狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

林教授の理屈は「画一的教条論」

2007-10-15 07:01:22 | 教科書

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当日記にしては珍しく「しんぶん赤旗」引用によるエントリーです。

目玉は沖縄史の専門家と称する林関東学院大学教授の怒りの反論です。

反論したつもりが自爆したりして。

                      *

2007年10月12日(金)「しんぶん赤旗」

論戦ハイライト沖縄戦集団自決「軍の強制」削除
文科省が検証なしに20年来の記述覆す
検定意見こそ政治介入

 十一日の衆院予算委員会で日本共産党の赤嶺政賢議員が質問した沖縄戦「集団自決」にかかわる教科書検定問題。「沖縄の心」を背にした気迫の追及に、文部科学省が専門家の意見も聞くことなく勝手につくった意見書が、まともな審議もなく通ったもので、まさに自作自演のものであることが鮮明になりました。

 

赤嶺議員の質問


(写真)質問する赤嶺政賢議員=11日、衆院予算委
 
 「十一万人が集まった熱気。参加者の中には、戦争で犠牲になった自分の身内に『今日は手を合わせてから来たよ』という人もいたし、四十一市町村長すべてが参加した。文字通り、県民の総意として、教科書検定の撤回、記述の回復、これが確認された。総理はどう考えるか」

 冒頭、赤嶺氏は、教科書検定意見撤回の県民大会に十一万人が集まった思いを福田康夫首相につきつけ、見解をただしました。首相は「県民の思いをこれからも重く受け止めてまいりたい」というだけ。渡海紀三朗文科相は教科書会社の訂正申請がおこなわれても「検定意見の撤回にはならない」と答弁しました。

不十分な審議文科相認める
 「検定の中立・公平」をたてに検定意見の撤回を拒否する政府に赤嶺氏がつきつけたのが文科省が提出した「文部科学省原議書」です。二十年間もの間、誰も意見をつけなかった「集団自決」の軍の関与について、だれが意見をつけたのかを問いただしました。

 赤嶺  この原議書には、教科書調査官の四人の印鑑と、起案者の印があり、そして係長、専門官、企画官、課長、それから総合調整課長、そして審議官、局長の合計七人の印鑑が押されている。そのなかに調査意見書として、「日本軍によってあるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」という部分に、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現がある」と書かれている。

 赤嶺氏は、文科省ぐるみの検定意見だったことを動かぬ証拠で暴露したのです。

 赤嶺  この調査意見書というのは、調査官はじめ、文部科学省ぐるみでこういう意見をつくったということになるんですか。

 金森越哉・文科省初等中等教育局長 調査意見書は、教科書調査官が審議会の委員と各教科科目ごとの専門委員、教科書調査官の調査結果をとりまとめ作成するものだ。中立的公平的に行われているもので、政治的、行政的意図が入り込む余地がないものだと考えている

 こういいのがれようとした政府。しかし、赤嶺氏は検定意見にもとづく教科書審議会の審議の中身にも切り込みました。

 赤嶺  大臣、専門的、学問的議論があったのか、認識しておられないんですか。大臣は。

 渡海文科相 検定調査書を専門官が出したものについて、審議にはかって、最終的に決めた。その段階で、いわゆる意見があったかなかったかというと、それほどなかったと聞いている。

 審議にはかりはしたが、意見はでなかった―。二十年もの間、意見がつかなかった歴史認識の問題で文科省が初めて意見をつけたにもかかわらず、それにたいする審議が極めて不十分だったことを認めたのです。

 渡海文科相は、「手続きはちゃんととられた。意見がでたのかということについて言えばあまり大きな異議がなかったと報告されている。それは議論をしていないというふうに言われるとちょっと違う」などと、居直りました。
 

沖縄戦専門家審議会に不在
 教科書検定には専門的、学術的意見を取り入れているという文科省。では、審議会の構成はどうだったか。

 赤嶺  審議会や小委員会や部会のなかに、沖縄戦の専門家はいたのか。

 金森局長 沖縄戦を専門に研究している方はいなかった。

 赤嶺氏は日本史小委員会のメンバーが沖縄の地元紙のインタビューに、「沖縄戦の専門家がいない。(文科省の)調査官のほうがよく調べており、(審議会の)委員より知っている。説明を聞いて納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家がいれば結果はだいぶ違っただろう」と答えていることも紹介。「沖縄戦について研究し、実績を積み重ねてきた、そういう人がまったく入らない場所で、沖縄戦について誤解を受けるおそれがあるとの意見書をだしてこれが独り歩きしている」と厳しく批判しました。文科省調査官が“証拠”としている本の著者・林博史氏の怒りの声も紹介しました。

 赤嶺  専門委員から事前の意見も寄せられなかった。今回の教科書検定は文科省の一職員が自分の考えで意見をつくって、学術的にも専門的にも、肝心の沖縄戦を体験した沖縄の県民の検証にたえられない意見だ。学問的検証もなされないで、文科省の役人の起案で、いつまでも残るようなことが許されるのか。

 福田首相 この問題については、文部科学大臣にしっかりと対応させてまいります。

 文科省の一職員の意見が検定意見となり、それを撤回もしない―この政府の姿勢を批判した赤嶺氏は、沖縄の思いをこめてこう結びました。

 赤嶺  教科書検定意見の撤回を求める、記述の回復を求めるのは、政治の介入ではありません。真実を回復してくれという、やむにやまれぬ沖縄県民の要求です。その要求を聞き入れない文科省が勝手につくった、その検定意見に固執することこそ政治的な介入だ。教科書に対する政治的な介入は文科省こそやっている。

 

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調査官の意見の根拠とされた著書の作者の反論
 『沖縄戦と民衆』の著者・林博史氏(関東学院大学教授)

・「著書では(『集団自決』は)日本軍の強制と誘導によるものであることを繰り返し強調している。これが検定の理由にされているとしたら心外だ」(「沖縄タイムス」6月17日付)

・「私は、著書の中で1つの章を『集団自決』にあて、その中で『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える』との認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷島のケースでは『軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと』を指摘している」(同10月6日付に掲載された意見から抜粋)

                     ◇

 赤嶺  専門委員から事前の意見も寄せられなかった。今回の教科書検定は文科省の一職員が自分の考えで意見をつくって、学術的にも専門的にも、肝心の沖縄戦を体験した沖縄の県民の検証にたえられない意見だ。学問的検証もなされないで、文科省の役人の起案で、いつまでも残るようなことが許されるのか。

                                             ◇

何度でも言うが慶良間諸島の「集団自決は軍の命令であった」という証拠は何一つない。

係争中の裁判で被告側が唯一の証拠としているものが手りゅう弾である。

手りゅう弾は軍の管理下にあるはずだから、手りゅう弾で「自決」したのだから軍の命令と同じ、というのが「軍命あり派」の唯一つの論拠だ。

だが、この論は手りゅう弾を配ったとされる富山助役の証言に基づいており、その証言自体が崩れ去っていることは再三述べた。

論拠を失った被告側は苦し紛れに反則技の「すり替え論」で対抗しようと悪あがきを始める。

まるで、チャンピオン内藤の技に手も足も出ないと分かった亀田大毅があせって見苦しい反則技を繰り出したように。

沖縄戦史の専門家と称する林博史関東学院大学教授の論法がまさにそれだ。

「軍の命令」という証拠がないと次のような反則技(すり替え論)を繰り出してくる。

>「『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える』

「戦争体制」?

「日本軍によって殺されたと言っても妥当である」?

これが沖縄戦史の専門家と称する学者の説とはにわかに信じがたい。

本人の思い込みと推論だけの主張を、詳しく論評をするまでもないだろう。

この「沖縄戦史の専門家」は「直接の軍の命令の有無は問題ではない」と主張している。

「11万人の集会」が揺らいで来ると、「人数の問題ではない」といった誰かさんと理屈は同じである。

おまけとして、林教授の「すり替え論」の例を沖縄タイムスで鑑賞してみよう。

◆沖縄タイムス<2005年7月4日 朝刊24面>

[「集団自決」を考える](20)
(20)識者に聞く(3)
林博史関東学院大教授


命令有無こだわり不要
前提に「逆らえない体制」

 ―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。

 「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう

 ―沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は。

 「軍人がいると住民は投降できない。投降できないとしたら、壕に隠れていて、攻撃されるしかない。あるいは、軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る」

 「沖縄のような島では、逃げ場がなく、教育も徹底している。役場も軍も、そこから言われたことはお上の『命令』である。村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても、幹部自体が国家の末端だから、『村が勝手にやった』とはいえない。軍の免罪にはならない。個々の軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、住民が追いつめられ、『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」(略)

 

お見事と拍手を送りたいくらいだが、ついでにもう一つおまけを付けておこう。

現代史の専門家秦郁彦元千葉大教授も、林教授の理屈を「画一的教条論」として厳しく批判している。
 
『まずは沖縄タイムスだが、『鉄の暴風』の発行元であるだけに責任は重いはずなのに、・・・(略)・・・なぜこんなに挑戦的なのか理由は不明だが、沖縄タイムス社の役員が梅沢氏を訪ねて丁重に謝罪し、善処を約したことへの反発かもしれない。』
 (中略)
『この新聞を呪縛している「沖縄のこころ」風のイデオロギー性は、前述した「<集団自決>を考える」シリーズでも濃厚である。連載の終わりの4回分は「識者に聞く」として安仁屋政昭、石原昌家、林博史などの四氏を起用しているが、「集団自決は厚生省の(援護用語)で、(強制集団死)とよぶべきだ」とか「軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、、、、状況を作ったのは軍を含めた国家」のようなたぐいの見事なまでに画一的教条論の羅列ばかり。

 盧溝橋事件や南京虐殺事件の論争でいつも出てくる「第一発を誰が撃ったかは重要ではない」「虐殺の数にこだわるな」と同類の異議で、争点をそらす時に好んで用いられる論法ではある。
 (「歪められる日本現代史」(秦郁彦著・PHP研究所 第29~第32ページより引用)

 

赤嶺  専門委員から事前の意見も寄せられなかった。今回の教科書検定は文科省の一職員が自分の考えで意見をつくって、学術的にも専門的にも、肝心の沖縄戦を体験した沖縄の県民の検証にたえられない意見だ。学問的検証もなされないで、文科省の役人の起案で、いつまでも残るようなことが許されるのか。

文部省の一職員と誇張して云うが、この「一職員」は文部省の一般事務職員ではない。

文部省教科書課の専門官はその名の通り「専門官」であり、歴史の素人ではない。

他の省でも専門職の役人が有名大学の教授に転出した例は枚挙に暇がないはずだ。

>沖縄戦の専門家がいない。(文科省の)調査官のほうがよく調べており、(審議会の)委員より知っている。説明を聞いて納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家がいれば結果はだいぶ違っただろう

サヨク偏向の「沖縄戦の専門家」がいれば、当然不毛なイデオロギー論争が続き結果はどうなったか分からない。

まぁ、この(文部省の)「一職員」の意見書作成資格の有無はさて置こう。

だが、「沖縄戦専門家審議会に不在」という理由で、林教授のような学者というより、むしろ政治活動家といった方が相応しい人物を沖縄戦の専門家として審議会に加える愚だけは避けねばならぬ。
  


 

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