「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

消防系月刊誌の連載、冷汗をかきつつ何とか落とさずに済みました(^^;;;

2015-06-29 23:47:17 | DIG
締め切りをとっくに過ぎた原稿をかかえた週末に、13時間のセミナー講師の頼まれ仕事。
「旅の坊主」の段取りの悪さが原因=自業自得ということは良く分かっているが、
さすがに日曜夜の帰宅後はパンクでした。

とはいえ、消防防災系の月刊誌『近代消防』での連載を落とす訳にはいかず、
「災害図上訓練DIGを用いた災害対策あれこれ(第11回)」
週明け月曜日の講義の合間に、何とか4千字弱、ギリギリで押し込むことが出来ました。

本来であれば掟破りなのでしょうが、拙ブログ読者限定&禁転載で、抜粋で載せることとします。
(要するに、DIGセミナーに顔を出して下さい&一緒に楽しいお酒を飲みましょう、ということなのです。)

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〔連載11回〕DIG考案者によるDIGセミナー、毎月2回、静岡県内で開催中(その2)

前回に引き続き、毎月2回、静岡県内で行っているDIGセミナーの内容を述べたいと思います。
今回の物語の焦点は「着眼大局」です。DIGセミナーにおいてこの言葉で何を伝えようとしているのか。
実はこの言葉、今までの防災観・災害対策観とは「一味違う」何かへ、一歩進めたい、という思いの表れでもあるのです。

1.駿河トラフ・南海トラフ地震の被災範囲の広さを受け止めよう

DIGセミナーに限らず、私が頼まれて出前講座を行う場合、時間の許す限り、首都圏から九州東岸までを含む1/20万の地勢図を展開しています。
もちろん、駿河トラフ・南海トラフ地震(注:東海地震・東南海地震・南海地震と呼んだほうがわかりやすいでしょうか?いわゆるレベル1の話です)の
被害が及ぶ範囲のイメージを持ってもらうためです。

なお、私は、発生確率が実質的に無視し得る低さであることに鑑みて、いわゆる南海トラフ巨大地震(レベル2)は、
「念のため」として語ることはあっても、具体的な検討を要するものとは思っていません。一言申し添えておきます。

さて、この縮尺では、阪神淡路大震災の被災範囲は手のひら2つ分。
これに対して、駿河トラフ・南海トラフ地震の被害範囲は大人2人が両手を広げたくらいです。
東日本大震災の被災3県(の南北の広がり)は大人一人が両手を広げた範囲+α、と言えば、
その違いをイメージしてもらえると思います。

「量の違いが質の違いを生む」という言葉があります。被災範囲が広くなれば広くなるだけ、災害対応も難しくなります。
それも恐らく、広さが2倍になれば2の二乗の4倍に、3倍になれば困難さは9倍に、という感じではないでしょうか。
加えて、人口の多さ、社会経済活動の活発さを考慮する必要があります。
これらの要素は、災害対応のみならず復旧・復興を考える上で決定的に重要です。
つまりは、この災害における災害対応の負荷また復旧・復興の難しさは、東日本大震災の10倍あるいは20倍と覚悟すべきでしょう。
で、それらのことをイメージ出来て初めて、幾つかのことがリアルに見えてくると私は思っているのです。

例えば。
これだけの範囲が同時に被災地になった場合、被災地域外からの支援にどれほどの「手厚さ」が期待できるのか。
静岡、愛知、三重、和歌山、徳島、高知、愛媛、さらに大分と宮崎、状況によっては大阪を含むその周辺の府県においても
死者が発生しかねない超広域の災害です。実働4省庁が絞り出すだけ絞り出したとしても20万人には遠く及ばず、しかも、
発災直後から救助活動を開始出来るはずもありません。

「外部からの支援はないものと覚悟しておくべき」ということは、直観的に理解してもらえると思います。
また、「外部支援抜きにこの超広域の巨大災害とどう立ち向かうか」が議論されていないようでは、
この超広域巨大災害の本質をまったく理解していない、と言うことも出来るでしょう。

皆さんのプログラムの中には、この、20万図を用いるなどによる駿河トラフ・南海トラフ地震の被災範囲の広さを
視覚に訴えかけるものはあったでしょうか?そして、上記の自治体においては、外部からの支援は期待できないこと、
上記以外の自治体においては、全体状況を理解した上で、「自らの被災はさほど深刻ではない⇒
考えるべきは被害が甚大な自治体へ支援の手を差し伸べるべきこと」という意識を持つべき、ということを伝えているでしょうか。

「着眼大局」という言葉で伝えたい新しい防災観・災害対策観、その主要ポイントの一つは、
およそ20年後に私達が直面する超広域巨大災害の被災範囲の広さを踏まえた上で「腹をくくれ!」
「覚悟を決めよ!」ということなのです。

2.現在形の防災と未来形の防災と

さて、20万図地勢図等によって被災範囲の広さをイメージさせ、さらに、外部支援の「薄さ」、災害対応や復旧・復興の
困難さをイメージさせたならば、参加者に起こる反応は「腹をくくる」「覚悟を決める」ではなく、絶望感かもしれません。
何をしても無駄ではないか、と。

そのような感覚に襲われるのは当然のこと。それほどまでに覚悟しておくべき事態は深刻です。
私はむしろ、(瞬間的なものであってほしいと思いますが)参加者に絶望感を持たせるくらいのインパクトがなければ、
その防災講話なり防災教育は甘い!とも思っています。

物理的な被害は言うに及ばず、私が特に恐れているのは社会経済的な打撃です。
太平洋ベルト地帯という言葉は死語かもしれませんが、かつてそのように言われた地域が、軒並み被害を受けるのですから、
日本経済へのマイナスのインパクトは絶望的なものになりかねない訳です。

この「被災範囲が極めて広く」「社会経済的インパクトも計り知れない」絶望的な巨大災害ですが、一つだけ救いがあります。
もっとも、その救いに気付くには、今までの防災観・災害対策観から抜け出す必要があります。
求められているのは「今災害に見舞われたらどうしますか?」という「現在形の防災」一本槍からの卒業なのです。

幸いにも、と言ってよいと思いますが、海溝型地震にはある程度の周期性があります。期待出来ると言ってもよいでしょう。
駿河トラフ・南海トラフの地震についても、90年から150年、あるいは100年から150年という周期性が期待出来ます。
直近の発生は、1944年12月の昭和東南海地震と1946年12月の昭和南海地震です。
間をとった1945年から数えて今年でちょうど70年。自然のなすことゆえ100%の保証はありませんが、
まぁ15年程度の準備期間は期待してよいでしょう。うまくするともう少しあるかもしれません。
ちなみに地震学者として著名な京都大学元総長の尾池先生は、2038年発生説を唱えておられます。

いつ発生するかに本質はありません。発生までの間、海溝型地震の周期性に鑑みて、
20年+α(15年+αとすべきかな?)程度の準備期間がある、ということが本質的なのです。
つまり、しかるべき準備をするのに、十分ではないかもしれないが、「まったく足りない」ではない程度の時間的余裕はある、
ということなのです。

問題はその時間を活かせるか(あるいは活かせずに終わってしまうか)、なのです。

このことを私は「未来形の防災」と呼んでいます。
圧倒的に多数の防災論議は、現在形の防災、つまり、今あるいはごく近い将来に起きたらどうするか、の議論にとどまっています。
でも、本質的な防災はそこにはないのです。

避難所はどこで避難所にどう行くかに本質はありません。避難所に行かないことが防災なのです。
準備という言葉から「備える≒備蓄」という印象を持つかもしれませんが、○日分の飲食料の備蓄に本質ではないのです。
(なお、念のため言っておきますが、本質がないからと言って、それらのことが重要ではない、やってはいけない、
と言っている訳ではありませんので、誤解をなさらぬよう。)

世の中に、震度7の地震で潰れない家、駿河トラフ・南海トラフ地震(レベル1)の津波でも被害を受けない場所はいくらもあります。
しかも、リーゾナブルな価格でそれらの獲得が可能です。
余程の金持ちでなければ安全安心な暮らしは無理、という時代ではないのです。

ただ、世の大多数の人は、防災がそういう方向への努力だ、と思っている訳ではない。
そもそも防災とはそういうものなのだ、ということを知らない、このことが極めて大きな問題なのです。

「津波避難を考えなくても良い場所に住むということ。」
「津波避難を教えなくても良い学校を建てること。」
「避難所に行かずとも、被災後も自宅で生活できるような家づくりを目指すこと」
「可能な限りのエネルギーの自活」等々。

「理想主義に過ぎる」と言われるのは百も承知。「棒ほど願って針ほど叶う」のが世の中であるというのも二百も合点。
でも、今の世の中、求められているのは「ビジョン」「グランドデザイン」というものではないでしょうか?
残された時間、あるいは準備時間を活かして、避けられない超広域の巨大災害を織り込み、
可能な限り被害を受けないまちへと変えていくこと。
これが、未来形の防災であり、「着眼大局」の言葉で示したい新しい防災観・災害対策観の2つ目のポイントなのです。

3.約20年の準備期間を活かす活動を一緒に始めませんか?

静岡県内で月2回開催しているDIGセミナーでは、このような話をしています。
ただ、このような防災観・災害対策観は広く知られたものではなく、
そのため、依然として孤軍奮闘が続いている、という状況なのです。

という訳で、求む同志!
静岡でのDIGセミナーは毎月第2土曜日と第3土曜日です。毎回来ていただくという訳には行かないと思いますが、
まずは静岡まで足を運んでもらい、雰囲気なりメッセージのポイントなりを感じ取ってもらえれば、と思っています。
申し訳ありませんが、交通費をこちらで持つことは出来ません。でも、セミナー参加は無料です。
終了後に「アルコール燃料付き」ブレストも開催しています。受講&意見交換会の中で、要点を理解し納得してもらえたならば、
その後はそれぞれの地元で、この考えを広めていってもらいたい、と思っています。

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