「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

ホンジュラスはバジェ・デ・アンヘレスのキャンプ発、コスタリカ・サンホセへ

2011-05-01 23:33:13 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
中米時間 2011年5月1日(日)

久しぶりのキャンプ場、久しぶりの寝袋で、朝を迎える。
朝は7時からの活動というので、少しゴロゴロさせてもらったが、
それにしても、当地の仲間にまったく付いて行けない自分を発見、
ちょっと考えさせられてしまった。

同じホンジュラスでも、ひたすら汗まみれとなる南のチョルテカならともかく、
半袖では寒い、中央高地のバジェ・デ・アンヘレスの朝。
息が白くなるほど、とは言わないが、
薄手ではあるが、ウィンドブレーカーを着てホッとする気温であった。

そんな中、参加者の多くは、キャンプ場の水シャワー、
シャワーといっても、むき出しの水道管が壁から出ているだけなのだが、
そのシャワーを浴びているのであった。

朝のシャワーはほぼ欠かさない「旅の坊主」ではあったが、
さすがにこの気温での水シャワーはご勘弁であった。
情けない、と、笑いたければ笑えばいい、と、
開き直るしかないな。

それにしても、なかなか考えさせられる、
BOSAIキャンプであった。

多くは、アメリカ流のキャンプクラフトを模したものと思われたが、
少なくとも、「借り物だなぁ」との印象を持つことはなかった。
どこの世界にも、それなりのレベルの研修プログラムを企画・運営できる者はいる、
そういうことらしい。
必ずしもBOSAIに直結するものではないが、
これはこれで十分意味ある研修だったと思う。
BOSAIの、特に予防BOSAIの要素を取り入れることは、
なかなか難しいだろうが、挑戦する価値のある課題とも思われた。

10時過ぎにプログラムが終わり、後片付けを手伝い、
皆に別れを告げて、ドライバーMさんに、テグシガルパの空港まで送ってもらう。
サンサルバドルに帰るMさんと、ニカラグア・レオンに帰るSさんは、
途中の分岐までは同行動。
Mさんが、テグシは初めてのSさんの道案内を務めることになったので、
申し訳ないがSさんには、レオンからの参加者共々、空港までお付き合い願った。
さらに、将来のテグシガルパ市長?Jさんも、わざわざのお見送り。
再会を約してのハグの後、皆と別れてターミナルへ。

チェックインまでもかなり時間があったので、
カフェオレを飲みつつ、2日ぶりのメールチェック。
体調が今一つゆえ、昼食はパス。

2時間前には開始されるはずのチェックインも、
中米時間ゆえか、ずるずると延びて行き、おいおい、とは思ったが、
まぁ、何とかなり、16時のサンホセ行きLR711便の客となる。
久しぶりのATR42。といっても、機中ではほとんど爆睡ゆえ、
ターボプロップ&高翼機ゆえの見晴らしを楽しむことはなかったのだが。

サンホセのホアン・サンタマリア空港もだんだんと馴染みとなる。
旅客機としては小型のATR42ゆえか、この日は「沖泊め」。
イミグレも税関も特に問題なく過ぎ、
プロジェクトの車で、定宿?セントロのバルモラルへ。

H専門家はエルサルバドルから先についており、
打ち合わせを兼ねて、JICA事務所のY女史と3人で、
過日訪問した感動モノの飲茶の店、「皇朝」へ。

美味しい飲茶もさることながら、
この日、特筆すべきは、Y女史の一言。

細かい表現はともかく、
「Hさんは何のためにコスタリカにおいでになったのですか?」
この一言は効いた!

国際協力ゆえ、先方との調整は不可欠ではあるが、
先方の言うなりになっていては、本来の目的は達せられない。
カーニャス市における古タイヤ堤防の延伸工事の技術指導が本来の目的だったのに、
先方の調整の中で、いつの間にか、その時間がわずか半日になってしまっていた。
Y女史の一言は「それでいいんですか?」との、きつい一言ではあったが、
言ってもらって本当によかったと思っている。

それから大慌てで予定の変更をした訳だが、
おかげで大きな方向性を間違えずに済んだ。
カウンターパートに言うべきことを言えなかった我が身を恥じると共に、
深甚なる謝意をY女史に表したいと思う。

Yさんへ。
本当にありがとうございました。おかげで「道」を誤らずに済みました。



                       (中米時間5月7日深夜 遡ってアップ)