沖縄戦「集団自決」の謎と真実 秦 郁彦 PHP研究所 このアイテムの詳細を見る |
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沖縄タイムスによると、沖縄の教師が米軍に肯定的意見を持つことは絶対に許せないことらしい。
ただ、同紙が報道する沖縄の先生像は全てが赤鉢巻で、「米軍基地出て行け!」と絶叫する姿しか想像できないのだが・・・。
ところが実際は、米軍に肯定的意見を持ち、生徒を連れて基地訪問し共にバーべキューを楽しんだりして沖縄タイムスに「異論を持つ」教師もいた。
米軍側がその基地訪問の和気あいあいとした様子をHPに掲載してしまった。
その先生にとっては不幸なことに、それが異論を許さぬ沖縄タイムスの目に止まってしまったから、さー大変。
さて、事の顛末は・・・。
以下引用の記事は在日米国海兵隊ホームページの「ニュース(8月13日) 」よりの引用である。
◇
金武町の教育者らが勤務中の海兵隊員を見学
【キャンプ・ハンセン】 金武町嘉芸小学校の約20名の教師と家族らが7月27日、キャンプ・ハンセンの第3海兵遠征軍、第3海兵兵站群、第35戦闘兵站連隊、第3医療大隊を訪問した。
嘉芸小学校のスタッフが基地を訪れ、第3医療大隊の海兵隊員や海軍兵の仕事振りを見学するのはこれが初めてだとキャンプ・ハンセンの棚原香基地渉外官は話す。
毎月、同大隊のボランティアが嘉芸幼稚園を訪れ、子供たちへの英語指導の手伝いや読み聞かせ、ゲームなどをして遊ぶ。
「私たちの部隊は嘉芸幼稚園との長く、友好的な関係があり、私たちは国際友好と日米間の理解を深めるのに貢献している」と第3医療大隊従軍牧師のジョン・W・ポッター少尉は言及した。
この訪問は(同基地内)パームズ・クラブでのモンゴリア式バーべキュで始まり、昼食後は同大隊の補給倉庫を訪れ、そこには救急車仕様で一般的にハンビーとして知られる高機動多目的装輪車や7トンの中型戦術車両補充貨物車両などいくつかの車両や派遣状況で用いられる野外テントの設置の展示があった。
嘉芸小学校で算数を教える平野里奈先生にとって、戦術車両に乗り込んで中に座ったことがその日一日で一番楽しかったことだった。
展示ツアーの終了後、同グループはキャンプ・ハンセン医療クリニックに立ち寄り、同クリニックの任務や海兵隊員と海軍兵がどのように仲間の世話をしているのかを学んだ。
その日最後に公式に立ち寄ったのは同大隊の指揮所で、そこでは第3医療大隊指揮官のパトリック・W・ポール少佐が、嘉芸小学校の平良瑞枝校長にこれまで行ってきた地域渉外活動で同学校から手厚いもてなしを受けた事に対する感謝状を手渡した。
また平良校長はこの訪問を主催してくれたポール少佐に感謝を述べ、同学校では今後も協力していくことを期待していると話した。
「今日、ここに来るまで私の海兵隊員や海軍兵に対するイメージは否定的でしたが、今日皆さんが行っている事を垣間見たことで私見が変わった」と平野校長は語った。(在日米国海兵隊ホームページより)
◇
続いて引用の8月17日付沖縄タイムス記事を読んで頂きたい。
沖縄タイムス 2009年8月17日
嘉芸小教員家族
ハンセン内視察
校長「米軍HPに誤認」
【金武】金武町立嘉芸小学校(平良瑞枝校長)の教員とその家族20人が7月、地域研修を目的に米軍キャンプ・ハンセン内を見学していたことが、17日までに分かった。 在沖米海兵隊が、同教員らが見学時に米軍に肯定的な言動をしたとする記述をホームページ(HP)に掲載したことに対して、学校側は「事実に反しており心外だ」と海兵隊に削除を求める方針だ。 平良校長らは7月27日に見学した。 町教育委員会にも事前に報告したという。 海兵隊のHPでは、平良校長が「私の海兵隊員や海軍兵に対するイメージは否定的だったが、今日皆さんが行っていることを垣間見たことで私見が変わった」と発言したと紹介。 また20代の学習指導員が、戦術車両に乗り込んだことを楽しんだと表記している。 学校側はいずれも記事内容を否定している。 流弾事件に抗議して開かれた伊芸区民総決起大会にも参加した平良校長は「平和教育を行うためにも教員が基地内を知ることは重要だ」と説明し、視察の必要性は否定しなかった。
◇
平良校長は事前に町教育委員会にも報告の上、海兵隊基地を訪問している。
それに突然の思いつきで訪問したわけではなく、海兵隊員による、同校への英語教育の手伝いなど、これまでの交流の返礼の意味の訪問であることがHPから読み取れる。
タイムス記者の脅迫まがいの追及を受け、思わぬ展開に慌てて前言を翻す平良校長の動揺が伺える記事である。
タイムス記者の考えでは、沖縄の教師はすべからく米軍基地には否定的意見を持つべきであり、異論は一切許されないのだろう。
平良校長は無理やり米軍に対する「肯定的意見」を変更させられたようだが、
そもそも当初から否定的意見の教師なら、子供を連れて基地訪問をするはずもなく、ましてやモンゴリヤ式バーベキューなどをご馳走になるはずもない。
那覇市役所職員の高里洋介さんが事前に届けを出した上で、小林よしのり講演会を開催したことで、上司に叱責されたことが「全体主義」だと書いたが、今回も同じような話だ。
HPを読んだ沖縄タイムスが、町教育委員会にねじ込んで、平良校長も教育委員会あたりから叱責を受け、前言を翻さざるを得なかったのだろう。
沖縄タイムスにとって、沖縄の教師は基地を取り巻いて「出て行けコール」で拳を突き上げる姿であるべきであり、それ以外の異論は絶対に許されないのである。
沖縄では言論封殺の作家先生が「沖縄言封魔」としてご活躍だが、沖縄タイムスも校長先生の「米軍へ肯定的」な意見を封殺したようである。
平良校長が「流弾事件に抗議して開かれた伊芸区民総決起大会にも参加した」という理由で、当然米軍には否定的意見を持つべきと言わんばかりの記事だが、「米軍流弾被弾事件」はそれが事実なら、米軍基地への賛否に関わらず、沖縄県民なら抗議すべき事件である。
平良校長が抗議大会に参加することは伊芸区界隈に住む人なら参加して当然であり、それが今回の友好的な米軍訪問と何ら齟齬はないはずだ。
そもそも「流弾事件」自体が、米軍の調査によれば、でっち上げの疑いがあり、県警も米軍発表には沈黙したままではないか。
又沖縄二紙も米軍にでっち上げだといわれて沈黙しているのは米軍の調査が正しかった証左ではないのか。
あくまで推測だが、平良校長はその辺の事情を敏感に察知して、濡れ衣を着せられた米軍への慰問の意味も含んだ訪問ではなかったのか。
それにしても「流弾事件」は、米軍にでっち上げといわれて沖縄二紙が沈黙を守るのが何時まで続くのか。
誤報だったら誤報だと読者に知らせるのが新聞としての最小限の義務ではないのか。
【おまけ】在米米軍海兵隊HPよりの引用。
沖縄にある在日海兵隊基地
私たちは地域の一員として地元へ貢献したいと願っています。沖縄県内の学校でボランティアの英語講師をはじめ、海辺の清掃活動など年間さまざまな地域活動に参加し、また基地内のイベントに地元の方を招いています。
米軍基地周辺の住民の方々と積極的に接し、地元の一員としてとけ込めるよう努めており、また地元の方を基地内に招待して私たちの地域の一員となってもらいたいと思っています。
私たちには、地域に貢献するという伝統があります。民間の軍関連機関が年間を通して地元の慈善事業に多額の寄付をしています。1999年だけでも海兵隊婦人クラブを例にあげると、1千万円以上を地元の慈善事業に寄付しました。
地域の一員としての私たちの公約を例にあげますと、1998年12月に採用された「リバティ キャンペーン プラン」がありますが、 海兵隊員および海軍兵に対して公務外の適切な行動を明確に記した指針です。海兵隊員および海軍兵は常時公務中と考えられ、常に良いお手本であるよう努めています。
リバティ キャンペーン プランには多くの事項が記載されていますが、すべての事項において共通することは制服着用の有無に関わらず、行動を改善し、すばらしい大使になる手助けをしてくれるということです。
このプランが強調するのは、教育と自覚です。新しい政策は、ゲートでの飲酒検問所設置、車の運転特権制限や下士官の海兵隊員および海軍兵に対するアルコール購入制限があります。
海兵隊員はただ単に沖縄に駐留しているのではなく、地域の一員としてここで生活しています。沖縄で生活し、仕事をしてそして家族を養っているのです。沖縄は私たちにとって、第2の故郷なのです。
【おまけ2】
金武町伊芸区の「米軍流弾事件」については、何者かが偽装したと米軍は暗示している。
その偽装流弾事件を沖縄二紙が扇動して大事件にでっち上げた疑いが濃厚である。
騒ぎを大きくした張本人の二紙が沈黙を通して読者の忘却を待つのは、『うらそえ文藝』の告発に対する二紙の沈黙と同じである。
当日記はしつこくこの問題を追っていきたい。
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