「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

コミュニティBOSAIの限界を思い知らされる

2011-02-15 23:18:45 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
8時過ぎにホテルを出発。

まずは、チリキ県を管轄する国家災害対応機関、
SINAPROCのチリキ事務所へ。
ここでも、日本研修OBが活躍中。

副所長のSさんも昨年11月に日本研修に行ったメンバーの一人。
2か月ぶりの再会となる。
ありがたいことに、多少とも英語が使える、中米では貴重な人材。

また、同事務所に配属されたばかりのJOCV防災隊員Mさんとも
初めてお会いする。いろいろと事前に話を聞いており、
着任を心待ちにしていたような次第。

ともあれ、この日は、当地を流れるチリキ・ビエホ川の上流と下流、
2つのコミュニティを訪ね、地域の自然・社会条件とBOSAI活動を見て、
来年度の活動計画についての想を得るのが目的。

上流部のコミュニティでの活動は、概ねイメージができる。
Cerro Punta市?のGuadalupeとLas Nubes、2ヵ所のコミュニティで
コップ型の雨量計による観測状況を確認する。
きわめて原始的なるも、これが原点であることは間違いない。
地区にある15の小学校にこの種のシステムを導入したいとSさんは言うが、
まったくもって妥当な計画だと思う。

ここがパナマか、と思うくらい、上流部では、きれいに開墾された畑が続く。
トラクターの姿も見え、本当に日本の山間部を思いだす。

ただ、昨年秋の長雨で流されてしまった橋もあった。
仮設橋の準備が進んでいるが、このレベルの降雨が毎年あるかと思うと、
何ができるのか、本当に考えさせられるところであった。

途中のVolucanの町で昼食。牛肉の煮込みは外れがない。

午後は下流部へ。コスタリカとの国境であるCanoasの町を通り、
河口に近いとまでは言わないが、Bacoの町へ。

このコミュニティは、どうやって対応したらよいのか、
はたはた、アイディアに困るコミュニティだった。

BOSAIには当然のことながら2つのアプローチがある。
国家レベルで行うトップダウンの各種の防災行政と、
コミュニティからのボトムアップによるBOSAI。

言うまでもなく、プロジェクトBOSAIは、
コミュニティBOSAIに焦点を当てたもの。
それは、残念ながら途上国でよく見る(見ざるを得ない)
グッドガバナンスの欠如ゆえ、
国や地方行政があてにならないからこその、
住民の自助に期待するしかないという現実的なニーズに基づいたもの。
しかし、出来ることには自ずと限りがある。

午前に見た上流部では川幅もわずかなチリキ・ビエホ川も、
下流部になれば川幅20mにもなる。
その川の洪水対策を住民参加型でやろうとしても、
やはりそれは無理というもの。

国家レベルでの治山治水事業が必要なのは、
どの国でも同じこと。
場合によっては胸までつかる洪水に年2回とか3回とか見舞われる状況を
何とかしたいという思いはもちろんあるが、
数千ドルでそれなりの成果を出せ、と言われても、
相手が川幅20m級の川での治山治水というハード対策となると……、
そりゃ無理よ、という話にならざるを得ない。

ソフト対策としての避難所運営くらいは何とか手伝いたいが、これもなかなか……。

現場に来てよかったとは思いつつも、こういう時には、
役立つアイディアや方針を示せない我が身が不甲斐なくなる。
ここ、1、2週間の間に、何かしらのアイディアが思い浮かべばよいのだが……。

ダビまでは、来た道をそのまま戻る。
パンアメリカンハイウェイを経由して、1時間半ほどか。

一旦ホテルに戻り、20時近くに再度集合。
一行を、ステーキハウスに招待してご接待。
看板はステーキハウスだが、実態は中華レストランに近く、
前菜に頼んだ春巻きは久しぶりに春巻きらしい春巻きだった。
何だかんだと一行6人で120ドルくらい使ってしまったが、
まぁ、これくらいは気持ちということで。

M隊員をホームステイ先まで送るのが
ちょっとしたドライブになってしまったが、
それはご愛敬。

ホテルに戻り、フローラ・デ・カーニャの氷ナシ水割りを飲みながら、
メールやら原稿書きやら。




                                (2月17日アップ)