風景写真7・8月号が出ています。
風雲児森田敏隆さんのことは後ほどに。
何より嬉しいのは
風景写真カレンダーフォトコンテストで
勝山さんが見頃グランプリを受賞されたことです。
勝山さん、おめでとうございます。
勝山さんとは10年ほど前、大台ヶ原で(2週連続)お会いしてから、
他人とは思えないほど親しみを憶えました。
風景写真誌などで活躍され、秘かに応援していました。
このところ私の知り合いで
風景写真誌のコンテスト入賞常連作家の低迷が続いていましたが
9・10月号での入賞がありました。
楽しみにしています。
7・8月号の初級の部で桜井市白河の作品がありました。
写真展ピックアップの欄で
やのみちよ写真展「精霊の森 森遍路」の案内がありました。
やのさんとは山岳写真時代からの知り合いです。
東京の富士フォトサロンで開催中です。
風景写真7・8月号の表紙を見て驚いたのは
風景写真の風雲児森田敏隆とあることでした。
森田さんは雑誌の掲載や取材に応じなかったのでビックリした訳です。
風雲児とあるからには若手かな、と思いますが
和尚より2年先輩です。
実を言うと森田さんがプロになる前、
私は同じ会社に勤めていました。
私が入社した時に森田さんは写真課の係長でした。
すでに社の出版物の写真は森田さんが撮っていました。
40年以上も前になりますが
富士フィルムがプロの使用になじめなかった頃で
ポジフィルムはコダックのエクタクロームPが使われていました。
その後EPRやフジクロームベルビアが開発されました。
その頃、森田さんは26、7歳でしょうか、
写真コンテストを総なめにしていました。
たぐいまれな才能の持ち主だったのでしょう。
プロになってから毎日新聞社の国立公園シリーズで
土台を築いてからは日本代表をする写真家になって行きます。
和尚がフォトライブラリーをやっていた頃、
東京の写真家中橋富士夫さんと会う機会があり、
森田さんの話に及んだ時に
「日本でフィルムを一番使っている」写真家だと言われたことは
印象に残っています。
森田さんは元々海の作品を得意としていました。
生まれは八尾とありますが、和歌山田辺市の高校と聞いています。
今回の「南紀創世の海」も関係があるかもしれません。
海で言うと
作詞家阿久悠氏とのコラボ、写真集「瀬戸内」などは典型でしょう。
森田さんはインタビューで「ドキュメンタリーで写真家を目指していた」とありますが、
プロになる前は棚橋紫水など関西の写真界の重鎮が集っていたシュピーゲルに所属していたと記憶しています。
ドキュメンタリーの片鱗を見せていた旅のコンテスト、サンフラワーの旅は
風景写真とは違った切り口で展開されていました。
今となれば無理ですがドキュメンタリー作家の森田さんも見てみたかった気がします。
とにかくプロらしいプロ作家です。
写真集も70冊出版とあります。
ある人は言います森田さんを「日本のアンセル アダムス」だと。
これからこのブログは夏休に入ります。
風雲児森田敏隆さんのことは後ほどに。
何より嬉しいのは
風景写真カレンダーフォトコンテストで
勝山さんが見頃グランプリを受賞されたことです。
勝山さん、おめでとうございます。
勝山さんとは10年ほど前、大台ヶ原で(2週連続)お会いしてから、
他人とは思えないほど親しみを憶えました。
風景写真誌などで活躍され、秘かに応援していました。
このところ私の知り合いで
風景写真誌のコンテスト入賞常連作家の低迷が続いていましたが
9・10月号での入賞がありました。
楽しみにしています。
7・8月号の初級の部で桜井市白河の作品がありました。
写真展ピックアップの欄で
やのみちよ写真展「精霊の森 森遍路」の案内がありました。
やのさんとは山岳写真時代からの知り合いです。
東京の富士フォトサロンで開催中です。
風景写真7・8月号の表紙を見て驚いたのは
風景写真の風雲児森田敏隆とあることでした。
森田さんは雑誌の掲載や取材に応じなかったのでビックリした訳です。
風雲児とあるからには若手かな、と思いますが
和尚より2年先輩です。
実を言うと森田さんがプロになる前、
私は同じ会社に勤めていました。
私が入社した時に森田さんは写真課の係長でした。
すでに社の出版物の写真は森田さんが撮っていました。
40年以上も前になりますが
富士フィルムがプロの使用になじめなかった頃で
ポジフィルムはコダックのエクタクロームPが使われていました。
その後EPRやフジクロームベルビアが開発されました。
その頃、森田さんは26、7歳でしょうか、
写真コンテストを総なめにしていました。
たぐいまれな才能の持ち主だったのでしょう。
プロになってから毎日新聞社の国立公園シリーズで
土台を築いてからは日本代表をする写真家になって行きます。
和尚がフォトライブラリーをやっていた頃、
東京の写真家中橋富士夫さんと会う機会があり、
森田さんの話に及んだ時に
「日本でフィルムを一番使っている」写真家だと言われたことは
印象に残っています。
森田さんは元々海の作品を得意としていました。
生まれは八尾とありますが、和歌山田辺市の高校と聞いています。
今回の「南紀創世の海」も関係があるかもしれません。
海で言うと
作詞家阿久悠氏とのコラボ、写真集「瀬戸内」などは典型でしょう。
森田さんはインタビューで「ドキュメンタリーで写真家を目指していた」とありますが、
プロになる前は棚橋紫水など関西の写真界の重鎮が集っていたシュピーゲルに所属していたと記憶しています。
ドキュメンタリーの片鱗を見せていた旅のコンテスト、サンフラワーの旅は
風景写真とは違った切り口で展開されていました。
今となれば無理ですがドキュメンタリー作家の森田さんも見てみたかった気がします。
とにかくプロらしいプロ作家です。
写真集も70冊出版とあります。
ある人は言います森田さんを「日本のアンセル アダムス」だと。
これからこのブログは夏休に入ります。