いつものような朝。
言われてみれば当たり前のことなのだが、
出張報告書は、日本語版のみならず、
スペイン語版も必要とのこと。
そりゃそうだ!
何せ、カウンターパートの母国語はスペイン語なのだから。
残念ながら、
「旅の坊主」にスペイン語は書けない。
というので、まずは英語での出張報告を書き始めるが、
恥ずかしながらこれがなかなか文章にならない。
たかだか2ページのレポートに大苦戦であった。
同僚Kさんと、少しまじめな議論をする。
当地でも、BOSAIを考える上で、
「事前」「最中」「事後」という区分はある。
「予防に勝るBOSAIナシ」との観点からすれば、
事前対策を考えていることは歓迎すべき、と、言いたいのだが、
実のところ、当地で言う「事前」は、
「予防」とは似て非なるものであった。
当地で言う「事前」は、
ほとんどの場合「準備」を意味する。
つまりは、避難や救出救助のための準備であり、
「旅の坊主」が好んで使う言葉で言えば、
「仕込み」にあたる。
なるほど、「仕込み」は重要であるが、
そもそも論を言うならば、
被害に遭うか遭わずに済むかは、
一義的には「立地」と「(建物などの)構造」、
「旅の坊主」流に言えば「構え」で決まる。
立地を選ぶ(あるいは人工物で立地条件を良くする)ことと、
構造を選ぶ(あるいは強化する)こと。
この両者が、被害抑止の基本コンセプトである。
ただ、そのことは、
BOSAIというと救援、と思い込んでいる人びとには、
なかなか理解してもらえない。
事前準備の重要性を否定することなく、
だが、「予防」=「構え」の重要性をどう理解してもらうか。
これは、なかなかに難しい課題である。
さらに。
災害から守るべき「価値」としては、
「生命」「身体」「財産」
「自分」「家族」「コミュニティ」
という明確な優先順位がある。
だが、奇妙なことに、
往々にして、財産を守るために生命を失うことがあり、
また、
「(生命は守れたことを棚上げして)財産を失ってしまったではないか!」と、
憤ることもままある話。
この奇妙な逆転現象を、
「そういう解釈が一般的なのだ」と認識しつつ、
生命(身体)も財産も、を、どうやって形にするか。
そのための方法論が問われている。
さらにさらに。
知識を伝える時の怖さもある。
例えば、
当方としては「前兆現象があれば逃げよ」と
言ったつもりでも、
先方には「前兆現象がなければ逃げなくてもいい」と、
逆(裏)の解釈をされる可能性(危険性)もある。
前兆現象があろうとなかろうと、
ヤバいと思ったら逃げる習慣をつけさせること。
さらに、
逃げたが何も起きなくても、
「何もなくてよかったね!」と思える(言える)、
そんな住民を育てて行くにはどうすればよいか。
Kさんとは、そんな話をした。
なかなかハードだが、充実した議論であった。
(長くなりそうなので、
後半?は次の機会に。)
(10月29日アップ)
言われてみれば当たり前のことなのだが、
出張報告書は、日本語版のみならず、
スペイン語版も必要とのこと。
そりゃそうだ!
何せ、カウンターパートの母国語はスペイン語なのだから。
残念ながら、
「旅の坊主」にスペイン語は書けない。
というので、まずは英語での出張報告を書き始めるが、
恥ずかしながらこれがなかなか文章にならない。
たかだか2ページのレポートに大苦戦であった。
同僚Kさんと、少しまじめな議論をする。
当地でも、BOSAIを考える上で、
「事前」「最中」「事後」という区分はある。
「予防に勝るBOSAIナシ」との観点からすれば、
事前対策を考えていることは歓迎すべき、と、言いたいのだが、
実のところ、当地で言う「事前」は、
「予防」とは似て非なるものであった。
当地で言う「事前」は、
ほとんどの場合「準備」を意味する。
つまりは、避難や救出救助のための準備であり、
「旅の坊主」が好んで使う言葉で言えば、
「仕込み」にあたる。
なるほど、「仕込み」は重要であるが、
そもそも論を言うならば、
被害に遭うか遭わずに済むかは、
一義的には「立地」と「(建物などの)構造」、
「旅の坊主」流に言えば「構え」で決まる。
立地を選ぶ(あるいは人工物で立地条件を良くする)ことと、
構造を選ぶ(あるいは強化する)こと。
この両者が、被害抑止の基本コンセプトである。
ただ、そのことは、
BOSAIというと救援、と思い込んでいる人びとには、
なかなか理解してもらえない。
事前準備の重要性を否定することなく、
だが、「予防」=「構え」の重要性をどう理解してもらうか。
これは、なかなかに難しい課題である。
さらに。
災害から守るべき「価値」としては、
「生命」「身体」「財産」
「自分」「家族」「コミュニティ」
という明確な優先順位がある。
だが、奇妙なことに、
往々にして、財産を守るために生命を失うことがあり、
また、
「(生命は守れたことを棚上げして)財産を失ってしまったではないか!」と、
憤ることもままある話。
この奇妙な逆転現象を、
「そういう解釈が一般的なのだ」と認識しつつ、
生命(身体)も財産も、を、どうやって形にするか。
そのための方法論が問われている。
さらにさらに。
知識を伝える時の怖さもある。
例えば、
当方としては「前兆現象があれば逃げよ」と
言ったつもりでも、
先方には「前兆現象がなければ逃げなくてもいい」と、
逆(裏)の解釈をされる可能性(危険性)もある。
前兆現象があろうとなかろうと、
ヤバいと思ったら逃げる習慣をつけさせること。
さらに、
逃げたが何も起きなくても、
「何もなくてよかったね!」と思える(言える)、
そんな住民を育てて行くにはどうすればよいか。
Kさんとは、そんな話をした。
なかなかハードだが、充実した議論であった。
(長くなりそうなので、
後半?は次の機会に。)
(10月29日アップ)
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