「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

研究室は本を読む学生が集う場でありたい

2015-05-20 23:53:37 | 小村ゼミ
毎週水曜日は1年ゼミと2年ゼミのある日。
どちらの時間も、いささか窮屈ながらも全員で同じテーブルを囲み、議論をしている。

本学では、本を読む学生の数は本当に少ない。
(本を読む雰囲気に欠けていると言わざるを得ないのは、大学教員として忸怩たるところではあるが。)
せめても、というので、講義中には本の一部をコピーしたものを渡して読ませ、
それを踏まえて議論をすることにしている。
(本を読んだことを前提に講義をせよ、というのが正論であることは百も承知なれど、
地方私大の現実は、宿題として課したとしても何人が読むことやら……、なのであった。)

1年ゼミでも2年ゼミでも配布資料が同じというのはどうか、とは我ながら思うには思うが、そこは片目をつぶり、
今週は、雨宮処凛さんの『排除の空気に唾を吐け』のまえがきと第一章を読ませた。
格差社会の現実の一端なりとも理解させておきたい、との思いゆえ。

今日の日本社会では、大学を卒業するタイミングというのが、
精神的にも、経済的にも、自律(自立)の時期の一つだろう。
(高卒で社会に出るなど、タイミングに個人差はあろうが、概ね10代後半から20代前、だよね?)
で、本学に学ぶ多くの者にとっては、この4年(+α?)の学びが、体系的な学びとしては最終段階となる。
その残りわずかな学びの時間のうちに、本を読む習慣をつけさせることが出来るかどうか。
その点をかなり意識するようになった。

ゼミ生には、その気があれば研究室にマグカップを置いておくよう声をかけている。
飲み物(特にコーヒー)は切らさない小村研究室。

収納スペースがなくなったから、ではあるのだが、ゼミ生が囲むテーブルの上には本が平積み。
家主である「旅の坊主」がいなくても、この平積みとなっている本を手に取り、
コーヒーか日本茶か中国茶か、飲み物を片手に、本を読み、モノを考える。
やはりそのような学生が集う研究室にしたい、と思う。

「旅の坊主」が今読んでいるのは、内田樹編『街場の憂国会議:日本はこれからどうなるのか』(晶文社)。
こういう本を学生と読み、議論する中で、学生が何かモノを考えるようになってくれればよいのだが、
そう思っている。

こんな本を読んでいると、どこかから、「偏っている」などという声がかかりそうな気はする。
だから、当該学生が何を考えようと、それを方向付ける気はさらさらない。
ただ、「本を読め!」「現実を見よ!」「で、モノを考えよ!」とはしっかり言っておきたい。
「書を捨てよ!まちへ出よ!」と格好つけたいところはあるが、それを言うには学生の仕込みが足らな過ぎる。
しっかりと本を読み、自分の頭で考える習慣をつけよ、と。

そのためにも、「本を読んでいる姿」を学生に見せなくてはならない、ということは意識している。
(それは多分、専門書ではなく、文庫新書ソフトカバーの類ではあろうが。)
四六時中、テンション高く、本を読んでいられるか、と問われれば、やはりそれはNOだろう。
でも、時間があれば本に向かい、書き込みをしながら本を読み、
「学生と共有したい!」と思ったら、コピーして学生にも読ませる、そういう者でありたい。
また、「先生はこの本を読みましたか?」と、学生が手垢のついた本を持ってくるような、
そのような研究室でありたい、と思う。小村研究室は、本を読む者が集まる場としたいのだ。

改めて雨宮処凛さんの本を読み、前から気になっていた内田樹さんの本を読み、そして読んだからこそ、
このまま、本を読む習慣をつけさせないままで学生を社会に送り出すことは出来ない、と思う。
世の中はおかしい方向へひたすら走っているように思われてならないが、
本を読まなければ、おかしい方向へひたすら走っていること自体にも気付かないだろう。
来週のゼミの時間にも、また、本を読ませて議論する、そんなことをやるつもりである。


2 コメント

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まるで… (石川恭子)
2015-06-03 00:43:05
お父さん、ですね。
本を読んでいる姿を見せるって…と、思いましたが、そういった工夫も必要なのですね。苦笑
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お変わりなくお過ごしのことと思います (「旅の坊主」こと小村隆史)
2015-06-03 03:47:27
石川さん、小村です。ご無沙汰しています。
コメント、ありがとうございました。

何とか8か月連続の更新が続いています。我ながら驚いたことに、ですが。

本を読む習慣がついている者は、これから先、自学自習の可能性があります。
しかし、大学時代に本を読む習慣を身に着けられなければ、
そこから先、この習慣が身に着くとは考えにくい。

大学教員の仕事って、ここまでやることなのか?と思うことは日常茶飯ですが、
そういう姿を見せることも、先に生まれた者の役割かな、と。

たまには会って、食事でもしながら昔話をしたいもの、とも思いますが、
子どもが小さいと難しいかも、ね。
ともあれ、小村ゼミを忘れずにいてくれて、どうもありがとう。
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