<出雲市・荒神谷遺跡>
タケミナカタとの関連も示唆される、
出雲の荒神谷遺跡に青銅器が埋蔵されたのは、
紀元1世紀ごろではないかとも言われています。
様々な説があるため明確な年代はわからないものの、
その時期の日本には、天孫族東征の兆しが見え始めており、
西日本を中心に大きな混乱が発生していた気配が濃厚です。
もしそうだとすれば、荒神谷遺跡に隠されていたのは、
祭祀具ではなく「武器」だった可能性もありますね。
仮に、荒神谷に武器が埋蔵されていたとするなら、
石上神宮という武器庫を管理した物部氏のように、
軍事力と祭祀力を併せ持った一族が、
この一帯を支配していたとも考えられるでしょう。
もしかすると、タケミナカタに例えられる軍事系の一派が、
氏族の神である「荒神」と、隠した武器を守るため、
荒神谷の周囲を取り囲んでいたのでしょうか……。
恐らくその当時、大国主神のそばにいた神々は、
天津神との抗争に敗れたり、天津神に服従したりした結果、
ほとんどがイズモから去っていたはずです。
国譲りの最終段階で登場し、天津神との戦いに挑んだ
タケミナカタは、大国主神に仕えた最後の氏族、
そしてイズモという国を守る「最後の砦」であり、
結界を守護する塞ノ神だったのかもしれません。