星雅彦、上原正稔両氏の沖縄二紙への衝撃的告発にも関わらず、沖縄タイムスと琉球新報は依然として沈黙を守ったままである。
そこで週刊新潮、サピオに続いて、チャンネル桜が両氏の告発の真意を知るため現地取材した。
以下はその動画です。
1/2【沖縄集団自決】うらそえ文藝・星雅彦氏、1フィート運動・
2/2【沖縄集団自決】「軍命令」とせざるを得なかった事情・照屋昇雄氏に聞く[桜 H21/7/27]
インタビューで出てくる、「一フィート運動」は、上原正稔氏が創設したものだが、その後太田元知事を初めとする左翼学者に乗っ取られ、現在は左翼の巣窟になっていることは、過去のエントリーで触れた。
以下は「第五章「ハーバービューホテルの決闘」 「1フィート運動」の正体」の再掲です。
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上原氏と若い仲間たちが、右も左もない純粋な気持ちで沖縄戦の記録発掘のため立ち上げた「1フィート運動」は、
設立当初から「良識者」の仮面を被った沖縄の左翼勢力の卑劣な乗っ取り劇により左翼の巣窟と化してしまう。
彼らが、自分のイデオロギーの宣伝、浸透のために「1フィート運動」の名を有効に利用していることは前に書いた。
その典型的な例がこれだ。
【必見】⇒白旗の少女の神話ー改定版
さらに最近では「集団自決訴訟」で被告側の弁護のため、くり返し「1フィート運動」の名を利用しているいることは周知のことである。
「集団自決」の本質探る 1フィートの会 証言ビデオ制作【12月22日】 <謝名元慶福さん監督/慶良間は沖縄戦の縮図>
当日記でも「1フィート運動の会」が「集団自決訴訟」の被告側応援のプロパガンダ映画を作製して全国で上映会をしていることをエントリーした。
「集団自決」の「平和ツアー」にも「1フィート運動」の名を表に出して、
1フィート運動⇒ 平和運動⇒ 「集団自決訴訟」被告応援
といった印象操作に懸命である。
「集団自決」悲劇学ぶ 1フィート運動の会が平和ツアー
2008年3月23日
「集団自決」など渡嘉敷島の戦争について語る吉川嘉勝さん(右)=22日、渡嘉敷島
【渡嘉敷】子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会(通称・沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会)が今年12月に設立25周年を迎えるのを記念して渡嘉敷島平和ツアーが22日、行われた。同会の会員ら12人が参加し、渡嘉敷村教育委員長で「集団自決」生存者の吉川嘉勝さん(69)の案内で「集団自決」跡地、朝鮮人慰安婦の慰霊碑「アリラン慰霊碑」など島内の戦跡を回り、現場で当時の悲劇について考えた。
同村北山の「集団自決」跡地で、自身の体験を語った吉川さんは「当時少なくとも500人以上がここに集まった。1カ所に集められなければ『集団自決』は起きなかった。赤松隊長本人が手記に『ここに集めたほうがいいと示唆した』と記している。閉ざされた地域での隊長の示唆は命令以外の何物でもない」と強い口調で訴えた。
同会の福地曠昭代表は「教科書検定のように沖縄戦の歴史を歪曲(わいきょく)しようとする動きもあり、会の活動は今後も重要視されていくと思う」と述べた。フィールドワーク終了後は、村中央公民館で米軍の慶良間上陸実写フィルムなどの上映会が行われた。
先日、座間味村で映画の上映会があったが、
渡嘉敷村での上映会は何故か延び延びになっており、予定日を過ぎても上映会が行われたという報道はなかった。
その渡嘉敷村でのフィルム上映会が一か月遅れて、一昨日の4月25日(土)にやっと開催された。
脱線するのは当日記の常なので、「1フィート運動の会」の渡嘉敷村での上映会の顛末に話は飛ぶ。
「1フィート運動の会」の上映会は約5~5人のスタッフで、大体次のような式次第で行われている。
プログラム
(1)沖縄戦・未来への証言(1986年作品・脚本 嶋津与志・55分)
(2)ドキュメント沖縄戦 (1995年作品・脚本 柴田昌平・57分)
(3)沖縄戦の証言 (2005年作品・脚本 謝名元慶福・35分)
(4)中村文子1フィートの反戦 (2003年RBC放送・33分)
で、25日の上映会だが約300人収容の渡嘉敷村中央公民館に当日集まったのはスタッフも含めて約35人で、だだっ広い会場は閑散としたものだった。
スタッフを除いた約30名の参加者には新報、タイムスの通信員も含まれ、観光客らしき人が2~3人。他は地元の住民で戦争体験者の年齢層の方も5名ほどいた。 更に住民の中には移住者らしき人が7~8人ほどいた。
以下はたまたま上映会に参加した知人の情報を基に映画の感想を書いたもの。
新作ということで、当時の映像に少しは期待もしていたが、内容は案の定、米軍の記録映像は都合の良い所だけカットして使ったのか、断片だけで、殆どがタイムスの証言集で登場した人物の話だけで都合よくまとめられていた。
「1フィート運動」で米軍の記録フィルムを都合の良いように悪用して歴史を捏造する例である。
加えて赤松隊の本部跡の壕の映像では、小さな入口の映像のみを映して次のシーンで内部の映像には、長野県松代市の立派な司令部壕が、
あたかも赤松隊の本部壕でもあったかのようにナレーションで説明、印象刷り込みを行い、次に元慰安婦の証言や朝鮮人軍夫の証言等へと続く。
赤松隊の実際の本部壕の中は落盤していて現在入れないし、当時でもとても村民を収容する余地はなかった。
つまり本部の映像をそのまま放映したら広大の本部壕に赤松隊がいたという印象操作が出来ないと判断して、何の脈絡もない長野県の壕の映像をツギハギしたものと思われる。
最後の部分には当時の前島区長の子息の証言が出てくるが、
要旨は「父は、隊長に島を守るため軍の駐留は必要かと聞かれ、時の校長と二人して『この島は自分たちで守りますから』と答えたので軍は駐留しなかった。」
つまり前島には軍隊はいなかったのだが、
「米軍は戦力のない島を攻めては来なかった→従って自決に追い込まれることもなかった。」となるべきところが、
「日本軍が居なかったので集団自決は起こらなかった」と言うこと言いたいらしい。
登場する証言者の話も、都合の良いところだけ取り入れ、継ぎ接ぎして捏造に近い。
当時の記録映像は一握りの被告側応援団が「目的を達成するために作った」宣伝道具だといえる。
期待して観たが、「やっぱりなー」とがっかりした。
これはフィルムを観た知人の総体的感想。
ウソも繰り返せば歴史になる。
そのために「1フィート運動」制作の映画がツギハギ映像を「繰り返し繰り返し宣伝する」・・・これはナチスの情報相ゲッペルスによる手法である。
どんな意見、思想でも繰り返し何度でも伝えることによって正当な物に感じるようになる。
続く
2/2【沖縄集団自決】「軍命令」とせざるを得なかった事情・照屋昇雄氏に聞く[桜 H21/7/27]
拝見しました。すごいですね。
照屋さんも語りながら、涙してましたが、真実の涙です。一点の曇りもありません。
それから、チャンネル桜 女性のアナウンサー 『大高未貴さん、、?」はっきり、すつきりの説明素晴らしいです。正に「朝のサンピン茶」です。
『軍命なし』再確認しました。
目取真ブログにいってきました。「書評狙われた集団自決」のエントリーへコメントを入れてきました。おそらく無視されると思いますので、こちらでお邪魔させてください<(_ _)>
(転載はじめ)
目取真さま こんにちは
被告側支援者のお書きになったものですね。早速拝読させていただきます。情報に感謝します。
>村の幹部としての立場上、座間味島の「集団自決」で大きな役割を担わされてしまった宮里盛秀氏は、大江・岩波沖縄戦裁判のなかでも焦点となった人物である。その宮里氏が、米軍が上陸したら「玉砕」するよう軍から命令を受けていたことを示す証言を、妹の宮平春子氏が行った。裁判や教科書検定問題のただ中で明らかにされた同証言は、大きな注目を浴びた。
:この宮平春子証言は県内二紙も大見出しで扱い、「決定的な証言」としておりましたが、果たしてそうでしょうか。彼女は宮里盛秀氏の妹にあたりますね。私の持つ情報では、座間味島の多くの方々は、宮里盛秀氏の墓に唾を吐きかけていたようです。たぶん集団自決でご家族を失ってしまったご遺族なのでしょうね。そんな島で生活している宮平春子さんも居心地のいい環境ではなかったのではないでしょうか。毎年やってくる慰霊祭、ウシーミーなどの時期には、否応なしに皆が思い出しますからね。そこで昨今の、当該裁判と教科書検定問題が噴出したことでまた、「忘れたい過去」が蘇ることになります。当然ながら兄の墓に唾を吐きかける者たちも思い出しますね。彼女のお立場なら、肉親である兄盛秀の名誉を回復したいとお考えになられるのは極めて自然な感情でしょう。そのための「軍命」と考えるのはこれまた自然だと思いますが・・。
目取真さんが仰る太田良博氏、牧港篤三氏ご存命中に星・上原両氏は議論を起こさなかったのか?関係者が故人になってから言いたい放題、は「うらそえ文藝」を精読してない証拠ですよ。その時から「軍命なし」の考えではなかったはずです。逆に宮平春子さんは、なぜ、今頃になって「重大な史実」をしょうげんしたのでしょうか?妹・家族の証言は、過去の県内二紙でも取り上げるに値する証言とは見ないと考えたのでは?もしかしたら、証言しても過去の県内二紙がスルーしたとも考えられますね。
(転載おわり)
長文ですいません。
歴史はどんどん変わってしまうけれど、故意に変えるのは、今まで人間が生きてきて、これからをどう生きようかという指標が、折角作って来た道筋が消えてしまう。
頭のいい人たちが何故分からないのかと、ため息しか出ない今日この頃です。
私と同じバカな人たちが目覚めなきゃいけない時期なんでしょうね。それが1番難しい。
上原さんは朴訥ですが、話されている内容は凄いですね。そのまま沖縄戦後史の闇の部分です。
人間の心は圧力で抑えきれるものではありません。
目取真のブログにも沖縄の知識人は、この二人に反論すべき。などとのコメントがありますが、反論できるはずもありません。自分達のやってきたいかがわしさを、世間に曝すだけです。
集団自決裁判で、被告側が、軍命ありの証拠として、提出した元琉球政府援護局長の山川氏の著書「秘録 沖縄戦史」もご子息の手により、平成18年に37年ぶりに修正され、「隊長命令説」を削除しています。間違いを認めることは恥ではありません。それが出来ない沖縄のマスコミはすでに存在価値が無い。といえると思います。
照屋さんは証言の後、無言電話や嫌がらせの電話に悩まされたそうです。
沖縄で真実を語るのはまだまだ大変ですが、星さん、上原さんを支援したいと思います。
縁側さん
「目取真への伝言」は本文に貼り付けておきました。
常識のあるものなら「身内の証言」は疑ってかかるのが常識ですがね。
もう一人の身内・宮村幸延氏(宮里盛秀の弟)の梅澤さんへの「詫び状」も裁判になるや、「泥酔させられたので覚えていない」が言い訳として通るのですから、「何でもあり」がこの裁判ですね。
>関係者が故人になってから言いたい放題
軍命に関する「定説」がどれだけクルクル変わったか、目取真センセがご存知ないわけないと思いますがね。
ケロさん
>「ウソも繰り返せば歴史になる。」
動画で上原さんが言っていましたね。
「皆でついたウソも一人の少年の真実の言葉で崩れてしまう」と。
今「集団自決」のウソが音を立てて崩壊しています。
涼太さん
>目取真のブログにも沖縄の知識人は、この二人に反論すべき。などとのコメントがありますが、反論できるはずもありません。自分達のやってきたいかがわしさを、世間に曝すだけです。
仰るとおりです。
彼らは新聞と言う「護送船団」に保護されないと議論も出来ないのでしょう。
今後彼らは「隊長命令の有無は問題でない」「その背景にあるものを」「矮小化し」「皮相化」とか、何とか、得意の論点ズラシで逃げるでしょうが、ネット時代の昨今、そのような苔むした手では良識ある読者は納得しないでしょう。
星さん、上原さんを支援したいと思います。