする