狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

集団自決、裏の主役富村順一、梅澤さん生存の発見者

2020-08-03 05:15:00 | ★改定版集団自決

 

狼魔人日記

 NO!残紙キャンペーンサイト

 

⇒最初にクリックお願いします

 

過去記事改定版・究極の転向者・冨村純一、車椅子で梅澤氏を応援2019-08-25 の再掲です。(一部編集)

■究極の逆転向者ー富村順一■

前回、極左作家富村順一氏の恐喝に屈して『鉄の暴風』の「梅澤さん死亡」のデタラメ記事を人目を避けるように削除した沖縄タイムスは、その歴史に致命的汚点を残したと書いた。

口止め料として50万円を脅し取った上、タイムスの願いを踏みにじって自著で「削除記事」を暴露し大儲けをした富村順一氏について今回も触れる。

現在大阪西成区に在住の元極左活動家、富村順一氏は、「大江・岩波”集団自決裁判”」には不自由な車椅子の体を押して大阪地裁まで来て、梅澤・赤松両元隊長の無実を訴え、大江に謝罪を求める文書を配布した。

左翼に襲われ車椅子生活に!

それまでの極左的発言から、ドラマチックな「転向」をし、原告側応援団の仲間入りした富村氏は、それまでの作家として、あるいは沖縄の「文化人」としての安逸な生活を失ってしまった。 

富村氏が「転向」の代償として受けたのは社会的経済的マイナスの他に、「裏切り者」として左翼集団による肉体的暴力だった。その結果現在車椅子生活を強いられている。

富村氏は、左翼集団の暴力により、手にも損傷を受け、原稿を書くことさえママならない状態であるという。

■富村氏が極左作家になった経緯■

富村順一氏は1930年5月3日、沖縄県国頭郡本部に生をうける。生来の反抗心から学校でトラブルを起こし小学校二年で放校となる。

15歳で終戦を迎えるが、戦後は窃盗、暴力行為と刑務所の出入獄を繰り返し、1955年保釈中にクリ舟で米軍統治下の沖縄を脱出し、奄美徳之島経由で島伝いに鹿児島に上陸する。

以後全国を放浪するがその間も犯罪を繰り返し、各地の刑務所の出入獄をくり返す。

1970年7月8日、「70年安保騒動」に刺激をうけ、「東京タワー占拠事件」を引き起こす。 

その日、富村氏は牛刀二丁を手に、たまたま東京タワー見学中の米人宣教師を人質にとり、タワー特別展望台を占拠して、次のように叫んだ。

「日本人よ、君たちは沖縄のことは口をだすな」

「天皇は第二次世界大戦で300万人を犠牲にした責任をとれ」

「沖縄の女性みたいに、正田美智子も売春婦になり、沖縄人民のためにつくせ」

結局、逮捕、起訴され、懲役3年の実刑を受けるが、公判中その過激な言動に共鳴した左翼弁護士の支援団体が結成され、獄中で弁護団と交した手紙が『わんがうまりあ沖縄」(富村順一著 拓植書房 1972年)として出版されることになる。

出版日が沖縄返還の日の直前という話題性と、特異な犯罪を起こした沖縄出身者という好奇の目もあったが、そのたどたどしい日本語の文体をそのまま校正なしに出版したことが読者の興味をそそり、この類の本には珍しく重版を続けベストセラーの仲間入りをする。

ちなみに同書の前書きには「富村公判対策委員会 富村順一手記編集委員会」の名で次のような解説が付いている。

<○原文中、ら行とだ行の置き換えが、たとえば「やられる」が「やだでる」のように用いられています。これを17頁~35頁までの間のみ、ルビをつけ例としました。 それ以降は原文のままにしておきました。

○原文の漢字の誤用はカタカナに書きかえました。しかし、これはすべてではなく、誤解をまねくものを主にし、本人の原文中、カタカナで記されているものとの区別はつけません。

○送りガナはあえて統一しませんでした。

○原文中、促音がないものが大部ありますが、それも原文のままです。

○原文中、「   」の部分を傍点をつけ、「    」をはずしました。>

支援弁護団と出版社の描いた「小学校もろくに出てない虐げられた沖縄人が書いた日本に対する抗議の書」、といったイメージは見事成功した。

同書の成功以後極左集団の支持を受け、次々とサヨクが狂喜するような過激なテーマの出版を続け、沖縄に戻っても沖縄タイムスを始めとする左翼メディアや左翼文化人にちやほやされ、講演会や執筆活動に追われるようになり、すっかり沖縄左翼のヒーロー的存在になる。

富村氏の著作を拾ってみても沖縄の左翼文化人が喜ぶような過激なそのタイトルが並んでいる。

『沖縄にとって天皇制とは何か』沖縄タイムス社 編。 沖縄タイムス社。 1976。 タイムス選書 

『沖縄戦語り歩き 愚童の破天荒旅日記』 富村 順一 編著。 柘植書房。 1995。 

『沖縄戦に散った愛 天皇の押し花になった子供たち』 富村 順一 著。 JCA出版。 1982。 

『隠された沖縄戦記』 富村 順一 著。 JCA出版。 1979。 

『韓国の被爆者』 富村順一 著。 JCA出版。 1980。 

『皇軍とアイヌ兵 沖縄戦に消えたアイヌ兵の生涯』 富村 順一 著。 JCA出版。 1981。 

『最敬礼拒否の足跡 戦犯天皇を裁く』 富村 順一 著。 破防法研究会。 1974。 

『十字架と天皇。 富村 順一 著』 たいまつ社。 1977。 (たいまつ新書18)。

『富村順一氏意見陳述集 「東京タワー事件」』 富村 順一 著。 富村公判対策委員会。 1971。 

『もう一つのひめゆり部隊 -戦後沖縄の売春婦-』 富村 順一 著。 JCA出版。 1982。  

 『琉球慰安婦 天皇制下の闇の性』 富村 順一 著。 JCA。 1977。  

 『わんがうまりあ沖縄 富村順一獄中手記』 富村 順一 著。 柘植書房。 1972。  

                    ◇

富村順一氏の人となり知るための参考に、本人を良く知ると思われる人物のネット記事を次に紹介する。

ニホンの夏を駆け抜けた三人との出会い(転載)

毎年この時期になるとなぜか三人の人間のことをおもいだす。ひとりは沖縄人であり、ひとりは日本人であり、そしてもうひとりは韓国人だ。ふたりはすでに故人となられ、もうひとりは消息が掴めない。▼最初に出会ったのは沖縄生まれの富村順一というヤクザものだった。二十代初めのころのことだ。どのような経緯から知り合うことになったか判然としないのだが、当時さかんにおこなわれていた新左翼系の集会の場ではなかったか。ごつい身体に野獣のような精気をみなぎらせ真っ黒に日焼けした四角い顔で手刷りのパンフをひとり頒布していた。パンフには『死後も差別される朝鮮人』というおだやかならざる表題が付いていた。好奇心から手にとってみた、そこには沖縄の離島のひとつで第二次大戦末期に日本軍によって島の住民多数が虐殺された事件のことが記されていた。そのなかには乳児までが日本軍によって斬り殺された在日朝鮮人一家・具仲会さんの名前があり、彼が訴えていたのは、そのことだった。「オレは沖縄人だが、在日朝鮮人は日本人に差別され沖縄人にも差別されている、住民虐殺のあったその島でも朝鮮人故に同じ虐殺遺族の人たちからも避けられてしまって居るんだ、二重三重の差別の実態をオレは告発したい」と富村はわたしに熱っぽく語りかけた。そうしたことからわたしも彼の運動に協力することになったのだった。▼沖縄出身のフリーライターの友人が居て彼もまた富村の主張に共鳴し参加した。やがて運動はひろがって、虐殺の地に無念の想いのままに死んでいった被害者たちの石碑を建てることになった。それはけして「慰霊の碑」ではない、むしろ死んでいった人びとの恨みを刻んだものであるべきだということになり、『痛恨之碑』と名付けることになった。

                   *

 
嘗て「東京タワ-事件」というのがあった。1970年7月8日の『朝日新聞』に「8日午前11時半ごろ、東京芝公園の東京タワ-特別展望台(地上250メト-ル)のエレベ-タ-前で、男が刃物を持ち『韓国人と20歳以下の者はおろしてやるが、日本人と、アメリカ人はおろさない』とわめいていると愛宕署に連絡があった。20人ほどいた客をエレベ-タ-で降ろしはじめたとき、男は新潟市の日本ル-テル教会宣教師ヒンズ・ダビテさん(39)のところへ男がかけより、ダビテさんの首に刃渡り20センチの包丁をつきつけた。愛宕署員が『刃物を捨てろ』と説得する一方で、さらに応援がかけつけ、約15分後にすきをみてとびかかり、警棒で包丁をたたき落とし、脅迫、銃刀法違反で逮捕した。調べに対し男は沖縄・本部東区富村順一(40)」と報じられていた。
1972年発行の富村順一公判資料『怨念は永遠に』によれば、事件当日の富村はシャツに「日本人よ君たちは沖縄のことに口を出すな」「天皇は第二次大戦で200万人を犠牲にした責任をとれ」と書いていたという。また、意見陳述では『天皇の娘である島津貴子や皇太子の妻美智子も皇后も、天皇や皇太子の前で米軍に強姦させてみたい」と述べたという。
 
私はこの資料を『青い海』大阪編集室で見た。編集長の津野さんから色々来と話を聞かされたが私には関心がなかった。あんなことで世の中が変わるのか、というのが正直な感想であった。大阪でも沖縄でも敬愛する先輩たちが富村裁判の応援に名前を連ねていた。
1974年発行の沖縄婦人連絡会議なるビラには「富村の女性解放への敵対を糾弾する、
また、白老出身のアイヌ・ウタリは「どうか我らウタリよ、この富村順一なるシャモ(蛆虫)にだまされないでください」などと富村への批判が続出した。
私は、1989年ごろ、大阪ナンバ高島屋前で富村順一を見かけるようになった。このとき貰った名刺には『新日本文学会/富村愚童」とあった。駅のタバコ自動販売機でピ-スを買ってあげると色々と話(「新川明の弱みをにぎっている」など)をしてくれたが、詳細は省く。数日後、富村は自分の本の宣伝をしながら、自分が載っているいる新聞記事(新聞名不詳)コピ-をくれた。新聞記事の題は「さがし続けた夏」で「富村順一、沖縄出身。62歳。かつて、新左翼から「反権力」の象徴にまつり上げられたことがある若いころは、ならず者だった。胸に骸骨、背中に竜の入れ墨がある。『骸骨の順』と呼ばれた。(略)
 
【おまけ】
沖縄タイムス・コラムに掲載された富村順一氏に関する記事。
1973年は沖縄返還の翌年である。
 

1973年6月22日http://www4.ocn.ne.jp/~toguchi/tomimura.html

  沖縄タイムス  唐獅子

  意識した熱狂を

 

わたしでないわたしが走り出し、ブレーキがきかなくなり、意味のわからないことを口走り、行動をとり始める。いま思うと、子どものころからその傾向があったが、政治運動に参加するようになってから、とみに顕著になった。

60年安保闘争のころ、学生大会や政治集会においてもそうであったし、市議会議員に立候補したのも、その後の諸々の闘争においても<いけない、いけない>とブレーキをかけても、暴走するのが常であった。 そんな自分に気付き、壁に<衆人みな酔い、われひとり醒めたり>と<闘いの中にあり、闘いの外に立つ>を貼ったが、結果はやはり狂気じみたものであった。

マックス・ヴェーバーが「職業としての政治」で述べている<政治状況への冷徹な厳しい認識><いかなるものにも挫折しない堅い意志>を持つ職業政治家(革命家)というものに、わたしは、羨望しつつも冷徹で透徹した頭脳による醒めた判断と行為、<白鳥の声など聞こえない(庄司薫)><狼なんかこわくない>といいきれるそのさまに、どうにもやりきれない嫌悪感と劣等感を抱く。

ところで、沖縄の政治(革命)家は、どうであろうか。憤死した謝花昇、「ズル顕」こと宮本顕治にまんまとやられた徳田球一、東京タワー占拠事件の富村順一、二宮尊徳像破壊の大城俊雄、皇居突入の沖青委、国会正門激突死の上原安隆、国会への爆竹投下の沖青同。彼らに共通した沖縄的なものがありはしないか。政治外の日常生活においても、衝動・唐突、大胆・狂気としか思えぬ行動をある日突然行う傾向を沖縄の民は多く持っているのではないだろうか。ロシア革命での作家ゴリキーの悲鳴に似た心やさしいひよわさ、私小説風にいえば、破滅型としかいいようのない傾向を沖縄の民は宿命的に持っているのではないだろうか。お人好し丸出しで痛々しい屋良朝苗知事、背伸びしながらシドロモドロな演説をする国場幸昌議員、両氏の演説の中に自分自身の類型を発見しない沖縄の民は少なくないだろう。

先日、石川県金沢市で富村順一氏から渡された小論文の題名が『浮んだ舟は走る』。わたしは中野重治の『歌のわかれ』を思い浮かべながら、「こんな歌をうたってはいけませんよ」といったが、富村氏の言動に自分自身の多くを見た嫌悪感がいわせたものだった。

さて、沖縄の民は、冷徹な立ち振る舞いなど出来ないのだから、貧乏くじ引き引き意識しながら、熱狂であろうではないか。

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る

⇒最初にクリックお願いします

コメント (2)   この記事についてブログを書く
« 続・決定的証言―宮村幸延氏の... | トップ | 中国、漁船群の尖閣領海侵入... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2020-08-03 08:05:17

オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。

「若者の投票で政治が変わる」のうるま市・安里政弘さん(67)は、2月4日、4月14日、5月8、25日、6月4日に続き今年6回目の掲載。
「夏の味覚 食欲そそるカツオ」の石垣市・早野公子さん(72)は、3月8日、4月4日、5月1日、6月9日、7月6日に続き今年6回目の掲載。
「観光業に県民も協力したい」の浦添市・安東民夫さん(67)は、1月11日、2月27日、3月14日、4月28日、5月20日、6月6日、7月3日に続き今年8回目の掲載。
「第一尚氏の墓 復元案に賛同」の南城市・平良礼次さん(73)は、1月12日、2月3日、3月7日、4月7日、5月6日、6月6日、7月6日に続き今年8回目の掲載。
「地名と住居表示 復活してほしい『重民町』」の豊見城市・久貝克博さん(69)は、昨年10月6日以来の掲載。
「パーマネントの思い出」の那覇市・仲本将成さん(91)は、1月19日、3月5日、4月25日、6月9日、7月26日に続き今年6回目の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。


8月2日付オピニオン面「係から」によると、7月の投稿件数は「主張320件、論壇71件、茶のみ話65件」。同月の掲載は、「主張」142本、「論壇」等30本、「茶のみ話」30本なので、投稿日と掲載日のズレはあるとした上で、掲載率は「主張」44%、「論壇」等42%、「茶のみ話」46%程度となる。


背中に唐獅子、親にもらった大事な肌を墨で汚して白刃の下を~♪  堅気さんが粋なことをやるじゃないか ・・・ お目障りなら(入れ墨を)消してみせます、よっ、唐獅子牡丹高倉健さーん♪ (坂田)
2020-08-03 11:28:32

感染大国で在るインドの致死率が2%切ったとの報道が在り。
然し、未だ100年前のスペイン風邪状態で在ることが事実。

日本は7月に正味感染数が1000人を切り、900人までに減少した途端に、周知の通り正味感染数12000人の今。

連日、新規感染者数1300~1500人台のペースなら、今週末に第一次累計感染数ピーク17000人を超える見通しに在る。

ところが、報道で、現在の全国の重症者(人工呼吸器装着)がなんとわずか90人で、死亡がゼロとのこと。

なお、当初からの累計死亡数が1000人、今の第二次感染に於いて死亡がゼロ、インドの事例も合わせて理由が在るのだろう。比較した統計分析で理由が浮かび上がって来るだろう。

季節性インフルエンザとも違う新型コロナウイルス、インフルエンザの様に暑い時期はウイルスが生きていけないとする医者の既成概念が通用しなかった。

そして、今の低死亡率の謎。ウイルスが変異したのだろうか、未だ謎だらけだ。

6月1日に全国で1400人まで落ちた正味感染数、然し、コロナウイルスが新宿ゴールデン街に潜伏生息していたと医学者の指摘が在った(日本版の)新型コロナウイルスの謎。

中國と欧米からやって来た新型コロナウイルス、その流行が静まった6月1日あたりから新宿に潜伏期間中に、日本の風土病になるべきとして帰化を決意した知能の持主如しで在ること。

とにかく、今までの正味感染数ピークが4月26日の9600人に対して、昨夜がピークを2300人も超えている事実。

だからこそ、琉球新報と沖縄タイムスがコロナ感染数を累計で報じる今の過ちを正さないといけない。累計では現実が視えて来ないからだ。(累計ー回復・退院・死亡=正味感染数)

玉城知事と両紙が3月からの累計を用いる理由は、仰々しく米軍基地コロナ感染数を煽るイデオロギー宣伝のためで在る。

玉城知事がどんなに基地感染で反米を煽っても、基地感染と市中感染に因果関係がなかった。誰も証明が出来ていない。


中国、漁船群の尖閣領海侵入を予告 「日本に止める資格ない」
8/2(日) 産経新聞。

漁船群とは、中國海軍傘下の軍事組織で在る青色の中型鉄鋼漁船のことを指すが、操舵員が民兵とされて船室ファクスに政府からの指示が流される。

これをグレー漁船と呼ぶ、中國海軍はグレー漁船に有事で小隊規模50人の人民解放軍を搭載して上陸させる役目を担う。

今年1~2月、フィリピンが南シナ海南沙諸島で有する有人島を延べ150艇のグレー漁船がとりかこんだことが在る。

なお、尖閣のそれが直ちに「漁船の尖閣領海侵入予告」=「尖閣領海戦争に至る」にはならない。

もしも、尖閣諸島侵奪目的だとしても、その程度の火力なら自衛隊と戦う能力がまったくないので、戦術になっていないからだ。

あくまでも、中國政府の挑発言動で在り日本政府の出方を診ることに狙いが在るが、安倍総理が沈黙なら本当にやって来る。

なお、数年前にグレー漁船団300隻が尖閣諸島領海接続水域外でとりかこんだことが在った。

今度、来たときは300隻を超えるのかどうかに注目しましょう。

そもそもさ、世界の国でどこが中國の様に政府が漁船を統帥する国が在るのだ。初めから中國海軍艇と判り切っているよん。

日本政府が直ちにやるべきこと、巡視船と護衛艦艇が領海侵犯に実力行使を速やかに実施出来る様に法改正を願います。

更に、習近平国家主席に対しての警告として、親中主義の権化で在りアメリカ政府がリスク・マークした二階俊博幹事長と、二階氏に追随した石破茂議員をお尻ぺんぺん願います。

習近平国家主席が明らかにポスト安倍総理に狙いを定めて来た。石破茂議員だから、総理になれるならあっさりと二階俊博幹事長の言いなりの従中主義者になる。愛国主義がないからだ。

コメントを投稿