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作戦詳細
H31-3-29 弁護士 徳永信一
1 台湾人日本兵戦後補償問題: かつて21万人あまりの台湾人が日本軍の兵士・軍属として大戦に参加し、軍務に従事した。彼らを台湾人日本兵という。厚生省の調査によっても、3万1000人の台湾人日本兵が戦死し、戦傷者はおびただしい数にのぼったことが確認されている。ところが、戦死者の遺族と戦傷者のほとんどは、今日にいたるまで一文の弔慰金も、遺族扶助料も傷痍年金も、その支給を受けていない。
2 国籍の喪失: 台湾人日本兵に対し、なされるべき恩給等の給付がなされてこなかった原因は、昭和27年(1952年)8月5日に発効した日華平和条約によって彼らが瞬間的に日本国籍を失ったとされたことにある。日華平和条約は、サンフランシスコ平和条約の発効により日本が主権を回復した年に中国本土から台湾に撤退してきた蒋介石が率いる中華民国国民党政府との間で締結された条約であった。日本政府は、これによって台湾人日本兵の日本政府に対する請求権が一切消滅したかのごとき対応をとってきた。
3 世界人権宣言: 世界人権宣言15条2項は、何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない、と規定している。国籍の賦与は、国家の裁量とされてきたが、その裁量は人権の観点から制約を受ける。本人の意思に反して国籍を剥奪し、変更する権利はない。台湾で日本人として生まれ、日本人として育ち、日本人として戦争に参加して戦った台湾人日本兵の国籍については、本人の意思に反してこれを恣意的に奪うことができない。日本政府に対する請求権も、国籍の喪失によって一方的に剥奪されていいものではない。
4 韓国との相違: 同様の問題は、韓国人軍属、兵士らとの間にもあったが、1965年に締結された日韓請求権協定によって「完全かつ最終的に」解決されている。徴用工問題も一体的に解決されたはずであったが、韓国大法院が「元徴用工」に対する日本企業の賠償責任を認める判決を下したため、今、日韓関係が根底から揺らいでいる。日本はなすべき責任を果たしており、戦後補償は韓国政府の責任で行うことである。台湾人日本兵に対する戦後補償の問題との違いはまさにそこにある。台湾人日本兵らに対し、日本は戦後補償の責任を何ら果たしていないのである。
5 中国の影: 日本がこれまで台湾人日本兵の問題を放置してきたことの背後には、中国の影がある。中国は「1つの中国」のスローガンのもと、台湾人は中国の人民であるとし、日本が台湾人日本兵の関係者に戦後補償することを許さなかった。昭和62年に戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律を制定させたが、有効に機能しなかったのはそのため。
6 訴訟のプロジェクト: 昨年、沖縄の平和記念公園に台湾兵士の碑が建立された。除幕式には、台湾人日本兵を含め約60人が参加し、哀悼の意を捧げた。彼らが生きている間に、戦後補償問題を解決し、日台のわだかまりを解消したいという機運が生まれた。今、米中の緊張が高まり、親日的な台湾との関係を強化することの重要性は明らかである。しかし、政府の動きは鈍い。そこで台湾人日本兵を原告とする訴訟を提起し、司法的解決を目指すプロジェクトが立ち上った。
7 結語: 原告となる5人は、いずれも90歳を超える高齢だが、ずっと日本人としての誇りをもって生きてきた。彼らが求めているのは日本兵として戦い、日本人として生きてきた証である。同様の訴訟は過去にも試みられたが、中国への必要以上の配慮は、政府だけでなく司法の手足も縛り、奏功しなかった。今、徴用工問題によって日本の戦後補償に対する国民の関心がかつてなく高まっている。米中冷戦のなか、中国に対する警戒と台湾への関心が強まっている。今こそ、台湾人日本兵に対し、歴史のわだかまりを払拭し、併せて日本の歴史を見つめ、その道義を顕かにしていく機会だ。
ニイタカヤマノボレ一〇〇四
攻撃開始
第1回口頭弁論
12月9日午後2時 1007法廷
訴状提出(10/7;大阪地裁前)
徳永弁護士 楊馥成原告 林余立原告 許華杞原告
活動(作戦)概要
作戦内容 | 「台湾人日本国籍確認請求事件」の支援 ※将来的には日台関係法、旅行業法等の整備、制定の運動へ* |
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原 告 団 | 役 員 | 代表世話人 張 吉雄氏 (高雄市紅毛港保安堂責任者) 世話人 許 華杞先生(理学博士) |
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原 告 事件番号 訴 状 |
楊 馥成(高雄市) 令和元年(行ウ)第147号 経歴書&ごあいさつ 許 華杞先生(理学博士)令和元年(行ウ)第149号 経歴書&ごあいさつ 林 余立 令和元年(行ウ)第150号 経歴書&ごあいさつ ※ 裁判は147号に併合 |
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被 告 | 国 代表者法務大臣 河 井 克 行 | ||
担当弁護士 | 清川雅孝弁護士(大阪弁護士会) 徳永信一弁護士(大阪弁護士会) 岩原義則弁護士(大阪弁護士会) |
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戦 場 | 大阪地裁 | ||
戦闘開始 | 訴状提出 令和元年10月4日 | ||
支援する会 | 名 称 | 台湾人日本国籍確認請求事件を支援する会 (通称)台湾人日本国籍確認支援の会 |
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支援内容 | ① 裁判の傍聴 ② 訴訟関連費用カンパ ③ 原告団の日本国内におけるサポート ④ その他、できること全て |
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代 表 | 中村重行【京都北山細野の神主】 ※「英霊を被告にして委員会」に引き続き、今一度、先頭に立っていただきます。 |
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事務局長(大阪) | 増木重夫 【M情報代表、NPO法人百人の会事務局長・専務理事】 | ||
沖縄事務所長 | 錦古里正一【NPO法人沖縄の教育を考える会- 事務局長】 | ||
東京事務所長 | 二瓶文隆 【江東区議会議員、草莽全国地方議員の会・会長代行】 | ||
事務局 | 〒565-0874 大阪府吹田市古江台2-10-13-3 M情報 事務局内 090-3710-4815 FAX06-6835-0974 h100prs@oregano.ocn.ne.jp |
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カンパ支援先 | 郵便振替 00950-4-238160 台湾籍日本人支援の会 |
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発 起 人 (20~30名を予定) |
和田有一朗(兵庫県議、李登輝友の会理事) 長瀬猛(兵庫県議) 辻井正房(大阪府、英霊)江崎孝(沖縄、狼魔人日記) 池田元彦(つくる会東京支部長) 空花正人(つくる会東京)佐藤真史(兵庫県) 田中誠(京都府) 北川光行(兵庫県) 中村新平(京都府、英霊) 高岡昭一(大阪府、英霊) 椋本薫(百人の会理事) 柳原由紀夫(大阪府)赤田和正(大阪府、英霊) ※英霊・・・英霊を被告にして委員会 |
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代表支援団(賛同者) 【一般支援団 ;目標1000人】 |
葛目浩一(アイデンティティ主宰) 中島文章(つくる会成田市) 中嶋文雄(百年住宅) 岡本幸治(大阪国際大学名誉教授) | ||
協力団体のリンク | MASUKI情報デスク NPO法人百人の会 英霊を被告にして委員会 一条の会 草莽の記 京都北山の神主中村重行のブログ 徳永信一弁護士 狼魔人日記 沖縄県政の刷新を求める会 |
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※10月25日午後7時から放映のチャンネル桜「沖縄の声」で台湾籍元日本兵日本籍確認訴訟原告の一人である楊さんをゲストにお招きして日本人としての誇りを語っていただきます。
【動画】【沖縄の声】日台の絆を深める交流~保安堂に見る日台の歴史~/「最期は日本人として」~台湾人日本国籍確認請求事件訴訟~[R1/10/25]
【読者のコメント】
日本統治時代の台湾で日本人として生まれ、日本人として教育を受け、日本兵として戦った 楊馥成(ようふくせい)さんら三人の台湾籍元日本兵が、日本政府を相手取って日本国籍の確認を求める訴訟を行った。
楊さんら三人の思いが、少しずつ別の個人に伝わり、広がる。上から押し付けられるのではなく、日々の生活から生まれた切実な思い、未来への願いが、「このままではいけない」と問いを投げかけ、人を動かし、地域を変える。
3人が歴史に向き合う中で感じた日本人としての誇り、そして戦後の痛みや苦しみ、そこから生まれる声は、彼らの魂の現在地(アイデンティティ)を求める声である。
「あいちトリエンナーレ」で「日本ヘイト」や「天皇ヘイト」をする前に、人権をないがしろにしていないか、台湾で咲く5880本の桜の思いにまずは目を向けてはどうか。
「あいちトリエンナーレ」や韓国人の元徴用工のように「金が欲しいのではない」「日本国籍確認の請求」だけで、「戦後補償」は求めていない。「最後は日本人として死にたい」という切実な願いだけだ。
【追記】
ブログ大師小100期生集まれ!より引用
台湾籍日本人の国籍復帰と戦後補償
前のエントリーでも『台湾之塔』の建立に尽力された「日本台湾平和基金会」についてメモしておきましたが、やはり想像したとおり、この団体がこの件でも活動していらっしゃるらしく、楊 馥成(よう・ふくなり)氏は現在、沖縄に住み、この会の副会長もなさっているそうです。
前回書いたように、日本人として生まれ、日本軍人として国のために戦った台湾の方々は、終戦と共に台湾では敵のために戦った国賊とされ、楊氏は7年間投獄、拷問も受けたそうです。
その後も続く国民党政権下で迫害されたため、中国で暮らしていたそうで、その間、朝鮮戦争で亡くなった日本人の供養のために墓地に桜を植える活動(※)などもなさっていたそうです。
つまり、楊氏はずっと日本人として生きてこられ、日本人として死にたいと、帰化申請もされていましたが、他の台湾籍日本軍属の生存者とともに、そのことを認めて欲しくて、現在、戦後補償の裁判の準備を進めているとのことで、それに関わっていらっしゃるのが、孔子廟訴訟の原告側弁護士のお一人、徳永氏、ということらしいです。
韓国の「慰安婦訴訟」や「(自称)徴用工訴訟」とは意味が全く異なるのです。
このあたりを勘違いされないよう、どこかの新聞が上手く報道してくれないだろうかと思っているのですが...
※番組では大連市の近くの瓦房店(がぼうてん/ワーファンティエン)の墓地に眠る日本人のために桜を植えた話が出てきました。画面に表示される新聞は鮮明ではないので細部が不明なのですが、お話と総合すると南満鉄道の付属病院で働いていた女性で、墓地に眠る日本人の供養をされていた方がいて、その方の遺志を受け継いだそうで、しかい、日本人ためだけに桜を植えるというわけにはいかず、墓地全体に5880本の桜を植えたということです。
場所は、「烈士陵園」(簡体字では「烈士陵园」)という墓地らしく、新聞記事に添えられた写真のキャプションは「人民解放軍兵士らと桜を植える楊さん」となっています。
下の画像は『NHKの偏向番組「Japanデビュー」1万人訴訟に見る、メディアに対する訴訟の難しさ』というエントリーに掲載したチャンネル桜の動画のキャプチャで(2009年頃/台湾)すが、一昔ほど前にはこのようなお年寄りが台湾にはたくさんいらしたのです。
台湾の鳳山紅毛港保安堂で供養されている日本人
今回、護国神社の春季例大祭に台湾から参加された方々がいらっしゃいました。この方達は、動画でも説明されるとおり、台湾沖で沈んだ軍艦の乗組員(145名)の内、9名の沖縄出身者を供養するために来沖されました。要するに、9柱の御魂(みたま)を沖縄に連れて帰ってきてくれたものです。
今後は保安堂と沖縄護国神社とで交流していきたいとのことです。
番組では詳しい説明は省略されていましたが、「保安堂」と呼んでいるのは、台湾で蓬(よもぎ)38号の英霊を供養してくれている「鳳山紅毛港保安堂」のことです。ここは、知っている人は知っているという場所で、前述のように日本人を祀ってくれているのですが、軍艦の模型がご神体と共に祀られていることで有名なのです。
動画のキャプチャ、中央左寄りに「蓬(よもぎ)38號(号) 艦長 高田又男」という文字が見えますが、上の模型の軍艦にも「38にっぽんぐんかん」という文字が見えます。
詳しい経緯は『日華(台)親善友好慰霊訪問団』のサイトにある「保安堂」の項に詳しいので、ここでは、この模型が作られるきっかけとなったエピソード部分のみを引用させて戴きました。(全文は上記リンク先でお読み下さい。)
戦後まもなくのことである。大東亜戦争時に沈没した大日本帝國海軍艦艇のある沖合いで漁をしていた漁民の網に2つの頭蓋骨が掛かった。漁民はその頭蓋骨を丁寧に引き上げ埋葬し、手厚く供養した。すると、それ以降、大漁が続いたため、昭和28年(1953)には保安堂を建設して祈りを捧げ、いつしか守り神として信仰を集めるようになった。
昭和43年(1968)、蘇現という年老いた漁夫が朝早く出漁したときのことである。その日は湿った空気が流れ込んで妙に蒸し暑く、つい船上で居眠りをしてしまった。すると、夢の中に弔われた2人のうちのひとりという男が現れた。「私は日本海軍38号哨戒艇の艦長だが、大東亜戦争で戦死した。ついては帰国したい。船を造ってもらえまいか」と告げた。
こうして平成10年(1998)、満艦飾の軍艦模型が完成した。全長2メートルほどの大型で、電源を入れると4つの砲台がくるくる回り始める。当時、日本海軍が持たなかったミサイルまで載せ、漁民たちが霊が喜ぶよう想像を凝らす姿が目に浮かぶ。船体には「にっぽんぐんカん」と記されて、御神体同様に安置されている。日本に帰れるようにとの思いを込めて造られたもので、漁民は海の安全や大漁を願って朝晩に祝詞として「軍艦マーチ」を流す。