「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2015.9作家ランディ

2015-09-26 23:19:00 | 仏教
「縁」というテーマ。

田口ランディという人は、小説家ということだが
本をあまり読まないほうなので、初めて聞いた
名前だった。
それなりの著名人のようで、席が7割程度
うまっているくらいの感じで、人が多かった。
見た目は中年のおばさん。
さて、本題。

今日は、18歳の娘といっしょに本願寺に来た。
本を運ぶ手伝いもした。
その娘に、縁とは何?と聞いた。
そのひとつとして、
予想もしていない人にばったり出会うことと言った。
具体的に、そんなことがあった。
高校を卒業して、ある先生がいて、その先生とは
もう会うことはないだろうなと思っていた。
が、電車でバッタリ会った。
娘は、ボーっとして電車に乗っていた。
普段なら、スマホをいじっていることが多くて、
そうしていたら先生には気づかなかった。
ボーっとはしていたが顔を上げていたので
離れたところに先生が座っているのがわかった。

(自分の体験談としては、田舎の中学生の同級生と
8年ぶりに東京でバッタリ出会ったこと。
親しかったわけではないが、彼とは
記憶のない小さいときにもかつて近所に住んでいて
いっしょに遊んだことがあったらしい。
それは自分が都銀へ行き、口座の開設か何かをしに
窓口で自分の名前を書いたときのこと。
自分のほうは窓口業務の相手の顔を見て
見たことがあるような顔で、あれっと思いながら
首をひねって自分を名前を書いたところで、
窓口業務をしていた相手が声をかけてきた。
・・・ということがあった。)

*****

父は、アル中だった。アル中ながら鋼鉄の肝臓と言われた。
70才を過ぎても庭のせんてい作業で、臨時に働いていた。
仕事中でもちゅうはいを飲んでいた。
その父が骨折をした。全治6ヶ月。
このときの入院のときの検査で、肺のほうに白い影。
よく調べたらガンだった。それも末期ガン。

入院すると酒が飲めない。アル中なので、禁断症状で
整形外科の病棟で暴れるということになる。
そんな状況なので、父にガン告知なんてできない。

ガン治療もある、骨折もある、アル中もある。
こんな患者を受け入れてくれる病院がない。
「ガン難民」になるような状況になった。
もし「ガン難民」になったら、最後の手段として
自宅で救急車を呼べばよい。救急車で病院側が
拒否できない。

そんなガン難民にならないように調べた。
精神病院で、まず話し合いができるような状況にしたい。

そこで”医療コーディネーター”という存在が
あることを知る。
担当してくれた方は、元大学病院の婦長さんだった。
出会って話をしただけで涙が出るような人だった。
まず、アル中の状態から、正気に戻して、ガン治療をしたい
ということを伝えた。

それで、医療コーディネーターどおしのつながりで、
新しい病院(精神病院)が見つかった。
その病院の先生は、医療コーディネーターでもあった。

自宅の近く数分のところに、仕事場として
マンションを借りていた。なんと、そのマンションの
部屋の真上の階に住んでいる人こそ
この精神病院の先生だった。
かけずり回って探した病院。
サポートしてくれる人がすぐ近くにいた。
(なんというご縁)

父がその病院に入院して、1週間で正気に戻った。
3ヶ月間入院した。
退院したが、ガンが進行していた。
この3ヶ月間は、父はおじぞうさんのようだった。
家族もその3ヶ月間は救われた気持ちだった。

そして、父は肺がんで亡くなった。

******

おじいちゃん、おばあちゃん、父、母、兄と5人を
見取ってきた。人間死んだら終わりと思っていたけど、
残された家族の縁もある。
先祖からのつながり、今生きている自分は最先端。

******

仏教に関するある話。
聖者が山の中で、飢えそうになったとき、
3匹の動物が現れた。クマ、キツネ、ウサギ。
クマとキツネは捕食動物なので、獲物をとってきて
聖者に獲物を差し出す。ウサギはというと、草食動物。
差し出すものがない。・・・
ウサギは、火の中に自ら飛び込んで、自分を差し出した。

ブッダという手塚おさむのアニメにも、このシーンが前半と
後半のほうにもある。(自分はまだ見たことがない)

なぜ、ウサギが飛び込んだことが仏教なの?
多くの人がこの意味を知っていないのではないか。
自己犠牲が美しいとかいう話だけではない。

(地球では、捕食する生き物、捕食される生き物がいる。
捕食される生き物は、捕食する生き物を生かしている。
そういう生態系で、地球は成り立っている。
(生と)死とはそういう状況も示している。
それを、簡単に示したのが、ウサギが火に飛び込んだ
ということ。)

聖者は、火に飛び込むウサギに「プチ悟り」した。

******

仏教の話は、
今風に置き換えていないから、よくわからなかったりする。
あまり細かくしないで、おおまかに話をすれば若い人にも
関心がもてるのではないか。
それでも仏教は、
言葉にする表現を超えているところがある。


仏教に関心が持てるようになったのは、浄土真宗(東本願寺)
が設定したおぼうさんとの対談から。
親鸞(しんらん)なんて、しんら~ん(知らん)という
状況だった。最初は、断っていた。

父は臨済宗。
自分は?と問われると、仏教徒だけど宗派にはこだわらない。

今度は、今度は曹洞宗の貫首(かんしゅ)を退いた80歳の
方との対談。
他の宗派だけど「なんまいだー」はいいよね。ごろもよいし。
このことを別の場所でも話したら、檀家(門徒)から非難を
あびたという。心が狭い。
いいと思うことはやればいい。


******
(後記)
田口ランディは、父のことは
当時はつらい悩ましい状況だった
はずだが、講話という場では、笑い話のように、
快活にしゃべっていた。この部分にかかわらず
全体を通して、快活によくしゃべる人だった。
~うん。~うん。と、自分で納得しながらの
「うん」という語尾をつけるくせのある
話し方だった。

今回の文化講座は、その年の中で、自分のなかでは
上位3位の中に入るくらいによかった。


コメント
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