聖路加国際病院の顧問。
元、同病院の小児科の医者。
細谷 亮太氏。
講題「こどものいのちの傍らで」
元々、同病院は、1901年、せいこう会の
内科医の外国人が医療とキリスト教を
広めたいということで設立された。
44年間、同病院で勤めあげたが
クリスチャンにはならなかった。
親は、曹洞宗。
妻は、カトリック。四人の子どもの内、
二人はカトリック。
44年間の間に、いろんな喜怒哀楽があった。
小児がんの治療は、研修医の頃には
定着していなかった。
1960年の安保闘争のとき、大学四年生。
どの分野の医者になるか検討するときに、
産婦人科は最初に除外した。
無事に生まれてきて当たり前で、
赤ちゃんの死産、母子とも死産なんてことは敬遠したい。
自分達団塊の世代は、
比較的死産も多かったのも気になった。
山形の親父のクリニックの
医者もしている。
いなかでは、病院も少ないから、
まるで檀家制度のごとく、
受診する病院は決まってくる。
聖路加国際病院では、
チャプレンという牧師にも助けられた。
インド哲学を、父は進めた。、、、
聖路加にいたが、仏教も勉強していた。
浄土宗や浄土真宗にもひかれた。
大きな存在が人を救ってくれるという
キリスト教の神の存在と、
阿弥陀さんの存在は似ている。
聖路加の内科の先生の高校生の子供、
ある時、失禁した。何らかの異常があった
のだろうが、結果的に充分な検査は
必要ないと考えた。
その後、突然死。この父は49日を過ぎたら
自死して、息子に謝りに行きたいと考えていた。
そのような状況で、
奥さんが相談にきたこともあった。
ある自分がみていた高校生の女子。
白血病が
治りかけていたように見えた。しかし、
卵巣に転移してしまった。
自宅に治療に行った。
苦しい。、、、モルヒネを打つ。
痛みは治まったが、
朝方、山場になるかもしれないという
状況の中、大学生のお姉さんが、
その場にいる人への食事の準備。
泣きながら、お米をとぐ姿が、心に残った。
時には、チャプレンといっしょに
亡くなった家族への対応をすることもあった。
(聖路加のチャプレンは、アメリカ人で、
奥さんが日本人で、日本語はペラペラ)
亡くなった子供のお父さんに対し、
これからのお父さんの生き方が
大事なんですよと元気付けた。
チャプレン、私もそう思う、、、。
同病院で、子供の死をたくさん感じてきた。
小学生3、4年くらいになると、
死というものが理解できる。
死を迎えるときに、支えになるのが宗教。
中でも浄土宗、浄土真宗が、、、。
お世辞を言っている訳ではない。
たんにしょうはいい本。読んでもらいたい。
後記:
おそらく、話の引き出しは、
もっともっとあるはずと思う。
子供の死をどんな風にうけとめたのか。
他にどういう出来事が他にあったのか。
、、、など。
今回は、期待以上の講話ではなかった。
期待値が高すぎたのかもしれない。
まあ、でも、いいお話が聞けたと思う。
後から来て、自分の席の前に
座ったおばあさん、
ほとんど寝ていたんじゃないかというほど
よく寝ていた。
小児科の先生で、しゃべり方がやさしかったので
ちょっと眠くなったのだろうか。
元、同病院の小児科の医者。
細谷 亮太氏。
講題「こどものいのちの傍らで」
元々、同病院は、1901年、せいこう会の
内科医の外国人が医療とキリスト教を
広めたいということで設立された。
44年間、同病院で勤めあげたが
クリスチャンにはならなかった。
親は、曹洞宗。
妻は、カトリック。四人の子どもの内、
二人はカトリック。
44年間の間に、いろんな喜怒哀楽があった。
小児がんの治療は、研修医の頃には
定着していなかった。
1960年の安保闘争のとき、大学四年生。
どの分野の医者になるか検討するときに、
産婦人科は最初に除外した。
無事に生まれてきて当たり前で、
赤ちゃんの死産、母子とも死産なんてことは敬遠したい。
自分達団塊の世代は、
比較的死産も多かったのも気になった。
山形の親父のクリニックの
医者もしている。
いなかでは、病院も少ないから、
まるで檀家制度のごとく、
受診する病院は決まってくる。
聖路加国際病院では、
チャプレンという牧師にも助けられた。
インド哲学を、父は進めた。、、、
聖路加にいたが、仏教も勉強していた。
浄土宗や浄土真宗にもひかれた。
大きな存在が人を救ってくれるという
キリスト教の神の存在と、
阿弥陀さんの存在は似ている。
聖路加の内科の先生の高校生の子供、
ある時、失禁した。何らかの異常があった
のだろうが、結果的に充分な検査は
必要ないと考えた。
その後、突然死。この父は49日を過ぎたら
自死して、息子に謝りに行きたいと考えていた。
そのような状況で、
奥さんが相談にきたこともあった。
ある自分がみていた高校生の女子。
白血病が
治りかけていたように見えた。しかし、
卵巣に転移してしまった。
自宅に治療に行った。
苦しい。、、、モルヒネを打つ。
痛みは治まったが、
朝方、山場になるかもしれないという
状況の中、大学生のお姉さんが、
その場にいる人への食事の準備。
泣きながら、お米をとぐ姿が、心に残った。
時には、チャプレンといっしょに
亡くなった家族への対応をすることもあった。
(聖路加のチャプレンは、アメリカ人で、
奥さんが日本人で、日本語はペラペラ)
亡くなった子供のお父さんに対し、
これからのお父さんの生き方が
大事なんですよと元気付けた。
チャプレン、私もそう思う、、、。
同病院で、子供の死をたくさん感じてきた。
小学生3、4年くらいになると、
死というものが理解できる。
死を迎えるときに、支えになるのが宗教。
中でも浄土宗、浄土真宗が、、、。
お世辞を言っている訳ではない。
たんにしょうはいい本。読んでもらいたい。
後記:
おそらく、話の引き出しは、
もっともっとあるはずと思う。
子供の死をどんな風にうけとめたのか。
他にどういう出来事が他にあったのか。
、、、など。
今回は、期待以上の講話ではなかった。
期待値が高すぎたのかもしれない。
まあ、でも、いいお話が聞けたと思う。
後から来て、自分の席の前に
座ったおばあさん、
ほとんど寝ていたんじゃないかというほど
よく寝ていた。
小児科の先生で、しゃべり方がやさしかったので
ちょっと眠くなったのだろうか。