狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

★マッカーサーの置土産!米国の洗脳政策~自虐史観の原点

2024-04-18 12:33:26 | 資料保管庫

 

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マッカーサーの置土産

             ★


■ 極東軍事裁判
昭和二一~二三年に行われた極東軍事裁判(以下、単に東京裁判と称す)は、“裁判”と言う名がついているが根拠法などはない。

従って「罪刑法定主義」も「法の不遡及原理」も無視した戦勝国によるリンチに過ぎなかった。

強いて言えばマッカーサーの発した「極東軍事裁判所条例」が根拠法であった。

しかし、当のマッカーサーが朝鮮戦争の後に米上院・軍事委員会において 5、連合国が行った対日経済封鎖と石油禁輸は日本を深刻な窮地に追い詰めたと指摘し、「日本が戦ったのは自衛戦争であった」のだから東京裁判は間違いであったという趣旨の証言を行っている。


東京裁判では、七名が平和に対する罪(A級戦犯)を問われて絞首刑 となり、遺骨は東京湾に棄てられた。

これが文明国の人間がすることだろうか。

この他に約二千名が戦争犯罪(級戦犯)と人道に対する罪(級戦犯)として処刑された。

戦争の敗戦国だったのだからだ。 しかし、敗戦国の将兵だけが断罪されるのは不当であると、後に多くの世界の国際法学者から指摘された。


日本は終戦直前には軍人・軍隊による交戦能力は無かった。つまり戦闘能力では既にレイムダック状態で、ソ連に講和の仲介を依頼しようとしていた(もちろん米国は知っていた)位である。

従って「から、戦争を早期に集結するために原爆を投下する必要は全くなかった。トルーマン大統領が原爆実験のためとソ連への示威のために、敢えて投下を決意して三十万人を殺戮したのである。彼こそが、真のB・C級戦犯だ。

日本人なら一緒に考えよう。原爆は必要だったのか?第二次世界大戦【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】


インドのパール判事は、「欧米こそがアジア侵略の張本人だ。それなのに、あなたがたは自分等の子弟に、『日本は罪を犯したのだ』とか、『日本は侵略の暴挙を敢えてした』などと教えている。(中略)日本の若者が歪んだ罪悪感を背負って卑屈になり、心が荒廃して行く(中略)」とも述べている。

マッカーサーの証言:

昭和二六年(一九五一)五月三日の米国議会上院の軍事外交合同委員会における証言。「日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もない。(中略)それらすべてのものは、アジア海域に存在していた。これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感があった。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった。」と証言したBC過ごすわけにはゆかない。」と述べている6。


GHQの参謀第二部長という要職を占めて、自ら諜報・検閲という日本人の洗脳作業に従事していたチャールズ・ウィロビー少将でさえも、東京裁判はやり過ぎだと考え、「この裁判は史上最悪の偽善だった。(中略)もしアメリカが、日本がおかれていた状況と同じ状況に置かれたら、日本と同様に戦争に出たに違いないと思う。」と語った。


ところが、次に述べるように当時の日本の歴史学者はこぞって東京裁判史観を支持したのであるから、マッカーサーの置土産恐るべし、である。

マッカ―サーの置き土産の中でも、最も戦後日本の自虐史観に影響を与えたたのは公職追放である。

■ 教育による自虐史観の刷りこみ ~亡国の教科書検定制度

GHQは、「教育の民主化」の名の下に共産主義者や社会主義者を取り込んで教育の左傾化を計った。

民間情報教育局(CIE)はマルクス主義者の羽仁五郎らと協議を重ね、日本教職員組合(以下、単に日教組と称す)の結成を促した。

昭和五七年(一九八二)に、教科書の記述で「侵略」が「進出」に書き換えられたという誤報が発端となって、宮沢喜一・官房長官が「今後は、近隣諸国との友好・親善に配慮する」との談話を発表した。それに基づいて文部省(当時)が教科書検定基準に、いわゆる「近隣諸国条項8」を制定した。それ以来、日本の教育は自虐的教科書を使用して、自虐的日本人をせっせと育ててしまった。


河野談話が発表された平成五年(一九九三)以降は、教科書に慰安婦が“軍によって強制連行され”という誤った記述が出現した。パール判事は、昭和二十七年(一九五二)に来日して広島高等裁判所で講演して日本人の自虐史観を戒めた。
GHQは一九四五年に教育の民主化の一環として教職員に労働組合(日本教職員組合)の結成を指示した。かつては社会党・総評ブロックの有力単産であったが、現在では民主党の主な支持団体の一つ。組織率は、かつては九十%近かったが、二○一三年○月一日現在の組織率は二十五・三%だった。左翼・反日・自虐史観をイデオロギーの柱とし、ゆとり教育推進、異常な性教育などによって日本の教育を崩壊せしめたとの批判が強い。


近隣諸国条項:

教科書検定基準に“国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること”いう趣旨のガイドラインを制定した。年(一九九六)に起こった検定教科書問題は、海外から抗議がなされたものではなく、韓国の日本に対する非難がそのまま教科書に記載されたのである。七種の教科書の“全てに”慰安婦問題が記載された。日教組は、「子供でも “真実”を直視するのが重要だ」と説く。では、韓国軍がベトナムで、米軍が占領下の日本で、また多くの国の軍隊が世界中で、女性に対する暴行問題を頻発せしめたという “真実”は直視しなくてもよいのか。
子供に教えるべき歴史上の出来事は無数にある。それぞれの歴史的な 価値は千差万別だから、取捨選択をしなければならないが、その基準は子供の教育目的からの総合的価値判断であるべきだ。


いくら真実を見つめることが大切だと言っても、まだ十分な判断力も備わっていない子供に対して真偽のほども判然としない残虐事件を教え込むのは、もし祖国に誇りを持てない自虐的な国民を意図的に育てようとするのでない限り、全く間違った方策である。日本における米軍の婦女暴行事件が、独立後八ヵ月間に千八百七十八件も発生したことは、勿論教科書には記載されていない。しかし、それで良いのだ。

■ 何故日本人はやすやすとWGIPの餌食になってしまったのか。


第一に、WGIPが巧妙に隠蔽されて極秘裏に実行されたので、日本人は洗脳計画の存在すら知らなかった。米国は大々的に民主主義の理念を紹介したので、それが戦後の日本のイデオロギーや教育理念の中心的地位を占めた。そのご本尊のGHQが「言論の自由」を否定して洗脳を推進していたとは、日本国民は夢にも思わなかった。
第二に、GHQが宣伝した事柄の多くは戦時中の機密であったし、戦史の類はすべて破棄されてしまったために、日本人は真偽のほどを確かめる術がなかった。そのため日本人は、軍国主義者達が嘘ばかりついて国民を騙したという構図を、何の疑いもなく信じ込んでしまった。

第三に、日本人が信頼するアカデミズムの殆ど全てが、東京裁判史観を無批判に唯々諾々と受け容れてしまい、しかも積極的にこれを後押しする論文や著書を出して混乱を増幅させたことである。


特に主だった歴史学者はこぞって東京裁判史観を支持して、日本の過
去の歴史を全て否定的に見る研究成果を続々と発表した。そうした学者達に教わった学生たちの多くが教師になって、子供たちに自虐史観を教え込んだ。かくして東京裁判史観が歴史教育を通じて若い世代に次から次へと刷りこまれていったのだ。


歴史学研究会・委員長の永原慶二・一橋大学名誉教授のごときはその著9の中で、「日本の歴史学は東京裁判によって正しい歴史の見方を教えられた」とまで述べている。一部の例外を除いて歴史学アカデミズムは、いまだに東京裁判史観支持に凝り固まっているのが実情だ。


まともな歴史認識を主張しているのは、歴史学界とは縁がない学者ばかりだ。評論家・英語学の渡部昇一氏、西洋経済史の黄文雄氏、ドイツ文学の西尾幹二氏、哲学者の長谷川三千子氏、英文学の中村粲氏、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、元航空自衛官の潮匡人氏、ドイツ文学・比較文学の小堀桂一郎氏、ヨーロッパ外交史と国際政治学の中西輝政氏、数学者でエッセイストの藤原正彦氏、等々、枚挙にいとまがない。いずれも肩書きをはみ出した広範囲の優れた知的活動を行っている。


法律学界も同様だ。東京裁判の実体は戦勝国による不法なリンチであったので、連合国でさえその妥当性について自信を持っていなかった。ところが、東京帝国大学法学部の国際法の世界的権威と目されていた横田喜三郎・教授は、驚くことに東京裁判が正統なものであったと論じたのだ。
彼は『戦争犯罪論』を書いて、東京裁判史観を無批判に受け入れ、かつ「ほとんどすべての国家の間で、侵略戦争を国際犯罪と見ようとする強い意向のあることは、疑いを入れない」 と述べた。当時、他の多くの法律学者も雪崩の如くこれに追随してしまったのだから、げにWGIPの威力はすさまじいものであった。

自虐史観はいかに発揮されたか
 
世紀日本の歴史学』永原慶二 平成一五年 吉田弘文館 『戦争犯罪論』横田喜三郎著:昭和二二年有斐閣 九十八ページ

■ 政府は慰安婦問題も南京虐殺問題も「なかった」と断言せよ
日本を非難する論調には、「日本は慰安婦の強制連行はなかったと言うが、そんな証拠はないのだから強制連行はあったに違いない」という類の議論が多い。“なかったという証拠はないから、あったに違いない”というのは、論理学でいう「未知論証(AdIgnorntiam)」といって、 全くの誤りである。


たしかに論理的には「あることが無かった」ことを完全に証明するのは「悪魔の証明」(Probatio Diabolica)と言って著しく困難である。無かったことを証明するためには、世の中の森羅万象の全てを調べ尽くさなければならないが、そんなことは不可能だからだ。


しかし、「背理法」(Reductio Absurdum帰謬法ともいう)では 、AとBの双方が同時に存在することは絶対にあり得ないという前提が証明できれば、“Aが存在する”ことを証明することにより、“Bが存在しない”ことを証明することが出来る。それでは間接的だから証明にならないという意見があるが、これは正統な論理による立派な証明だ。
日本政府も「慰安婦の強制連行があったという事実は“確認できなかった”」などと自信なさそうに言うのではなくて、はっきりと「事実無根である」と断言すべきである。

■ 南京虐殺問題
南京虐殺問題については膨大な量の研究が行われているが、その全てをここで考察する余裕はない。ただ指摘したいのは、中国には(ひ「避諱」き=隠す、避ける)という考え方があり、この南京虐殺問題にも大きな影を落としているということだ。
中国では、真実であることよりも、“面子”のほうを大事にする。
背理法:ある命題を証明するにあたり、その命題の否定を仮定して話をすすめると、矛盾が生じることを示し、そのことによってもとの命題が成り立つと結論する論法。逆も成立する。例えば、ある命題の否定(慰安婦問題はなかった)を証
明するにあたり、その命題の肯定(慰安婦問題があった)を仮定して話をすすめると、矛盾が生じる(大騒ぎになった筈)ことを示し、そのことによってもとの命題(慰安婦問題はなかった)が成り立つと結論する論法。
したがって国家や家族のために不利なことは、たとえ事実を曲げてでも徹底的に隠さねばならない。そのために嘘をつくことは、倫理的に正しい行為どころか、義務でさえある。
この問題は、日中戦争初期の昭和一二年(一九三七)に、日本軍が南京市を攻撃・占領した際に中国軍の便衣兵、捕虜、および一般市民を大量に虐殺したという事件だ。蒋介石は一二月七日に早々に退却してしまったので、中国軍の指揮命令系統は崩壊しており、組織だった降伏は不可能だったようだ。南京城の内外に残された大量の中国軍の兵士は軍服を脱いで便衣兵となり逃走をはかった。なお国際法では便衣兵は軍人としての交戦権を有しておらず、投降しても捕虜の待遇を受ける資格はなかった。
前項の「背理法」の個所で述べた、双方が存在することはあり得ないことの例として、以下に「☆」を付して、いくつかの例を挙げておく。
☆ 南京陥落時に約百五十人ものジャーナリストやカメラマンが日本軍に同行していた。しかし誰一人としてこのような大虐殺を見た者はいない。日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されている位だ。
☆ 日本軍の南京攻略から二年後に成立した汪兆銘(=汪精衛)政権も南京虐殺には言及していない。もし大量虐殺が実在していたのであれば政権側もこれを世界に明らかにしただろうが、そのようなことは全くなかった。
☆ 当時、南京の米国領事館のジェームス・エスピー副領事がネルソン・ジョンソン米国大使に送った報告には、そのような虐殺の話は出てこない。なお当時から米国は反日傾向だったから、事実を隠蔽するような脚色はなかったろう。
☆ 中国・国民党の『中央宣伝部国際宣伝工作概況』(一九四一年)においても、日本軍の市民虐殺と捕虜虐殺への言及はない。
☆ 毎日のように開かれていた中国・国民党中央宣伝部の記者会見でも、南京大虐殺は話題にすら上っていない。
☆ 蒋介石は外国人記者と数百回もの会見を行ったが、南京事件への言及は全くない。
被害者三十万人と言うのは東京裁判で登場した数字であるが、明らかに根拠のない誇大数字だ。終戦後にGHQが新聞社に掲載させた“太平洋戦争史”でさえも二万人としていた。三十万人という数は、広島・長崎の原爆による死亡者数に匹敵する数だ。死体処理作業、及びその事務処理だけでも、記録にあらわれずに処理できる数字ではない。
この事件については日本側からの自虐史観に満ちた数多くの書籍や手記が刊行されており、いずれも中国側の日本攻撃のための資料となっている。それらを提供したのは、洞富雄・早稲田大学教授、朝日新聞の本田勝一記者、家永三郎・東京教育大学教授、田所耕三元兵士、『日本は中国にどう向きあうか』渡部昇一 WAC 二○一三年 二六五ページ前掲書 二六六ページ洞富雄:早稲田大学教授。一九六六年に中国に招待されて南京虐殺資料と称するものの提供を受けた。洞はこの資料を基にして著書『南京大虐殺』、『日中戦争史資料』、『日中戦争 南京大残虐事件資料集』等を次々に刊行して、南京虐殺が史実であったと主張した。本田勝一:朝日新聞記者。一九七一年に約四十日間をかけて中国各地を取材旅行随行ジャーナリスト:日本人記者、ロイター、APなど、欧米の記者たちを含む。
米国パラマウント・ニュースの南京占領の記録映画クルーも、「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」という英国系の英字新聞の記者も、いた。しかし誰一人としてこのような大虐殺を報じてはいない。むしろ日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されている位だ。東京日日新聞の金沢喜雄カメラマンも「南京を歩き回ったが、虐殺を見たことがない」と証言している。朝日新聞も「平和蘇る南京」のタイトルで城内の写真を掲載している。
家永三郎:東京教育大学教授。教科書に南京大虐殺が史実であるかのごとき記述をすると共に、教科書検定制度自体が違憲であるとして提訴し、一九六五年から長期にわたる家永教科書裁判が開始された。田所耕三:南京陥落後の約十日間にわたって自ら殺人と強姦を行ったと告白したが、筑波大学の竹本忠雄・教授と国学院大学の大原康男・教授の研究によれば、彼が所属していた部隊は陥落二日後には南京から転進しているので、この人物が十日間も南京に残留した筈はないと指摘した。後に、彼自身が「ある記者から、何か面白いことはないかと聞かれたので、あることないことを喋っただけだ」と告白している。なお彼の言辞はアイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』曽根一元兵士、松岡環らであった。

■ 慰安婦問題
慰安婦問題は全くの虚構だ。韓国の教科書でさえ一九九六年以前のものには記載はない。全て朝日新聞の誤報と捏造から始まったといっても過言ではない。その朝日新聞も、ついに平成二六年(二○一四)八月五日付の紙面で誤りを認めて、記事を取り消した。同紙が十六回も取り上げた吉田清治氏の「慰安婦を強制連行した」との証言も、虚偽だったことを認めた。しかし謝罪は一切なしで、言い訳に終始した。過去三十五年間も訂正もせずに継続して自虐史観を発揮し続けたのは許し難い。
吉見義明・中央大学教授は、軍の関与を示す文書を発見したと称し、朝日新聞はこれを「大発見資料」と大々的に報じた。しかし、実際には、①現地女性を保護する、②兵士の性の問題を解決する、および③性病の蔓延を防ぐ、という社会的責任を果たすために軍が関与したものだった。断じて強制連行を示す文書ではない。
河野談話が発表された当時の調査では、軍の強制連行を示すものは何にも引用されて一人歩きをしている。曽根一夫:南京虐殺についての連続三部の手記『私記 南京虐殺 ―戦史にのらない戦争の話―』(彩流社 一九八四年)を出版したが、全くの創作だった。その中で自分は歩兵の分隊長として戦闘に参加したこと、南京陥落後に自ら虐殺を行ったこと、及びその目撃をしたこと、等を書いた。しかし彼は本当は砲兵の初年兵であり、南京入城式には彼の部隊の一部が参加しただけで、彼は城内にも入っていなかったことが明らかになった。
松岡環:元、大阪府松原市の小学校女教師。南京虐殺事件の研究者として数々の著作を発表している。中でも『南京戦~閉ざされた記憶を尋ねて』 では、百二名の元・日本兵が中国で犯した数々の非道な行いを書き注目された。朝日新聞と毎日新聞は之を絶賛し、日本国民に深く反省をするように促した位だ。ところが、亜細亜大学の東中野修道教授に、兵士は全部仮名で検証不可能であり、内容は間違いだらけであることを指摘された。吉見・中央大学教授の資料発見:吉見教授は平成四年(一九九二)に防衛庁防衛研究所図書館で閲覧した慰安婦に関する資料をコピーして、朝日新聞の記者に渡し、「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」とコメントした。朝日新聞はこれを「大発見資料」と報じて、同日の社説で「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」、「その数は八万とも二十万ともいわれる」とした。も出なかった。しかし韓国外務省から「これは元慰安婦の名誉にかかわる問題なので、強制を示唆する言葉をどうしても入れて欲しい、そうすれば今後は賠償その他の問題は一切起こさない」との強い申し入れがあった。そのために日本政府は、原稿を事前に韓国側に見せて文面の調整を行い、あたかも軍が強制的に慰安婦を拉致したとしか読めないような談話を作ってしまった。
「穏便な大人の対応」をして一挙に政治的決着をつけるつもりだったのだが、全く裏目に出てしまった。後日、米国下院で謝罪要求決議を提案したマイク・ホンダ議員は、日本のテレビで強制連行の根拠について質問されたが「河野談話という形でコメントが出ているじゃありませんか。どうして日本の首相は心よりお詫びしたのですか。」と答えた。このままでは、河野談話は永久に日本を侮辱し続けるだろう。

■ 靖国神社参拝問題
昭和六○年(一九八五)の中曽根首相まで、日本の首相は約六十回も参拝しているが、それまで中国と韓国は一度も抗議をしてきたことはない。
現在、中国は「首相が靖国神社参拝を止めれば日中関係は大幅に好転する」などというが、絶対にそんなことはない。靖国神社参拝問題は日本人の“心の問題”なのだ。もし外国に脅かされて参拝を止めるような民族ならば、仮に日本が占領されてしまってもパルチザン的な抵抗運動は決して起こらないだろう。中国・韓国のみならず、日本人でさえも“いわゆる級戦犯”が合祀されていることから、首相の参拝は控えるべきであるとか、別の施設を作るべきだなどと言う意見の者がいるが、嘆かわしい。次に述べるような経緯によって、国内法的にも国際法的にも日本には“いわゆる級戦犯”は存在しないのだ。講和条約発効後、間もなく「戦犯受刑者の助命、減刑、内池送還」を韓国外務省からの依頼:石原信雄・内閣官房副長官(当時)の証言。産経新聞 平成二六年(二○一四)一・一八 「一筆多論:先人が決着つけた『戦犯』問題」中静敬一郎「戦傷病者戦没者遺族等援護法の改正:昭和二十七年四月三十日法律第百二十七号。
講和条約第十一条:日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の諸判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。(外務省訳。ただしjudge entsは「諸判決」とした。)加藤千洋:朝日新聞記者、中国総局長、編集委員、論説委員。二○○四~○八年にテレビ朝日の『報道ステーション』にコメンテーターとして古舘伊知郎と並んで出演した。二○一○年からは同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。靖国神社問題を国際問題に仕立て上げて日本を辱めた元凶である。求める国民運動が起って、日本人の約半分にあたる約四千万人の署名が集った。衆参両議院とも、保革の区別なしにほぼ全会一致で赦免決議を採択した。
これにより日本政府は昭和二八年(一九五三)八月六日付で「戦傷病者戦没者遺族等援護法を改した。これはABC各級の戦犯者の犯罪者扱いを取り消して、戦争中に公務で傷病死・戦死した公務死扱いとして、遺族年金や弔慰金を支払うこととしたものだ。
この決議と法律改正は、同講和条約第十一条の戦犯者の赦免を阻止しようという本来の趣旨に反する。それにもかかわらず、連合国各国が等しくこれを承認したのは、連合国でさえも、後日そのような条項は国際法に反すると反省したからだ。
かくして、昭和五三年(一九七八)の秋からは、靖国神社に旧“いわゆ級戦”が合祀された。翌年には大平首相が二回参拝している。その大平首相が中国を訪問した際には大歓迎を受けている。
ところが昭和○年(一九八五)八月、朝日新聞の加藤千洋・特派員が「“靖国”問題・アジア諸国の目」、「戦前回帰」、「軍国主義の復活」などのヒステリックな反日記事の連載を始めた。八月一五日には中国外務省に対するインタビューを基にした記事「アジア人傷つける・中国が批判」を掲載し、この問題を決定的にエスカレートさせた。同年八月二六日には、日本社会党の田辺誠書記長を団長とする訪中団が、「中曽根首相は軍事大国を目指す危険がある。あなた達は平気なのか!」と煽動した。これを受けて翌二七日には桃依林(ヨウイリン)副首相が中曽根首相を批判する声明を発表した。
これが、中国が靖国参拝を公式に批判した最初である。中曽根首相は、昭和六○年(一九八五)四月二二日までに計九回の参拝をしたのだが、この批判声明を受けて参拝を止めた。
平成八年(一九九六)四月、クリントン大統領が来日した際、靖国神社参拝を希望した。ところが日本外務省はこれを拒否してしまった。更に平成一四年(二○○二)二月にブッシュ大統領が訪日する際にも、小泉首相と共に靖国神社へ参拝したいとの意向を事前に伝えてきた。小泉首相は承知したのだが、外務省が再び握りつぶしてしまった。
外務省の事なかれ主義には、あきれ果ててものも言えない。もし両大統領の靖国神社参拝が実現していたら、その後の中国・韓国からの執拗な抗議はなかったかもしれない。

【おまけ】

12月20日発売の月刊willに『沖縄「集団自決」の大ウソ』が掲載されました

◎沖縄
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-04-18 14:59:02
>しかし、当のマッカーサーが朝鮮戦争の後に米上院・軍事委員会において 5、連合国が行った対日経済封鎖と石油禁輸は日本を深刻な窮地に追い詰めたと指摘し、「日本が戦ったのは自衛戦争であった」のだから東京裁判は間違いであったという趣旨の証言を行っている。

マッカーサーは資本主義経済の仕組みを知りませんでした。マッカーサーの言葉を鵜呑みにする人は、資本主義経済の仕組みを知らない人だけです。
金本位制による需要不足を重商主義で乗り切ろうとしたから対立が起こりました。為替ダンピングは需要を縮小させただけです。
資本主義経済はとにもかくにもお金を速く動かさなければ経済成長することができないのですが、お笑いクソ国家は経済成長を全く理解しておらず、目先の自国の利益しか見えていなかったのです。
所謂ハル・ノートを受け入れていれば戦争は起こりませんでした。
植民地も資源もない日本国は自由貿易に徹し、世界第2位の経済大国になりました。

【ハル・ノート】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-77.html
【ハル四原則】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-158.html
【大日本主義の幻想】
http://bungeikan.jp/domestic/detail/56/
正気ではない (KOBA)
2024-04-19 13:53:52
 パチ倒ブログに荒らし投稿しては削除されるの繰り返しをやってるewkfcの屑ブログリンクして恥ずかしいとも思わないのが池沼寄生虫。

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