「見仏」と「聞き伝え法話」と「仏教少々」

仏像鑑賞と受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2012.6/29

2012-06-29 06:51:10 | 仏教
本日は兵庫のお寺の住職。年齢は65歳くらい。
関西なまりが思いのほか少ない。

浄土真宗の仏典からの引用という形で
説明があったりで、
よくわからない部分も多かった。
説明のしかたは、理論的であったが、
話と話とのつながりが自分では
整理できないことが多かった。


人生は、・・・ということはわかっているんだけれども
・・・。


認知症について・・・、5歳未満の子供に
もどったようなもの。


とある西洋人の学者は言う。
人間のおろかなところは、無知なことではなく、
すべてのことに答えを持っている(求めている)ことである。
自分に合わない答えは、切り捨てていく。

・・・

話の途中で、自分の身の上話になった。

広島出身で、お寺の子供に生まれたわけではない。
広島大学をうけたが落ちて、京都の龍谷大学の追加受験で、
うかった。
大学生になって、浄土真宗の仏典(?)の輪読会に
参加した。そこには、京都女子大学の学生も参加していた。
これが縁で、・・・住職に・・・というニュアンスで
あったが、この続きは、また明日の法話で・・・、という
感じだった。

学生のころ、京都のこじきに10円をめぐんだ。
先輩に、この行為は果たして「善」か?と問われる。
「善」です。
この行為そのものは、「善」かもしれないが、
君の態度、めぐんでやった、上からの立場という状況は
果たして「善」か?・・・と、話が膨らんで・・・という
こともあったという。
(自分もそういう気持ちがないか自問してみた)

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