15日午前9時 ドル円交換
銀行に列 混乱と不安

 日本に戻るから、使うお金も日本円に変わる。それまで使っていた米ドルは、当時のレート、1ドル=305円で円に交換された。

 通貨交換を担ったのは71年に設置された日本銀行那覇支店開設準備室。当時の担当者によると、沖縄には通貨の統計がなく、交換する円がどのくらい必要なのか分からず、その見積もりが難題だった。

 復帰の日に開店する日本銀行那覇支店の堀内好訓支店次長は、新木文雄支店長の「100%沖縄を向いて仕事をしろ」を思い返し、気を引き締めた。
 太平洋戦争時、電探士官だった新木は、鹿児島の特攻基地で、大田実中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ…」の打電を傍受したという人物だった。沖縄との不思議なめぐり合わせが、住民の利益を最優先にという言葉につながった。

 日銀那覇支店は、さまざまな想定を重ねてドルの流通量が1億ドルで、為替レート(360円)を当てはめ計算。さらに50%の余裕をもたせ約540億円を準備することになった。
 復帰2週間前の5月2日、大量の円を積み込んだ海上自衛隊の輸送艦2隻が那覇港に接岸した。琉球警察の護衛で那覇支店へ運び込まれた。外部には知らされない極秘のミッションだったという。

 5月15日午前9時、日銀那覇支店が正式に産声を上げた。同時に、県内189の交換所で一斉に通貨交換が始まった。

ドルから円への交換で混雑する銀行の窓口。交換レートの1ドル=305円に県民は大きく失望した

 琉球銀行本店では午前6時、交換所となる支店へ現金輸送が始まった。午前中は雨のためかさほど混雑はなかったが、午後から一転、客があふれ、長蛇の列ができた。閉店の午後4時をすぎても列は途切れない。「もっと速くできないのか」。いら立つ客の声が響いた。

 通貨交換は5月15日から20日まで続いた。交換所は、大勢の人でごった返し、世代わりの節目を象徴した。

 庶民にとっての「世替わり」はドルから円への切り替えであり、混乱と不安のスタートでもあった。ドルの価値が低下する中での円への交換は、資産縮小や物価の高騰を伴った。経済不安から、買いだめに走ったり、預金を引き出し物に変える動きも。

 交換された総額は米ドルで約1億ドル、円では315億円以上となった。