<輪島市名舟町>
今回、旅の日程が限られていたこともあり、
能登半島の神社を細かく見て回ったわけではないのですが、
本土側から半島の先へと進むに従い、
いわゆる「土着の神」を主体とした神社が、
徐々に増えて行く様子が見て取れました。
特に、羽咋と七尾を結ぶ邑知地溝帯を越えるあたりからは、
奈鹿曽彦、能登比古、阿良加志比古、加志波良比古など、
呼称さえわからないような社名や祭神名が目につき、
近隣のエリアと比べても、非常にプリミティブな
雰囲気が漂っていることを実感します。
仮に、大国主神が山陰方面から能登半島に上陸する際、
半島をぐるっと迂回して七尾側に向かったとすれば、
それは恐らく「能登の神々」の影響が大きかったのでしょう。
輪島市内などのいくつかの神社を除き、
能登半島の先端に行くにつれ、
大国主神を主祭神とする場所が少なくなるのも、
この地の神々の力を反映しているのだと思われます。
もしかすると大国主神は、この土地の神々こそが
「オロチ退治のためには欠かせない存在である」
と知っていたのかもしれません。