京都北山細野の神主

日々感じることを想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現も時々有るのはお許しください。

パソコンを買い換える マック最大27インチから最小11インチへ

2016年09月07日 | 喜寿からのチャレンジ

ここ数ヶ月パソコンが言う事を聞かず。苦労しました。

最近では4〜5分で画面が真っ黒になってしまい、スイッチを入れ直してはダマシダマシ メールだけでも読んできましたがブログを書く気が起こらなくなってきたので「これはヤバイ」このまま行ったらボケが始まると思い昨日市内の電気屋に行き同じマックでも最小のMacBook Air の最小11インチ版を購入しました。

今まで7年ほど使っていたデスクトップ型のiMacは27インチの大型画面の見やすいパソコンでしたが移動するのに大変でした。

何事もこれからはダウンサイジングの時代になると思うのでこの際パソコンも最大画面から最小画面に切り替えました。

これまでの経験で新しいパソコンになったらまた一からセッテイングしなければならず、以前と同じように使えるようになるまで1週間はかかると覚悟していました。

電気屋ではただ小さくすれば良いと思って買ってきたのですが 今までのものとは全然違ってCDドライブもない(付いてない)ので外付けドライブも買ってきました。

電話線を差し込むところもなくてWi Hi という無線で繋がるシステムになっていてシドロモドロ。

幸い、昨年に娘が来た時に自分が使うためか? Wi-Hi はセットされていました。

ただ使い方がわかりません、ノートに書き込んであったパスワードなどを見ながらパソコンの指示に従ってなんとか繋がりました。(Wi-Hi 器具のある部屋で)

今日になって私の部屋に持ち込むと全く繋がりません。IDやパスワードが間違っているのか?

結局、距離が離れているので届かなかったようで、中間の場所でパソコンを広げる羽目になってしまいました。

私のような後期高齢者はワープロの延長でパソコンを使っている人が多いのでは?

パソコンの原理を理解せずにその都度教えてもらいながら使ってきた者にはちょっと変わったものにぶつかると先へ進めなくなってしまいます。

それでも最近のパソコンは使いやすくなったものです。

何とか使える状態になったので早速今朝の朝野球で撮ってきたデジカメの写真でもと思ったらこのパソコンにはSDカードを入れるところがありません。

市内まで買いに出るのも億劫なのでアマゾンで注文しました。明後日に配達されるということです。

その上最近のパソコンは取扱説明書が付いていないのです。

それに最近は販売している電気屋では修理やメンテナンスができないのですね。

特にマックは全く電気屋では触りもしないで販売しています。全てメーカー任せです。

メーカーも購入して1年は保証してくれますがその後の修理に関しては保証の延長料を価格の2割ほど支払わなければなりません。3年ほどの延長で、故障するのはその後なのですからユーザーにとっては踏んだり蹴ったりです。

メーカーに電話すれば懇切丁寧に長時間でも説明してくれるのですが肝心な電話がつながりにくくて尋ねる気力が無くなってしまいます。

つながれば出来るまで付き合ってくれるのですがボケ老人に近い私のためにこんなに時間を取らせて申し訳ないと思ってしまいます。

行政なども老人対策の一環か?パソコン教室なども良くやっていますがマックの教室は見たことがありません。

シンプルなソフトのマックこそ高齢者には打って付けだと思います。

ここしばらく新しいパソコンとの格闘が続くことと思います。

喜寿を通り越して78歳からのチャレンジが始まります。

新しいパソコンは薄くて、軽くて。申し分ありません。

当分退屈することはないでしょう。せっせとブログを書きます。(パソコンの愚痴ばかりになるかもしれませんが)

この夏は暑くて行動する意欲もなくしましたがこれからはしばらくアウトドアのベストシーズンに入ります。

鉄砲も1丁増やしましたので楽しみです。やりたいことは一杯なのですが体力と資金が続かないのが高齢者の悲しいところです。

 

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首都直下型地震・東南海地震津波・富士山噴火予知は?自分の家族は自分で守る

2016年08月27日 | 日本人よ、山に還れ

「災害は忘れる前にやってくる」

確かに我が日本列島は自然災害の百貨店(古い言い方)ですね。

マスゴミであれほど騒がれた「首都圏直下型地震・東海・東南海地震津波・富士山大噴火」はどうなったのでしょう?

昔から地震学者と言われる人達の「何年以内に起こる確率は何パーセント」などという無責任な発表は気休めにもなりません。

地震学者や気象庁地震関係者の予知などもう「聴き厭きた」と言うより「聴きたく無い」という人の方が多いのでは無いでしょうか?

「阪神淡路大震災」「東日本大震災」「熊本大震災」近年の大きな被害が出た地震の予知は出ていませんでした。

地震列島と言われるわが国で何時起こるか知れない特定の場所「首都圏直下型」「南海・東南海地震」とこの巨大地震に誘発される「富士山大噴火」ばかりが議論されています。

それも根本的な「地震津波被害にあわないようにどうするか?」でなくて「被害に会ったときを前提にした」議論ばかりです。

耐震構造やデカイ防波堤の構築など、「被害者を無くす方向では無くて」「被害を煽ってどう金を使うか?』の方法ばかりを議論しているのが現状です。

政治とは「國の将来をどうするか?」が大切なのではありませんか?

1) 日本に住む限り地震は何処でも起こります。

2)埋め立て地(海のそばの低地)に住む限り津波に襲われます。

3)富士山の近くや風下に住む限り噴火の被害は受けます。

なぜこれらの危険な所から少なくとも家族の住む住居だけでも遠ざけないのか?

ナゼ国民を災害に遭わして多くの命を無くすのか?

ナゼ何兆円もの被害を出すのか?

ナゼ前もって対策をたてないのか、政治家に将来を読める人がいなくなっているのです、今の日本では。

参議院選挙や都知事選挙、リオオリンピックなど最近立て続けに報道ネタが続いたせいか?

台風が東日本に続いて災害をもたらしているので取材能力の落ちた今のマスゴミでは手が回らないのか?

どっちにしろ私には興味ある事では無いので以前に読んだ本を取り出して残暑厳しい昼間の時間つぶしに眺めています。

相楽雅俊著

副題に「運命の1983年9月X日」前年に気象庁に25年間勤務されて「気象情報株式会社」を創設された人です。

この方は地震では南海・東南海地震はこの時点(1982年)では無いと言っておれれます。終戦間際に1944年浜松を中心にマグにチュード8.

1945年1月に三河地震マグニチュード7,1で駿河湾周辺のひずみは解消されているだろうと書かれています。

しかし、予定の1983年9月X日やそれ以後今までには富士山の噴火はありません。

何故かこの方は気象が専門のはずですが著書の最後の方に「第3次世界大戦は21世紀初頭に起きる」などと予言されています。

鎌田浩毅著

副題に「ハザードマップで読み解くXデー」2007年発行です。

この本は帯にも書いてあるように「宝永噴火から300年、いま「その日」が来たら?

この本は富士山の噴火を取り上げながら火山の説明がなされていて噴火のことを良く知る事が出来ます。

この方も大地震と富士山噴火の連動と言う事を書かれています。

学者先生達は昨日までの事は調べて良く知っているが将来を予測する能力は持ち合わせていないのでは無いか?

天気予報のように台風の進路やこの先10日ぐらいの天気予報を出せるコンピユータに入力出来るようなデーターでさえも地震学ではまだ出せないのでは無いでしょうか?「毎年膨大な予算を使いながら)

そうならば我々個人で対策をたてなければ

副島隆彦著

副題「自衛自活の要塞を築け」帯には「大災害、金融恐慌、そして領土紛争(政府に頼らない独立心)を持つ者が生き延びる」

2012年10月発行 

はじめに >2011年 ・・・・・被災した人々は「避難所」に向かった。國と役所は,災害があれば必ずまとめて面倒を見ようとする。それが國、役所の仕事だからだ。災害対策という。そこには水と食料があり、寝る場所もある。だが、そこにはただの小中学校の体育館があるだけだ。あんなところに何日も居られるものではない。だから、避難所をさっさと出て行くと言う考え方が大事なのである。避難所にダラダラ長いこといたら、人間の尊厳と独立心が奪われる。まず、災害直後には公共の避難所に行って、最低限の食料と安全と情報をもらうのはいい。だが,その後は直ぐに自分で,自力で災難に立ち向かうと言う考えも大事なのである。< 著書から引用

最後に >避暑地が存在した本当の理由<と>打ち捨てられたバブルの別荘地に二つ目の家を買う< 引用終わり

この著者の主張は最もですが金が沢山必要です。若い人には無理な話ですが>引用した部分は大切な考え方だと思います<

私自身も「阪神淡路大震災」の避難所や「東北大震災」の仮設住宅を見て切実に感じました。

長くなりましたがもう少し

樋口清之著

この文庫本(650ページ)は国学院大学名誉教授で考古学の権威・樋口清之先生の著書です。

最後の解説で井沢元彦氏が

>「まさに、日本の文化がいかに諸外国に類を見ないすぐれたものであるか、様々な角度から検証し日本人に勇気と誇りを与えた名著であると言えよう」< と書かれています。

この本の中に「江戸っ子が宵越しの金を持たなかった理由」は江戸では大火が頻発すると言う事が,江戸市民にひとつの気風をつくった。

とあります。数千万円の住宅のために一生をローン返済のために働く今の日本人が悲しいですね。震災で失えば二重ローンの始まりです。

一度しか無い人生を楽しむため、自立出来る子供達を育てるためにも地震や津波や噴火の危険な低地の大都会から「山に還る」事をNPO法人 ごっこ屋本舗で提唱して行きます。

長くなりましたが。

 

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猟師小屋に集まって狩猟申請書類を書く。

2016年08月25日 | 狩猟

11月15日からの狩猟期間の申請書類を細野猟師小屋に集まって提出しました。

今日の午後6時から猟師小屋に集まるのはわかっていたのですが何時ものように間際になってコロット忘れてしまい、30分を切って思い出して思い出し慌てて書類とハンコを持って出ましたが写真を忘れたのに気が付いて探しましたがナカナカ見つからず,汗だくになりながらアチコチの引き出しを探してヤット見つけてスクーターで2キロほど先の猟師小屋にギリギリにたどり着いたら今度は狩猟免状(銃猟とワナ猟)を忘れたのに気が付き慌てて取りに帰る。

もともと物忘れと言うのでは無く私の場合は覚えない習性があるので何時も間際になってバタバタして失敗の連続です。

京北猟友会の下部組織の細野猟友会は昨年までメンバーは6人でしたが今年から2人増えて8人になりました。

と言っても銃猟は前から3人に減っています。新期2名もワナ猟です。

3人ではハンティングは出来ません。檻猟やワナ猟も獲物を捕獲する楽しみはありますが銃猟のようなエキサイテングなスリルを味わう事が出来ません。

犬が獲物に追いついて鳴きながら近づいて来るのを今か今かとドキドキしながら銃を構えて待つ緊張感はもう味わう事が出来ないかも知れません。

こんな事を考えながら猟師小屋で国道のラーメン屋からの出前のラーメンを皆で食べて家に戻りました。

昔は猟師小屋に猪肉や鹿肉を提供した人達からのお礼に貰った酒やビールやジュースが山積みにされていて好きなものを飲みながら猟のあとなど遅くまでその日の猟のいきさつを話し合ったものですが今や檻やワナにかかった獲物を解体するだけですから話題も少なく,こんな山間部にも飲酒運転の禁止は徹底されています。

それに害獣駆除で年中猟は出来る状態ですから猟期(11月15日)が始まる期待感も無くなってしまいました。

ハンターは今や害獣駆除の賞金稼ぎになってしまいました。まあ、そのお陰で狩猟税などに払う費用も害獣駆除で貰える金で賄っているのですが。

狩猟申請書の提出も年々早くなり最近は8月のこの時期です。狩猟期間は11月15日からなのに。

本当に最近は緊張感が無くなって来ましたね。

例えば、近々起こると言われ続けている地震津波対策など、地震津波被害をゼロにする対策では無くて被害を少なくする対策しか考えていないのは可笑しいのでは無いか?と私は思うのですが。

世間を見ていると我々年寄りよりも若い人達の方が緊張感を持たなくなったように見えます。

国防問題に対する態度などを見ているとオオカミに順番に食われるのを待つ羊の群れのように思えます。

外敵に食われるのは自分の子供であり家族なのに。

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朝野球・盆休み明け3対0で勝利

2016年08月25日 | 野球

暑い盛りを盆休みを兼ねてリーグ戦は休みでした。2週間ぶりに再開・それでも暑い!

今日も日中は35度以上とは言え朝には少し風もあって快適かな?と思たがヤハリ暑かった。

今日はファースト2番で先発、4回が終わってベンチへ。

眼の手術と眼鏡を作ったのでボールがよく見えて捕球し易くなりました。ファーストの守備は無難にこなしてエラーは無し。

この間3打席まわって来たがすべて凡打。バッテングセンターへ通わなくちゃ!

先日何年ぶりか?で行ったのですが1ゲーム25球を7ゲーム連続打ったら左手の親指の付け根にマメができて破れてしまいました。

やはり2〜3ゲームを頻繁に行く方が良いのとバッテンググローブを忘れたのがいけなかったようです。

ヤハリ年のせいか?手の皮も面の皮と同じように薄くなってしまったようです。

チームの成績は今の所3勝10敗1分けで今季はあと5試合、草野球人生最後の年になるかもしれず、悔いの無いように頑張ろう。

試合は今日は長身の外人投手のコントロールも良くなって来たので6回まで完封、7回最終回をエースが登板するが2アウト満塁のピンチも何とか切り抜けて久しぶりの勝利を勝ち取りました。

今日は内外野ともエラーが出なかったのと4番打者のタイムリーが出て勝てた。何時も今日のような戦いが出来たらもっと勝てるのに?

真夏の登板は年寄りにはキツイとの監督の温情なのでしょう。私は投げろと言われたら何時でも投げるのですが、熱中症でぶっ倒れられたら監督も困りますから涼しくなるまで待ちましょう。登板の機会が無いかも知れませんが。

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政党政治はもう終わったのか?自民党の地方議会(東京都連・大阪府連その他)の劣化

2016年08月25日 | 良き日本を蘇らせよう

先の参議院選挙では自民党大阪府連が政策的に近いはずの「おおさか維新の会(現日本維新の会)」に対抗するために、あろう事か共産党とつるんでしまい。

今回の東京都知事の選挙では自党の自民党の小池百合子議員に対抗するためだけに独自候補を立てて惨めな敗北を期してしまいました。

この自民党の両議連を見るだけでも国政を担う自民党の党員とは思えません。

この現象はおのれ達の利権を危うくするものに対する嫉妬からです。

何が見苦しいと言って男の嫉妬ほど見苦しいものはありません。私の子供の頃は「嫉妬」の事を「へんねし」と言って非難されていました。

都民のため,府民のため,国民のためという政治家としての大前提が失われています。

個々人にこれだけ情報が得られる時代になって来たのに知らないのは党(当)の議員だけです。

今こそ政権与党として自民党は堂々と正義を貫く態度を見せなければ私の大嫌いな創価学会政治部門(公明党)に中枢を乗っ取られてしまいます。

安保法案や憲法改正など気運が盛り上がっているこの時期、与党自民党の議員達は少なくともこの大都市では完全な利権政党になり下がっています。

次の都議会議員選挙で小池新党、桜井誠新党、名前を変えて国政を目指す日本維新の会などにどう対抗するのでしょう?

国民の意識は変わって来ています。今回も幾らマスゴミが持ち上げても国民は正しい判断をしました。

これからはマスゴミの応援する政党や候補は国民は敬遠するのでは無いでしょうか?

党利党略私利私欲の従来通りの政党や候補者はマルバレになって落選する事になるでしょう。(早くそうなって欲しいものです)

既存の政党による利権政治はもう飽き飽きしているのです。

4年後の東京オリンピック開催準備のなり行きが楽しみです。少なくとも次の都議会議員選挙は面白い展開になると思います。

新党の皆さんガンバッテください。東京都の選挙権はありませんが声援だけはさせてもらいます。(少しですが寄付も)

 

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今の葬式は可笑しくないか?

2016年08月21日 | 死について

 

昨日長男の嫁の父親(太田英世79歳・元京都銘版専務・元立命館大学射撃部OB会会長)の葬儀が京都市内の葬儀場でありました。

一昨日通夜・昨日葬儀と親族席に座って参列しお見送りして来ました。

以前は葬儀は自宅でと言うのが通例でしたが最近では住宅事情や交通事情だけでは無く葬式産業の進化?なのか葬儀場で行なう事が多くなりました。

我が家でも実家から出したのは20年ほど前の父親の葬儀が最後でした。5年前の母親のときは葬儀場でお願いしました。

順番から行ったら次は私の番ですが,何処でやるか?どんな形でやるか?は長男が決める事ですから私はどうでも良い事です。

ただ、最近この歳になると先輩や友達、中には一回り以上歳下の知り合いなどの葬式に出る事が増えて来ました。

葬式の式次第も変わって来たように思えます。その原因は葬儀屋の都合に合わせて変わって来た事が眼につきます。

葬式を出す遺族の無知が原因である事が多いのですが、これもその家のシキタリが伝承されていない事で、すべて葬儀屋任せにして来た事に原因があります。

数え出したらキリがありませんが

1)お焼香の時に故人に手を合わすのが肝心なのにやたら周囲の人に米つきバッタのようにヘコヘコ頭を下げて焼香台に向かいます。

まず,周囲の人に頭を下げて、次に焼香台より前方に座っている左右の親族に頭を下げ、やっと正面故人(棺桶)に合唱して頭を下げ、お焼香が終われば又左右の親族に頭を下げ戻る席の周囲の人に頭を下げる。両側に座っている親族もそれに会わせて毎回ヘコヘコと頭を下げて答礼している様は滑稽で、何の目的で葬儀に参列しているのか?

参列者の中には肝心の故人に合掌して頭を下げるのを忘れて焼香だけして、また周囲の人にヘコヘコ。

故人に頭を下げる意外は焼香が終わって後の退路に立つ親族の代表のお礼の挨拶にこたえる会釈だけであるはず。親族席で観察していると、なぜお焼香にこんな混乱があるのか?

原因は葬儀は葬儀屋任せで坊主が関与しなくなった精だと思います。現代の葬式ではディレクターは葬儀屋で坊主は葬儀屋に雇われてお経を読むだけに成り下がってしまったからです。

神道式の神葬祭でも同じようになっているのでは無かろうか? 私は神葬祭にも関わりませんから現場でのことはわかりませんが。

2)参列者に「最後のお別れを強要する」こと。

昔は他人にまで死顔を見せる事ははばかったものです。

今や参列者に花を千切って棺桶の中に入れて最後のお別れと言う儀式を強要しています。

私は元気に生きていた頃の故人の顔を何時までも想い出として心の中に残しておきたいので例え親族の死顔も見る事はしません。

見る事を断ると「きれいな顔をしてはったわ」「気持ち悪い事は無いよ」とまで抜かす奴がいますが、決して死顔に恐怖している訳ではありません。

アタリ前です、塗りたくっているのでシワクチャババアも厚化粧で奇麗に見えるのでしょう。

最後のお別れと言って死顔を見たら,その後の故人の想い出は死顔がベースになります。

もし、初恋の人の想い出が死顔なら嫌なものです。(わたしの初恋の人はまだ生きていますが)

昔は知り合いの葬儀の時には樒の1対を送るのが習慣でしたが最近は樒は葬儀場に並ばなくなったようですね?(誰が習慣を勝手に変えてしまったのか?)

3)清めの塩を出さなくなった。

死はケガレです。そのケガレを家に持ち込まないように玄関を入る前に塩を踏む事でケガレを祓って来たのですが、最近は死をケガレと認めたくない人々が出て来たようです。

まだまだ、葬儀についておかしな所はありますが時代は変わって来ています。時代に会った葬儀に変わって行きます。

昔は遺骸は川に流したり、山に捨てていました。命が抜けた遺骸はゴミだったのです。

御霊(ミタマ)こそ大切に送るべきで御霊を無視した葬式ゴッコは考え直す時期に来たのかも知れません。

私の遺骨は太平洋の沖に流してくれるように子供達には頼んでいます。

間違っても寒い山に散骨したり、墓石の下には入れないでくれと今から頼んでいます。

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柄になく京都国立近代美術館に出かける

2016年08月21日 | 喜寿からのチャレンジ

私は昔から「体育会系」で芸術と言う部門にはあまり感心が無くてその中でも抽象画などはどう理解して良いのか?意識の外の事のように思っていました。(今もですが)

昭和40年春に私が始めて京都で世界一小さな登山用品専門店をオープンした時に店の幅と同じ大きさの看板を書いてもらったのが当時大阪の読売テレビで「イレブンPM」と言う番組のアートディレクターをやっておられた岩田重義さん(昭和10年生まれ)でした。

 

出展者の名前

約100人ほどの名前が挙がっていますが私の知っている有名な方は岡本太郎・堂本印象・河井寛次郎・三輪晁勢ぐらいが聞いた事のある名前ですが外国名の方々も沢山居られるのでキット有名な方々ばかりでしょう。

岩田重義出展作品

パンフレットに出展されている11点の写真の内に出ている。

この展覧会はパンフに「アンフォルメル(未定形なるもの)と名付けた欧米の最新の美術作品群が、日本に上陸した」・・・・よほどの衝撃だったのでしょうね。

「アンフォルメルという視点から、同時代の日本の美術を眺め直す試み」

9月11日まで京都岡崎の京都国立近代美術館(平安神宮の南側、京都動物園の北側です。私が毎週朝野球に来る岡崎球場の西隣です。車は球場の地下駐車場に入れれば近代美術館の駐車割引券を貰えます)でやってます。

だけど、私のような素人には「アンフォルメル(未定形なもの)」とは良く判りません?(今度岩田さんに会った時によくたずねてみますが、でも理解出来ないでしょうね)

前衛作品を描いて(作って?)いるときの気持ちってどんな気持ちで描いておられるのでしょうかね?

芸術音痴の私の頭ではどう考えても理解出来ません。

岩田さんのスケッチ画は大好きなのですが。

岩田重義さんは私の叔母(母の一番下の妹・私より9歳年上)の京都市立美術大学日本画科(現京都市立芸術大学)の後輩です。

叔母は在学中京都美大の演劇集団「アトリエ座」で芝居もやっておりその舞台装置などを岩田重義さん達が担当されていたそうです。

読売テレビを定年退職後出されたスケッチ画集をいただいたりスケッチ展を見せてもらったりしていたので昔,こんな過激(?)な作品を作っておられるとは思ってもいませんでした。

今年80歳を記念して出版された「好きやさかい」(これまで書かれた文章を集めて出版された)を見ると「まじめに日本画を描いていたのは、美大日本画科2回生の頃までだった。前衛美術運動の中でケラ美術展などでは抽象作品を発表」と書かれています。昭和34年に前衛美術グループ「ケラ美術協会」を結成されて抽象作品を書きまくっておられたと言う事をこの本で知りました。

私の歳になれば年上の方と真剣に話せる機会(人)がほとんど無く最近では3歳年上の岩田さんと毎月第三日曜日のお昼に高槻のファミレスでハンバーグを食べながら話をするのを楽しみにしています。

 

 

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今日は”山の日”って言う休日です。山の日の意義を考える。「日本人よ、山に還れ」

2016年08月11日 | 日本人よ、山に還れ

私は山岳部で登山にのめり込んでしまい就職して1年でほっぽり出して、それ以後横浜(鶴見)のIBS石井スポーツの開業の年(東京オリンピクの年)に1年丁稚奉公をさせてもらい、翌年春から京都で登山店を開業しながら20年近く前まで山登りを続けて来ました。

40年近く前に今住んでいる京都北山の山中(海抜450メートル)にカナディアンシイダーハウス(米杉のアーチハウス)を建ててもらって住んでいます。

住み始めた頃は40歳代始めでした、精々10年も住んだら又京都市内に戻るつもりでしたが「住めば都」とは良く言ったものですね。

京都市内中心部まで25キロ、車で1時間ほどかかりますが毎日通勤していました。少しも苦にはなりませんでした。

山の日の意義を考えるつもりが脱線してしまいましたが元に戻って。

国民の祝日と言う建前ですがただ単に休日を増やしたかっただけですね?

國の祝日にするにはそれ相応の意義付けがあっても良さそうなものです。

「海の日」があるからついでに「山の日」もつくってしまえってなもんだったのでしょう。

山の日が出来たついでに私は「日本人よ、山に還れ」と言う日にしたらどうか?と思います。

ナゼ、「山に還るのか?」私の持論を聞いて下さい。

日本の國は海に囲まれていますが昔から多くの人達は海洋民族では無くて「山の民」だったのです。

大昔からの経験で津波の被害を受ける海岸地帯の低い所に集落はつくらなかったのです。

今大都市はすべて海を埋め立てた所に住居を作って集中しています。便利なと言う理由だけで。

江戸時代以前、太田道灌の歌にありましたね。(60年ほど前の高校3年生の時のバスガイドから聞いた歌ですから正確では無いかも知れません)

「我が庵は 松原つづき 磯つづき 富士の高嶺を 軒ばにぞ見る」

東京も太田道灌の居城(皇居・江戸城の元)の前まで海だったのです。

モチロン、今東南海地震津波で数万の死者や行方不明者が想定されている地区はほとんどが埋め立て地です。

すべての埋め立て地は津波の被害を免れません。

津波は防波堤をつくっても被害は出ます。地震と津波では人命は助かっても一生支払いにかかる住宅ローンは払い続けねばなりません。

江戸時代以前の地形を見て下さい。今住んでいる地域が海だったか?

今都会に住んでいる人の多くは山から出て来た人達が多いはずです。

山に住んで40年近く、なぜ「山に還るのか?」長くなるので(NPO 法人 ごっこ屋本舗)の主張を次回以後に書いてゆきます。

「日本人は山の民」とは?

古事記の神話の部分「山幸彦 海幸彦」の所を読んで下さい。天皇陛下は山幸彦の子孫なのです。

と言う事を考えながら京都市内では37度とか? 息をするのも暑いですがここ北山山中では家の中では勿論クーラーもありません。

扇風機はありますが外で汗をかいた後に回すぐらいで朝晩は20度以下で寝苦しい夜は味わった事はありません。

「山の日」という中途半端な祝日の意義を考えるつもりがいい加減な出だしになりましたが「30年以内に必ず来ると言う東南海地震と津波」や「関東直下型大地震」から逃げ出すだけが「日本人よ、山に還れ」では無いのです。

「山に還る」理由は沢山あります。

 

 

 

 

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神社庁丹波五支部総会で明智光秀についての講演を聞く

2016年07月14日 | 少子化対策は故郷つくりから

京都府神社庁丹波五支部連合会総会が今年は亀岡市で開催されました。

丹波五支部とは、京都府府神社庁の内、

①北桑田支部=現南丹市美山町+現京都市京北町。

②亀岡支部。

③船井支部=現南丹市八木町+現南丹市園部町+現南丹市日吉町+現船井郡京丹波町。

④綾部支部

⑤福知山支部

何でこんなにこんなにややこしいかと言うと町村合併で行政区はバラバラになったが神社関係は旧のままに続けているだけです。

毎年五支部の持ち回りで主催されている連合会総会は今年は亀岡市で開催されました。

與能神社

11時に亀岡市曽我町寺蛇谷の與能神社に参加全神職が集合し、正式参拝をして会場の亀岡市の中心部にある玉川楼に移動して総会。

記念講演・亀岡市文化資料館館長・黒川孝宏先生の「明智光秀と丹波亀岡」と言う講演がありました。

明智光秀が主君である織田信長を討った本能寺の変の原因などについても話されました。

いただいた資料の本能寺の変の真相をめぐる諸説50の中に「朝廷守護説」に眼が行きました。

黒川先生の講演とは関係ないのですが

井尻千男著

以前に購入して読み終わっていない井尻千男著「明智光秀」です。

権勢を極めた織田信長が天皇に代わる王になろうとする考えを信長に近くで接していた尊王の志の高かった明智光秀が察知して災いを絶ったのが動機。

史実としてはっきりとした資料がある訳では無いが私としてはもうこれしか無いと思っていました。

そうして考えると「下克上」とか「謀反」とか言う言葉は明智光秀については無用と思います。

古くは蘇我入鹿や弓削の道鏡の例のように皇位を狙うヤカラを滅ぼす忠臣が必ず出てくる歴史の必然性では無かろうか。

黒川先生の講演は時間の制限もありましたし、その後の懇親会の場でご挨拶させてもらいましたが語り尽くせず次に機会があったら詳しくお話が聞きたいと思いました。

明智光秀が治めた丹波の国の亀岡市はNHKの大河ドラマに明智光秀を取り上げてもらう運動も始まっています。

明智光秀で亀岡市を中心に丹波地方が全国に知れ渡れば「もう一つの京都」として盛り上がるのでは無いか?

その時には明智光秀は

「謀反人」としてでは無く「勤王の士」として描いてくれれば話題沸騰することは間違いありません。

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やはり風を感じて走るのは快適!スクーターの修理が出来あがる

2016年07月12日 | 喜寿からのチャレンジ

10年ぶりにバイクに乗りたくなってガレージに置いていた50ccのスクーターを先日市内東寺の側の山田モータースに整備に出しました。

前のタイヤがひび割れていたので取り替え、荷物を積むキャリーを付けてもらったりしていたのが出来上がったので妻の車で送ってもらって取りに行きました。

山田モータースに着いたら私のフライフィッシングの師匠の古本君がいたのでしばらく話し込んでいざ27〜8キロの我が家までスタートしました。

途中実家のお宮さんによって弟や甥(このスクーターをくれた)に見せびらかして、近くのアヤハディオ(ホームセンター)に寄って暑中見舞い用のプリント用紙を買ったり、新しい単車用のヘルメットを物色したり(気に入った物が無かった)しながら天神川に沿って走り、長男のマンションによって庭の植物に水をやったりして嵯峨野の新丸太町通りのケンタッキーフライドチキンの店で遅い昼食をとりました。(昔、カナディアンロッキーに遠征登山をした時にバンクーバーで食った始めてのケンタッキーフライドチキンの味が忘れられず、大体一ヶ月に一度くらいフライドチキン2ピースとフライドポテトそれにドリンクはコーヒーかペプシコーラのセット830円をいただいています。)

食べ終わったフライドチキンの骨は大切に持ち帰り愛犬(かひちゃん)に食べさせてやるのを楽しみにしています。(本当に美味そうに食ってくれます)

ここから宇多野山越えの道を通って周山街道へ高雄から栂の尾を通って中川、小野郷保津川上流に沿って帰るのです。

2〜30年昔はよく市内の店にバイクで通っていました。夏場は35度以上の京都市内からスタートして宇多野山越えの道に入ると肌に温度が下がるのが感じられます。続いて周山街道に入る高雄辺りから又少し下がり、国道から最後の自宅まで3キロの道を曲がるとヒャーとした冷気に変わります。

以前は帰りが夜になる時は長袖のジャンパーなどを羽織っていないと真夏でも寒さに震えました。

京都北山(丹波高原)は最高の居住地と思いますが街の中でないと住めない人ばかりになって京北町は毎年100人ずつぐらい人口が流出しています。

荷台と背もたれ

やはり機械はメンテナンスが肝心、整備してもらったらメーター一杯(60キロ)スムースに吹き上がります。(罰金が怖いが)

 

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