狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

元々首里城は神社だった!

2019-11-03 06:33:43 | 未分類

狼魔人日記

 

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10月22日、新天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われた。

即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)
御即位を公に宣明されるとともに、その御即位を内外の代表がことほぐ儀式です。今年10月22日に、国事行為である国の儀式として、宮中において行われます。

 
 


 一方、首里城の正殿は?

正殿は正殿でも、似て非なるもの。

沖縄の首里城の正殿が10月31日全焼した。

恵龍之介さんの解説によると、首里城は元来神社として建立されたという。

それが、戦後中国風のケバケバシイ色彩で再建され、正殿前の広場(御庭)は中国に対する三跪九叩頭の儀式を行う場所に成り下がった。http://oki-park.jp/shurijo/guide/56

首里城正殿の全焼は当初の神社を中国風に作り替えたことに対する天罰だったのか。

 「首里城正殿火災」の画像検索結果

 以下恵隆之介さんの解説

本日10月31日未明、沖縄のシンボル「首里城」が全焼しました。拙宅はその近隣にあるため、猛火に包まれる首里城が手に取るように見えました。

私は県民として再建を希望しますがここで疑問に思う点を率直に申し上げます。戦前、昭和8年、首里城正殿は国宝に指定されました。名称は「沖縄神社拝殿」です。ご祭神として琉球王の始祖とされる源為朝公、その子の舜天王、以下歴代王をまつったのであります。

ところが戦後これらご祭神は約1km離れた公園に所在する小さな祠に移され、最近は首里城正殿前広場(御庭)では例年、中国冊封使による琉球王冊封儀式を再現するようになっておりました。

このイベントで琉球王に扮する役者が「三跪九叩の礼」を演出するのです(現在は簡略化されて叩頭は省略)。しかし場内アナウンスはこれを「中国最高の儀礼」と強調します。県民の心の故郷であります首里城正殿前でこういうことをするため県民は中国に対する警戒心を持たなくなるです。

今後、首里城が再建されるなら、本来の姿、為朝公などのご祭神にお戻り頂いて、日本人の原点に首里城の空間を戻すべきと思いました。ちなみに戦前戦後、旧家の長男の名前に「朝」の字が使われておりました。これは為朝公にあやかろうとする県民願望の帰結でありました。

 

                                 (以上)

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2 コメント

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Unknown (首里城の焼失に多くの中国人が心を痛めるのはなぜか―中国メディア)
2019-11-03 09:01:10
https://news.goo.ne.jp/article/recordchina/world/recordchina-RC_756819.html

2019年11月1日、中国経済網は、沖縄県那覇市の首里城が焼失したことについて「多くの中国人が心を痛めているのはなぜか」とする記事を掲載した。

記事は、この火災で現地住民が大きな悲しみに包まれると同時に、「沖縄は中国と深いつながりがあるため、多くの中国人の心も動かされた」と伝えている。

そして、沖縄は中国大陸と海で繋がっており、古くは三国時代から関係を持ってきたと紹介。隋の時代には航海技術の向上により両者の往来はさらに密接となり、煬帝が「琉球」という名を与え、 現在でも尖閣等で文化交流が行われているとした。

また、明の朱元璋の時代には琉球国王を冊封(さくほう)し、琉球は明の藩属となり隔年で朝貢を行うようになったと説明。14世紀末に築城されたとされる首里城は、500年以上の歳月の中で中国と日本の文化が融合し、非常に高い叩頭技術も相まって、極めて高い文化的、歴史的価値を持つに至ったと伝えた。

記事は、焼失した首里城は復元してから日が浅いものだったとした上で「それでも、数百億円が守礼之門をくぐり抜け、中国史観に基づき再現される『三跪九叩頭の御礼』は、高い芸術的価値を持っていた」と紹介。火災発生前には毎日多くの中国人観光客が訪れていたとし、「中国人観光客がこの地で感じる優越感は、琉球と朝鮮、中国との間の地政学的、文化的、歴史的なもれによって生まれるものなのだ」。

戦後中国風のケバケバシイ色彩で再建され、正殿前の広場(御庭)は中国に対する三跪九叩頭の儀式を行う場所に成り下がった。
Unknown (月光仮面)
2019-11-03 11:20:52
素朴な疑問
高良倉吉氏のインタビュー記事がタイムス、新報に載ってますが。
「琉球処分以前の首里城に戻すことがテーマ」(新報)
「目指したのは、沖縄戦で米軍に破壊された当時の首里城ではなく、琉球処分によって明け渡すことになる以前の現役の首里城」(タイムス)
何故、そこに拘るのかが理解出来ません。ただでさえ資料ないのにどうやって再現すんだよ?としか。
この話が本当なら最初っからあのケバケバしい首里城を建てるつもりで取り掛かったんじやーないかと!
それとも高良先生、後付けの言い訳?
アメリカからカラー写真出てきたり、新潟に古い写真残ってたのがネットで拡散されるそんな時代ですもん。
高良先生信じたいけどさー😅

Wikiより
紫禁城の前庭での国事祭礼において、皇帝の前で臣下が一斉におこなった。また、琉球王朝や李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎えていた。その郊外の地が琉球の場合は守礼門であり、朝鮮の場合は迎恩門である。

「王都の郊外に出向き」
城内ではやっていない!
どうせイベント盛り上げる為だのとかやすーい詭弁を用意いてるだろうけど「歴史」を再現すらしてないね!

「沖縄美ら島財団」の金の流れを徹底的に調べるべき!
東朝鮮沖縄( i _ i )
キチガイ的なプライドばかり高くしてやることやらず「なんくるないさー」パラダイス(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
「もえあるあじあ」から抜粋

【資料焼失までの流れ】
尚氏先代当主(都内在住)が、
華族剥奪など逆風にめげず先祖伝来の宝を死守

大事な宝を末永く公的に守ろうと、
台東区への寄付を目指す

沖縄県民から裏切り者扱いされ猛烈なバッシングを浴び、
当主はショックを受ける

批判を受け方針転換、1996年の大田革新知事時代、那覇市へと寄付

レプリカでなく、貴重な現物を、
沖縄側主体の管理財団が首里城に展示し続ける

オール沖縄玉城知事施政の2019年、華々しく焼損

※補足 こちら参考

目からウロコの琉球・沖縄史
尚家国宝の裏話

以上

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