<湯梨浜町・倭文神社 しとりじんじゃ/しずりじんじゃ>
さて長々と、中国南西部の少数民族
ミャオ族についてお話してきましたが、
ミャオ族に限らず、中国山間部に
住む他の少数民族についても、
日本との共通点が多々見られることから、
恐らくはこの一帯を通過して
日本へとやってきた古代イスラエルの人々が、
彼らの信仰や文化をそれらの地に
残して行った可能性もあるのでしょう。
まあ、この話題を追求し始めると、
これまた底なし沼にはまってしまいますので、
また別の機会に譲ることとして、
なぜミャオ族の伝承を詳しく
掘り下げたのかと申しますと、
ミャオ族の始祖伝説に登場する
「伏羲(ふっき)」という呼び名が、
伯耆(ほうき)の語源になったのでは
ないかと睨んでいるからなのですね。
一般的に、「ほうき」の由来については、
「山脚が断崖となって水に落ちるところ」、
あるいは「蛇の古語」である「はは」の木という
意味の「ははき」などの説が有力視されています。
と同時に、スサノオとも関連すると思われる伏羲には、
「庖犠 (ほうき)」という別名もあることから、
伯耆=伏羲説もなかなか捨てがたいものがあるのです。