八重山日報 2017年8月13日
オスプレイ飛行禁止を要求 辺野古阻止で反対派大会
【那覇】米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対するオール沖縄会議主催の「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」が12日、奥武山陸上競技場で開かれ、多数の参加者が全国から集まった。移設に反対する大会宣言と、米軍輸送機オスプレイを「危険な欠陥機」として沖縄や国内での飛行を全面禁止するよう認める特別決議を採択した。
あいさつに立った翁長雄志知事は「オスプレイの事故は県民が危惧した通りで憤慨に堪えない。米軍が必要と言えば(飛行を認め)引き下がる。日本の独立は神話だ」と述べ、政府の一連の対応を批判。「辺野古を埋め立て、半永久的な基地を造るのは容認できない」と怒りを込めた。▼全文は「新聞オンライン.com」で
http://www.shimbun-online.com/latest
世界日報 2017/8/10(木) Viewpoint|沖縄
エルドリッヂ研究所代表・政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ
「政治」より「正義」優先を
日本の行方占う名護市長選
今からちょうど1年前、7年間の沖縄県での生活を終え、関西に戻った。引っ越しを決めた背景には、私事ではあるが、子供たちの教育環境、妻の親への孝行、そして私の本土出張の多さがあったが、最も影響したのは、沖縄の政治・社会の極左化とそれが生む悪循環だった。
特にそれを感じたのは、昨年7月の参議院選挙の時だ。
2014年11月の知事選をはじめ、その直後12月の衆議院選挙で保守系の現職の候補4人、全員が負けた。そして16年の参院選に現職の自民党候補が敗北し、全ての沖縄選出の国会議員は革新系になった(比例復活当選した人もいるが、選挙区の議席を失ったので、発言権は激減した)。
話を戻すと、島尻氏が負けた日に、私は沖縄を去ることを決めた。保守系は、沖縄を良くする気がなければ、これ以上、沖縄で頑張る必要がない。政府と喧嘩(けんか)したがり何も進まない翁長雄志知事の県庁行政、そして、知事と同様な姿勢の革新系国会議員が、無法な活動家と一緒になって行動している。無秩序な県にはこれ以上いたくないと判断した。
不動産屋に賃貸の家を1カ月後に出るとその翌日伝え、関西への亡命作戦を開始した。あれから1年がたっている。その決定は全く後悔していない。個人の生活上、それはもちろん良かった。また、沖縄を諦めることで、保守系がその深刻さに気付き、何とかしないといけないと思うようになると期待していた。しばらくの間、明るい兆しを見始めていた。
それを最初に沖縄を再訪問した昨年12月に感じた。いわゆる保守系が、弱い姿勢から少し進んで、正論を公に言えるようになりつつあったことを耳にした。つまり、「政治」から「正義」へ移り始めた。そして、何人かの現職議員や将来の政治家候補と意見交換する中で、「政治」を超えて「政策」を議論するようになっていると感じた。その結果、県内で重要な選挙を勝ち、それぞれの反翁長県政の現職の首長が再選された。
その勝利は県内外で大きく報道され、評価された。沖縄の「保守」が強い、翁長県政が弱いとかという解釈だった。その通りかもしれないが、現職の再選と、相手を倒して当選するのとは、次元が違う。革新系の現職が負けて、保守系の新政権の誕生になる選挙でその現象が起きて初めて、その評価を下せると思う。
7月2日に行われた革新系の那覇市の市議会選で、自民党は7議席を確保したことで大喜びだったが、共産党も同じ数を取った。喜んだ人々は、重要な流れや傾向を把握せず、全体像は見ていない。
09年から16年まで沖縄で勤務した7年間近く、実は、革新系との「戦い」はやりやすかった。一方で、重くて行動せず、正義感が欠け、正論を言わない保守系をおんぶしながら戦うのは大変だった。
いずれにしても、保守系が「正義」と「信念」を忘れて、政治を優先したら、今後は苦しい先が待っている。特に、沖縄の保守系、とりわけ自民党は歴史的に、地域、人間、戦術、そして利権でバラバラな組織や集団であり、選挙になると、革新系ほどの団結をなかなか見せない(そもそも「ない物」は見せられない)。
象徴的なのは、来年1月の名護市長選に向けての保守系、つまり野党の候補をめぐる調整だ。14年1月の市長選では、保守系(自民党本部と県連)は見事に勝てるはずがない「外部」の候補を立たせる一方で、勝てる候補(島袋吉和前名護市長)を退けて、ひどい戦いをした。今後の沖縄県(従って日本全体)の鍵を握る名護市長選でまとまっていない保守系は、力が低下していると言われる翁長知事の「オール沖縄」側に緊張感を与える態勢をつくっていると言えない。
ぜひ気付いてほしい。全国もそうだが、特に沖縄での各選挙はその後の流れをつくる。名護市は歴史的にその役割を果たしている。最も代表的だったのは、革新系の(故)大田昌秀県政から保守系の稲嶺恵一県政へ奪還した知事選のあった1998年の9カ月前の2月、保革の新人2人の争いとなった名護市長選で、政府に協力姿勢を示していた岸本建男氏(故人)が勝ち、それが同年の知事選の勝利につながった。
来年はもっと重要な選挙の年になる。名護市長選をはじめ、9月の同市議選、11月の知事選、そして時期は未定ではあるが、衆議院議員選挙。また、保守系が分裂している石垣市の市長選も2月に行われる。油断できない。しかし、保守系はまだまだその深刻さに目覚めていない。過去の敗北の教訓を生かさず、真の勝因を分析していない。しかも、さまざまな思惑で、進言や助言に耳を傾けない。目や耳が不自由な状態のままで、来年の国家の行方にとって重要な選挙に突破しようとしている。
そもそも保守の意味は、伝統や価値観を大切にするのだが、沖縄の保守は、単なる「守る」にすぎず、しかも、守るのは「自分たち」でしかない。これは沖縄県を含めて日本国や世界にとって良くない。沖縄の保守よ、「個々益」ではなく、「国益」を考えなさい。