狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

奴隷の平和を説く八重山毎日

2011-12-19 07:02:37 | 八重山教科書採択問題

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

[大言壮語を言う割りには、言っていることと為す事が大違い]

これに相当する諺を思い起こしてみたが、浅学の筆者には「言うは易く行うは難し」くらいしか脳裏に浮かばない。

ためしに英語の同義語を当たってみたらこんなのがあった。

There is a great difference between word and deed.

「言うと為すとは大違い」と訳すれば冒頭の文のニュアンスには近い。

で、誰がどんな大言壮語を言ったかというと、八重山毎日の社長の筆になるコラム「不連続線」に書かれた「時代で右顧左眄(うこさべん)するわけにはいかない」という「大言壮語」のことである。

まさに言っていること、為すことが大違いではないか。

オトシタレの読んだか?ブログさんが八重山毎日の大言壮語をからかっておられるので、以下に一部抜粋して紹介する。

        ★

八重山毎日新聞10月16日付「不連続線」
抜粋――――
▼“
のつくほどの田舎新聞ではあるが、反戦平和と島の自然保護の立ち位置では一貫して筋を通してきたという自負もある。加えて新聞の権力批判は当然で保守革新を問わない。権力の側が力を誇示し笠に着たりした時、読者に代わり苦言を呈しているにすぎない。最近の教科書問題でも弊紙の反戦平和や人権問題、読者の知りたい情報の公開などを訴える投稿、主張を指して偏向という人たちがいる。時代で右顧左眄(うこさべん)するわけにはいかない。(仲間清隆)

 ―――――
終了


「時代で右顧左眄(うこさべん)するわけにはいかない」

 時代で右顧左眄しないことを心がけて、教科書問題で自爆、HPの記事も8月~11月までの4カ月分を削除して、紙面で玉津教育長の公開質問状の回答まで掲載してしまった八重山毎日新聞。

 「時代で右顧左眄」せず「公正中立」な報道をして購読者が減り、広告が減り、記者が力を込めて書いた記事を
WEBから葬ってしまったとしたら皮肉なことである。購読者が政治的に偏向しているのかも知れない。伝説の左顧左眄、失礼「右顧左眄」を書いた「不連続線」は、もうHPで読むことはできない。

       ★引用終了

17日のエントリーで「備え有れば憂いなし」という諺を引いて、安全保障、平和論について書いた。偶然にもその翌日の八重山毎日には育鵬社の教科書に反対するプロ市民が大上段から「平和の考え方」を講釈している。

「時代で右顧左眄」せず「公正中立」な報道をするはずの八重山毎日は、筋金入りのプロ市民の手を借りて、読者に「平和論」を講釈するに至ったのだ。
折角だからとりあえず、そのご高説に目を通して頂きたい。
 

■八重山毎日新聞 12月18日

【論壇】平和の考え方
〜一人ひとりの命を守り平和を築いていく〜
  
前大用裕(西表祖内、循環型農業

 きな臭い2011年が暮れる島の師走をちょっと辛口で締めくくりた
い。読者にとって、平和とはどのような認識と理解であろうか。
 例えば実際に、尖閣諸島を自衛隊に守ってもらう方が後方の市民
としては枕を高くして眠れる。平和とはそのような状態をいい、盾
となる自衛隊配備はなくてはならない。戦闘状態になった場合は、
誰かが犠牲になるのはやむを得ない。いわゆる平和をこのように認
識する読者は、多いのではないか。
 止まれ!人権という立場からするととんでもないことである。

衛隊員を犠牲にした「枕高き平和」は、人の命を粗末にする偽装平
和にほかならないと私は考える。
 
ところで、今年の中学校教科書の動きや与那国の自衛隊配備計画
は、そもそもが犠牲を前提とした防衛思想が根底にある。近
代軍事
思想は、イギリスの騎士道に淵源(えんげん)があるとされる。戦
場に赴き、前線の出征兵士が後方の民を守るという建前の構図であ
る。忠君愛国の侵略戦争もしかりであった。
 しかし
実際の戦場では、攻撃のみか避難、誤爆などで住民が犠牲
になるのが周知の事実である。それすらも知らずに自衛隊を過信し
て誘致に賛成するとは、戦争を肯定した自殺行為と言ってよい。尖
閣諸島を守ってくれるから安心などと本気で考えている市民がいる
としたら、お人よしのおばかさんである。
 戦争はいきなりは来ない。国民を洗脳して徐々に戦争できる状態
に合意形成し、戦争に巻き込むのである。気づいた時には巻き込ま
れている。戦争の被害者であり、加害者となる。
 
戦後の新憲法は、以上の犠牲や戦争を抑止するために9条をはじ
め25条など、国民の命と生活や人権を守る方の趣旨によって成り
立っている。この憲法を迂闊(うかつ)に一字でも「改正」しよう
ものなら、たちまち戦争の論理に転げ落ちてしまうだろう。人の命
を粗末にしたあの戦前の二の舞である。
 平和とは守ってもらうものではない。
智恵を絞り一人ひとりの命
を守り、民がつながり、平和を築いていくものである。そこで外交
力などが試される
 
それから「武器には武器で対抗する」という前近代的思想では、
敵と味方に別れて再び過ちを繰り返すのは明らかである。これは相
手を警戒させ緊張を高めるばかりか、戦争を呼び込む愚策にほかな
らない。
 いま、この愚策が声高(こわだか)にはびこり出している。
子や
孫の代を視野に賢くたくましく、仲良く楽しくやれないものだろう
か。「国境」の群島に住む私たちこそ、思想的に人一倍そうであり
たいと思う。今年は大震災や原発災害を転換点に、初心に帰り百年
の大計で平和の考え方を正す時期にあるのではないか。
 私たちに命を授けてくれた地球に改めて感謝する。そして、私た
ちは持続可能な平和と環境を末永く築けるように努力する。感謝と
努力を忘れずに、2012年という新玉(あらたま)の年を迎えようで
はないか。

                ☆

旧社会党の「非武装中立」に立脚した苔生した「平和論」を堅持しているからだ。

今時国民に見放された「空想的平和論」に固執しているようでは、八重山毎日の命運も旧社会党と同じ道をたどるのだろう。

 なるほど「時代で右顧左眄」しないはずだ。(爆)

 

(※)第2弾!!暇だったので左翼の集会に行ってみた

現実には目を閉ざしたプロ市民の空想的平和論に今更正面から突っ込みを入れるのも疲れるので、以前のエントリーでこれに替えたい。

         ☆ 

テポドンで日本の安全保障を考える

 五、六年のことだったか、石原慎太郎が護憲派ー改憲派論争、自主防衛論争に関して刺激的な発言をし物議をかもした。

石原いわく『一度テポドンが、京都の金閣寺にでも落ちてくれたらと思う。』

そこまでの事態にならないと、この国(の護憲派)は軍事の必要性に目覚めないという論理なのだ。

この発言は石原慎太郎・田原総一朗共著「勝つ日本」の中の対談にも出ているが、当時の田原は北朝鮮がテポドンを撃つ可能性は非常に低いと見ているようだった。(「勝つ日本」http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163557202/249-9080934-4878720?v=glance&n=465392

石原と田原の安全保障への認識は違うようだが、アメリカを排除すると言う点では奇妙に一致していた。

日本は日米安保によって守られていると思っている人は多いが、いざという時、アメリカが日本を守って戦うなどということがあり得ない事を 二人は共通の認識として所有している。

軍備には、「攻撃のための軍備」と「攻撃されないための軍備」がある。

後者の軍備をも必要なしとするのは、将来日本が外国に攻め入られたとして、その時「まったく抵抗致しません。」という意思表示でしかないのだ。

これでは負け犬と同じである。 日本はこのような国であってはならない。

「攻撃されないための軍備」とは、必ずしも軍備を使うことを意味しない。 いや使わないで済めばそれ以上の外交的勝利は無い。

軍備という事実そのものが、高度に政治的な駆け引きとして通用するのである。

強力な軍備は、外交的駆け引きの重要なカードになりうるのだ。

カード無き外交は、何度「平和的話し合い」を続けても相手国の条件を「マル飲み」する以外に手立て無い。これは歴史の示す教訓である。

                   ◇

■森嶋教授の平和論

更に30年近く時代を遡る。

ロンドン大学の森嶋教授と言うだけで記憶が曖昧だが、国の安全保障に関して「ソ連に侵攻されたら戦わずして降伏すれば良い。死なずに済むから軍備は入らない。 (奴隷になったらどうする、という反論には)死ぬよりは奴隷として生きるほうが良い」と言ったような意見を雑誌で読んで驚いた事を想いだした。

ネットは便利なもので30年ほど前の曖昧な記憶を検索で明瞭にさせてくれた。

≪森嶋通夫【ロンドン大学教授】
「不幸にして最悪の事態が起きれば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他ない。34年前に米軍を迎えたようにである。そしてソ連の支配下でも、私たちさえしっかりしていれば、日本に適合した社会主義経済を建設することは可能である。」
出典元:1979年3月9日『北海道新聞』より≫


                  ◇

■小泉元首相の平和論


小泉首相も「奴隷の平和」について国会で発言していた。

田英夫社民党議員との討論は記録に留め置くべき名討論だ

■2003年6月5日の有事法制参議院特別委員。

7:47 社民党の田英夫氏の答弁開始

田英夫君:(略)・・・・、だんだん戦争体験者が少なくなってきた。そういう中でもうそろそろ憲法改正していいじゃないかというような気持ちが総理を始め皆さんの中にあるとすれば、私は死ぬわけにいかない。いつまでも生きていかなくちゃいけませんよ。この戦争体験者の、そしてまた戦争犠牲者の貴重な体験というものをもっと大事にしていただきたい。いかがですか。

内閣総理大臣(小泉純一郎君):(略)・・・自衛隊がなく、いかなる戦力も保持しない、非武装だから平和が守れるんだ、独立が守れるんだという考え方もあるのは承知しております。しかし、そういう考え方には私は同調できません。諸国民の公正と信義に信頼して、日本は武力を持たない、自衛隊を持たない、いざ侵略勢力があったら何も戦わないで降参しますということが相手への侵略を防げるかとは思っておりません。

国民の公正と信義、その公正と信義のない国もあるのも過去の歴史が証明しておりますつい最近、イラクもクウェートを侵略しましたね。あるいは様々な国々はこの歴史の中で何回も侵略を繰り返し、戦争、紛争を繰り返しております。だから、日本だけが戦力を持たない、自衛隊を持たない、軍隊を持たなければ相手も安心して何もしないというのは余りにも危険ではないでしょうか。

私は、実験が利かないんです、これ。一度侵略されちゃったら、後どうもできない。かつてのソ連の後の圧制に苦しんだ国々がどれだけあったか。ソ連が今ロシアに変わって民主主義みたいな政界、政体に変わろうとしているのは私も歓迎しておりますが、一たび全体主義、独裁主義に羽交い締めされた国がどれほど自由を失ってきたか。

こういうことを見ると、私は単なる奴隷の平和じゃなくて、平和であったらやっぱり自由に基本的人権を謳歌しながら日本の平和と独立を維持しなきゃならない。戦争は嫌だ、侵略された方がいい。確かに戦争をしなければ侵略されて、その国の独裁に任せれば戦争は起こらないかもしれません。それだったらもう奴隷の平和です。私は奴隷の平和は選ばない。

 やはり平素から日本の平和と独立を侵そうとする勢力に対しては断固たる決意を持って抵抗するという、その備えがあって初めて戦争は防げるんじゃないでしょうか

小泉さん お見事  

【おまけ】

 ■八重山日報 12月18日

教科書無償給付を
竹富町議会
陳情3件を採択

…教科書無償化を求めている町議会議決の要請は、竹富町の子ども
に真理を教える教科書採択を求める会。
 文部科学省側が「町のみ有償化であっても良い」という見解を述
べたことから、「憲法や教科書無償措置法に違反する許し難い文教
施策」と指摘。町の子どものみ有償とする文部省の見解に対して、
町議会の抗議決議を求めている。

        ☆

なんだ。

抗議決議を求めているだけで、決議はされていないのか。

 

参考ブログ:
 
タケトミ真理教は子供の夢と希望-八重山教科書問題- 

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

コメント (4)