「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2015.5.22

2015-05-22 23:27:53 | 仏教
鹿児島・奄美大島のお寺の僧侶。
女性の布教師さん。
見た目年齢不詳。40代か50代か。

1500年ころ、鹿児島に浄土真宗が広まったが、
その後、300年間、浄土真宗が禁止された。
弾圧があった。
それでも、かくれ念仏と言われるように、
影では、浄土真宗が信仰されていた。

薩摩の支配下にあった沖縄も同様、
浄土真宗が禁止されていた。

時は経ち明治11年、奄美に浄土真宗が
信仰されてきた。

沖縄は自然崇拝、シャーマニズムもあったが、
奄美は、ほんとうに宗教らしい宗教がなかった。


話は、世界布教について。
移民ブームで、北米、南米、ハワイに
日本人が移住。浄土真宗の門徒も多かった。

移民先で、ブッディストチャーチと呼ばれるものも
あった。移住したばかりで、日本語しかわからず
日本人は苦労。その中で、お寺という存在は
日本人にとってコミュニティとなっていた。

実は、そうそふ【曽祖父】が、アメリカに移住し
、そして布教師をしていた。

そうこうしているうち、大戦が始まり、
日本人は、アメリカの地で迫害を受け始めるように
なった。そんな中、曽祖父は、幼い娘を連れて
日本・熊本にもどった。

曽祖父は、当初ブラジルのほうに行く予定もあった。
が、奄美のほうで布教のため生活し始めた。
近代まで、奄美にはお寺さえなかった。
奄美でほぼはじめての仏教を開いたのは、曽祖父。

曽祖父の娘は、やがて得度をうけ、布教師となる。
(その娘が、すなわち、おばあちゃんにあたる。)

そして、このおばあちゃんのまごにあたる今日の法話
をしている僧侶も、おばあちゃんに憧れ、布教師となった。

僧侶からの働きかけで、布教が行われる。
しかし、反対に門徒さんのほうからの働きかけで
布教の機会ができることもある。
ある奄美の門徒さんが土地を提供し、
奄美に2つめのお寺ができた。

その祖母がなくなって20年になった。



仏縁をとても感じると、この布教師さん。
まあ、一般的な人は、特記するほどの仏縁は
もっていないだろうと思う。

今回は、布教師の先祖についての歴史を
入れながらの若干手前味噌的なお話という
気も少ししたが、個人的には、
興味の持てるまずまずの内容の法話であった。

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