「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

高校生中越沖地震現地調査・ボランティア体験ツアー(1日目)

2007-08-16 23:16:29 | Weblog
 8月16日

 この日から1泊2日の予定で、静岡県内の高校生を引率しての中越沖地震
現地調査・ボランティア体験ツアー。

 この種のイベントにあたっては毎度のことながら、ほとんど徹夜状態で
朝を迎える。シャワーを浴びて身支度をし、5時半過ぎに学生に迎えにきて
もらい大学へ。荷物等を積み込み、集合地点の富士駅南口へ。マスコミの
取材が数社。一応は団長という立場ゆえ、それらしきことを言って0700
出発。まずは一般道を沼津へ。0745沼津駅北口。沼津から乗るメンバーを
加えメンバー24人全員がそろう。内訳は高校生12人、高校の先生3人、
本学学部学生5人、裾野市防災交通室と静岡県東部地域防災局から各1名。
そして本学職員のYさんと小村。

 途中適当に休みを入れつつ、東名沼津IC⇒御殿場IC⇒一般道⇒富士
五湖道路⇒中央道⇒八王子JCT⇒圏央道⇒鶴ヶ島JCT⇒柏崎ICへ。
移動中はもっぱら爆睡なるも、途中、新潟県川口町を過ぎるころから、車窓に
ひろがる風景について解説を始める。中越地震の時の話、前回・前々回と
柏崎に入った時の話、高速道の段差の話、等々。

 14時過ぎに柏崎着。さっそく国道8号の新田畑交差点近くのAさん宅で、
農機具移動を手伝う。人数が多い分作業はすぐ終わる。その後Aさんから
地震の体験談をいろいろと聞かせていただく。あっという間に1時間が経つ。
高校生にとっては、鮮烈な歓迎体験、か。

 Aさん宅を失礼して、比角(ひすみ)地区の比角コミュニティ・センターへ。
 主事Yさんと神戸からおいでになったボランティアTさんに、この地区の
被災状況とコミセンの活動について話を聞かせていただく。このコミセンで
作られていた被災地図は大したもの!聞けばTさんは阪神淡路大震災の時、
神戸市東灘区の魚崎小学校避難所のリーダーだったとか。なるほどと思う。

 以下はこれからの課題として受け止めてもらいたいが、一点気になった
ことがあった。それは、この地図の被災区分が、全壊と半壊であったこと。

 被災した住民自身が、自分自身の将来を考えるため、被災状況を「見える化」
してモノを考える、ということは、被災地の復旧・復興の上で極めて重要。
であるならば、公的に被災度合いを認定する「り災証明」の発行を先取り
して、自らも同じ基準・同じ方法で、行政と平行してチェックできないものか、
と思う。

 現在、一義的には行政職員向けではあるが、一般の行政職員(つまりは建築に
ついては素人)であっても、半日程度の講習会とOJTでり災証明発行に必要な
被災状況調査ができるよう、パッケージ化された訓練システムがある。これを
住民サイドでも活かさない手はないと思う。あとはやる気の問題だけ、のようにも
思うのだが、いかがだろうか。
 (つづく)

 (8月23日、スマトラ沖地震津波についての4回目の現地調査で来ている
バンダ・アチェにて記す)

大学⇒内閣府(防災担当)⇒総務省消防庁⇒新宿6丁目⇒いこいの村あしがら

2007-08-10 23:49:40 | Weblog
 8月10日

 朝イチ大学へ。前期の成績提出日。今年度からWebに入力する
システムとなり、「ごめんなさい」がきかなくなってしまった。
その分時間厳守にならざるを得なかったが、何とか(本当にめずらしく
比較的余裕を持って)、入力を終わらせることが出来る。

 新幹線で東京へ。この日までは新幹線の回数券が使えるという、
お盆休み前の金曜日である。いつものK君と東京駅で待ち合わせ、
内閣府防災担当へ。災害予防担当の参事官補佐で、公務員時代の
研修同期であるW氏と3人でパワーランチ。

 「パステルカラーの防災」「ぬるい防災」などという、どちらかと
いうと苦手なタイプの市民向け防災運動である「ぼうさいかふぇ」に
ついて意見交換。

 W氏、K君と別れ、となりのブロックにある総務省消防庁へ。1330
から地方公共団体における総合的危機管理体制のあり方研究会の追加
研究会。三菱総研のNさんとご一緒させていただく。都道府県レベルの
地方公共団体が、3年後には当たり前に果たせるようになっていて
もらいたい危機管理の機能について、事務局も一緒になってのブレイン・
ストーミング。いろいろと考えさせられる。次回、次々回に議論する
ことになるであろう、機能を果たすために必要なリソースについての
議論が一層楽しみとなる。終了後、Nさんから、社会安全における目標
設定についての研究会に誘われる。有難い話とお引き受けする。こちらも
楽しみ。

 再びK君と合流し、新宿6丁目へ。われらがOママの事務所で、
DIGや防災・危機管理についてのHPについて、いろいろと議論
する。このままでは死蔵が必至の被災現場の写真や資料の山に
ついて、どうすればうまく公開できるようになるか、様々なアイディア
をいただく。これから仕掛けなければ、である。

 品川・新幹線・小田原・小田急各停・新松田経由で「いこいの村
あしがら」へ。恒例行事である親戚一同との夏の旅行。父はすでに
ないが、嬉しいことに父の兄弟(つまりおじ・おば)、いとこ連中、
いとこの子供らが今年も集まってきてくれる。原稿書きやたまった
メールの処理は待っているが、それでもオフはオフ。

 (8月22日、インドネシア・バンダアチェにて記す)

裾野高校⇒大学

2007-08-09 23:44:59 | Weblog
 8月9日

 研修2日目。いつもの生活パターンからすれば極めて早起きの
6時起床。朝の集い、朝食、荷物の片付け、掃除等々。8時半から
3時間余、研修その3。テーマは「高校生として地域のために何が
できるか」。

 事例として選んだのは、静岡県内で地震・津波防災を考えるなら、
まずこの地のことを考えたいと常々思っている沼津市の内浦地区。

 地域特性を確認し、その良さを十二分に意識させつつも、同時に、
この地域に襲いかかる地震と津波のリスク(場所によっては震度7
の揺れ、発災後10分以内に約10mの津波!)を、地図&CG等で
イメージさせる。では、どうすればいいの???

 簡単な答えなどあるはずもない。けれども、知ってしまったから
には何かをしなければ、待っているのは事実上の集落の消滅である。
無論、高校1、2年生にとっては相当難度の高い課題であることは
百も承知。「毎日考えよ」などと言う気はさらさらないが、年に1度
くらい、この種の議論を本気で考えてもよいのでは、と思う。年齢は
関係ない。

 10のチームのそれぞれが、自分達なりのアイディアを紹介する。
その後、少ない時間ではあったが、スタッフも含めての総括フリー
ディスカッション。さてさて、1泊2日で、高校生達に何を残せた
だろうか。

 閉講式ののち、スタッフ反省会&遅めの昼食。大学に戻り雑事。

 (8月22日 バンダアチェにて記す)

大学⇒裾野市・静岡県立裾野高校

2007-08-08 23:41:37 | Weblog
 8月8日

 今年度からスタートする静岡県教育委員会主催の「高校生
防災リーダー養成研修会」。県内ほぼすべての高校から
1名ないし2名の高校生に参加してもらい、地域防災について
考えてもらう1泊2日の合宿を行なおうというもの。県内を
4ブロックに分けて開催されるが、小村の担当は東部地区で
会場は県立裾野高校。他の3会場は「体を鍛える系」だが、
東部会場は「頭を鍛える」がキーコンセプト。

 開講式、アイス・ブレイキングの後、まずは研修その1。
 先日の新潟県中越沖地震の被災地で撮ったナマの写真を見せ
つつ、倒れた建物と倒れなかった建物、何が違うのかを考えて
もらう。テーマは「目利きになる!」約80名の高校生1、2
年生のうち、さて何人が、ポイントとなる4つないし5つの
要素を「見る目」を養ってくれただろうか……。

 さらに卓球台1つ半に関東以西の20万図を広げ、今後想定
される東海地震・東南海地震・南海地震という「地震三兄弟」の
被災イメージと、今回の中越沖地震の被害様相が、根本的に
異なることを示す。小村のワークショップを経験した人であれば
おなじみの光景。親指と人差し指で測れるような距離と、大人3人
が手を広げた距離。この差は歴然としているが、さて、高校生の
目にはどう映ったか。「外部からの救援活動はまず当てにしない
ほうがいい」というのは、彼ら彼女らには小さからぬショック
だったようだが。

 さらにさらに。こちらもおなじみの新旧地形図の比較による
地盤のチェック。揺れやすい所、揺れにくい所を自分自身で
確認させようというもの。自然地理を学んでいる者にとっては
初歩的な実習なのだろうが、地盤の違いで震度階が1つ2つ
違ってしまうということを、高校生レベルであれば常識にさせ
たいと、本当に思う……。

 ともあれ、ここまでで3時間余。途中休憩をはさんだものの、
いささか飛ばしすぎ、だったかな?

 夕食の炊き出しカレーを食べつつ、県立吉原高校新聞委員会の
男子生徒3人からインタビューを受ける。三人組としては5分
10分のつもりだったのかもしれないが、気が付いてみれば2時間
近く。彼らの集中力が良く途切れなかったもの。大したものである。

 就寝前は、静岡県東部地域防災局のIさんによる研修その2
「クロスロード」。やはり他の方がやる防災ワークショップは
勉強になる。PPTによる資料の作り込みなどはさすが。見習う
べきところ、多々ありであった。

 久しぶりに体育館の床に寝る。プライバシー確保のため(?)に
テントは持ってきたものの、さすがは裾野市。せっかくの夜風を
楽しまない手はない。というか、風が止まると暑くて眠れない。
ロールマットにシュラフあたりがちょうどよかった。

 (8月22日 バンダアチェにて記す)

大阪・梅田⇒西淀川区役所⇒新大阪駅⇒伊丹空港⇒羽田空港⇒富士

2007-08-04 23:36:35 | Weblog
 8月4日

 開始時間よりちょっと(かなり?)遅れて西淀川区役所へ。
 すでに会場は議論白熱。これだけ充実している住民向け連続
ワークショップは、全国を見渡してもまず見つかるまい。住民も
すごいが、担当のKさんらスタッフの思いの深さ、Mさんの
ファシリテーションのうまさ等々、多くの要素がからみあっての
ことであろう。

 さてさて、「決め打ち」でしっかりと対策を考えておかなくては
ならないはずの「上町断層」による地震について、大阪市内の
他の区では、どんなことをやっているのやら。

 終了後、大阪市大のM先生、Mさん、Kさん、大阪市にお勤めの
陸自OBのKさんら、スタッフのみなさんと昼食。「東海・東南海・
南海地震の前50年後ろ10年に伊豆半島以西でM7級が数発」
などと言うと、地震の専門家はこんなアバウトな言い方にまゆを
ひそめるかもしれない。しかし、京都の花折断層系や大阪の上町
断層系による地震は、その社会的なインパクトがあまりに大きいが
ゆえに、確率の高い低いはあるものの、かなりの程度までは具体的に
考えておかなくてはならない、つまり「決め打ち」で考えておかなく
てはならない地震と考える。被害様相は概ねわかっているのだから、
そのような目に陥らないようにするにはどうすればよいか、知恵の
絞りようはあると思うのだが……。

 新大阪駅まで動き、久しぶりにMさんと詰めた話をした後、大阪・
羽田空港経由で富士の仮住まいへ。

 (8月22日 バンダアチェにて記す)