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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

伏羲と伯耆

2020-08-12 09:16:25 | 古代の出雲

<湯梨浜町・倭文神社 しとりじんじゃ/しずりじんじゃ>

 

さて長々と、中国南西部の少数民族

ミャオ族についてお話してきましたが、

ミャオ族に限らず、中国山間部に

住む他の少数民族についても、

日本との共通点が多々見られることから、

恐らくはこの一帯を通過して

日本へとやってきた古代イスラエルの人々が、

彼らの信仰や文化をそれらの地に

残して行った可能性もあるのでしょう。

 

まあ、この話題を追求し始めると、

これまた底なし沼にはまってしまいますので、

また別の機会に譲ることとして、

なぜミャオ族の伝承を詳しく

掘り下げたのかと申しますと、

ミャオ族の始祖伝説に登場する

「伏羲(ふっき)」という呼び名が、

伯耆(ほうき)の語源になったのでは

ないかと睨んでいるからなのですね。

 

一般的に、「ほうき」の由来については、

「山脚が断崖となって水に落ちるところ」、

あるいは「蛇の古語」である「はは」の木という

意味の「ははき」などの説が有力視されています。

と同時に、スサノオとも関連すると思われる伏羲には、

「庖犠 (ほうき)」という別名もあることから、

伯耆=伏羲説もなかなか捨てがたいものがあるのです。


ミャオ族の多様性

2020-08-11 09:11:06 | 古代の出雲

<神社資料>

 

ミャオ族の神話に登場する

蝶のメイパン・メイリュウは、

「伏羲」と「女媧」以前の民族創生に関わる神で、

ミャオ族の人は自分たちの祖先が

「蝶」だと考えているのだそうです。

 

「蝶」という生き物は羽に描かれる文様などから、

「蛇」とも同一視されることも多いのですが、

ミャオ族に伝えられる伝承を読み込んで行きますと、

どうも彼らの崇拝する生き物はひとつではなく、

ときには二つ以上の対象を「ミックスさせながら」、

崇めるべき神を創造していたような

雰囲気が伝わってまいります。

 

恐らく、祖先である蝶は「12個」の卵を産み、

一緒に生まれた「龍や虎は彼らの同族である」

「他の卵から生まれた龍や水牛は兄弟である」

という一説を見ても、ミャオ族の成り立ちには、

様々なトーテムを有する古代イスラエルの

12氏族なども関与してくるのかもしれません。

 

つまり、ミャオ族はひとつの血縁関係で

構成されていたわけではなく、

多くのイスラエル氏族と混交していた

可能性も否定できないのでしょう。

その証拠に、ミャオ族が年の始めに祀る

「芦笙柱(トン・カー)」というポールには、

ミャオ族の多様性を示すがごとく、

鳥・蛇(龍)・水牛の角が一緒に飾られると聞きました。


多彩な龍

2020-08-10 09:08:08 | 古代の出雲

 

<国立民族学博物館>

 

中国西南部の少数民族・ミャオ族が、

「蛇(龍)」および「牛」への信仰を持つことを、

ここ数日の記事でご紹介しておりますが、

ミャオ族の崇める「龍」とは、

いわゆる中華民族(漢族)の崇拝する

「龍」とは一線を画す存在であり、

牛龍、ムカデ龍、魚龍……など、

多彩なバリエーションが見られるといいます。

 

つまり、ミャオ族の人々にとって

「龍」という生き物は、唯一神のように

「絶対視」する対象ではなく、

常に「他の生き物と混交しながら」

柔軟に姿を変えて行く対象なのでしょう。

 

言うなれば、「牛」を信仰する人々や

「ムカデ」を信仰する人々、

あるいは「魚」を信仰する人々など、

様々な信仰形態を持つ人々と入り混じることで、

民族を形成・維持してきた歴史が

イメージできるのですね。

 

さらに、ミャオ族の「創世神話」に関する物語の中には、

==========================

太古の時代に「蝶」が12個の卵を産み、
山では虎が、川では龍が生まれ、
最後の2つからミャオ族の人間が生まれた。
龍や虎は彼らの同族である。

==========================

楓(ふう/フ)の木から生まれた
蝶のメイパン・メイリュウが、
水の泡と結婚して12個の卵を産んだ。
そのうちのひとつから人間(ミャオ族)が生まれ、
他の卵から生まれた「龍」や「水牛」とは兄弟である。

==========================

などの話も残っておりました。


二つの生き物

2020-08-09 09:05:22 | 古代の出雲

<国立民族学博物館>

 

中国西南部の少数民族・ミャオ族

に伝わる始祖伝承のひとつに、

蛇神である「伏羲」と「女媧」

を主人公とする物語があります。

 

ざっくり要約しますと、

==========================

雷神と戦った際に大洪水が発生し、
多くのミャオ族の人々が亡くなる中、
かろうじて逃れた兄(伏羲)と
妹(女媧)が結婚して子供を産み、
その人々が現在のミャオ族となった。
そして、ミャオ族が復興されたのちの、
紀元前2,500年頃に起こった黄帝
(中華民族の始祖)との闘いで、
敗れた「蚩尤」側に味方をしたことから、
「蚩尤」も始祖として崇拝されるようになった。

==========================

とのことです。

 

何でも、ミャオ族の人々は祖霊への

強い崇敬心を持つため、

祖先特有の図案やマークを衣服に

縫い込むだけでなく、

先祖をお祭りする日は、

した牛を供えたり、

牛の皮で太鼓を作ったりして、

先祖の霊を手厚く弔うのだとか……。

 

つまり、古代の日本と同様に中国の奥地でも、

「蛇龍」への信仰そばには、

なぜか「牛」への信仰が寄り添う

という図式が見られるわけですね。

このことからも、「二つの生き物」を

トーテムとする人々が、高い割合で

隣り合わせに混在していることがわかるでしょう。


ミャオ族(苗族)

2020-08-08 09:01:36 | 古代の出雲

<国立民族学博物館>

 

中国西南部の少数民族・ミャオ族(苗族)は、

日本と同様に古い歴史を持つ人々で、

揚子江周辺で繁栄した長江文明

(紀元前14,000年~紀元前1,000年)の時代にまで、

起源を遡ることが可能だといいます。

一説に「日本人の祖先」などともいわれるように、

衣食住だけでなく信仰や伝承、

さらには遺伝子等の面においても、

日本人との共通点を多々所有している

ことがわかっております。

 

揚子江(長江)といえば思い出すのが、

「龍蛇」のモチーフと稲作文化を

日本に持ち込んだ人々(海人族)ですね。

実は、ミャオ族の崇拝対象は多岐に渡り、

蛇(龍)をはじめ、蝶や鳥や水牛、

あるいは樹木や太陽に至るまで、

ありとあらゆる森羅万象のモノが、

「祈りの対象」となっているのです

(「うず巻き文」などの蛇を思わせる

図柄を身に着ける習慣もあるのだとか……)。

 

そんなミャオ族の人々の「始祖神話」

とも呼ぶべき伝説が、まさしく「伏羲」

と「女媧」を主人公とする話なのでした。


異類婚姻譚

2020-08-07 09:58:33 | 古代の出雲

<八重垣神社 やえがきじんじゃ>

 

紀元前3,000年頃のものとされる

シュメールのレリーフには、

7つの枝がある中央の木を挟むように、

右に牡牛神「ハル」、左に蛇女神「キ」

が描かれているそうです。それらの構図は、

中国の伝説上の帝王・伏羲(ふっき)と、

その妻である女媧(じょか)

のモチーフにも影響を与え、

さらには日本へと伝播し、

出雲神話を代表する神である、

スサノオとクシナダヒメに転写されたと聞きます。

 

つまり、牡牛神「ハル」がスサノオ、

蛇女神「キ」がクシナダヒメを示し、

二人を巡る物語は「牛族」と「蛇族」

の異類婚姻譚だったというわけなのですね。

 

ただし、人頭蛇身の姿を取る「伏羲」と「女媧」は、

両者とも蛇神であるという説が一般的であり、

それに倣うならスサノオもクシナダヒメも

「蛇神」である可能性が高くなります。

果たして、「伏羲」と「スサノオ」は、

「牡牛族」なのか「龍蛇族」なのか……、

古代出雲の謎を解くキーワードは、

シュメールの遺物の中にも隠されているようです。


偉大なる王

2020-08-06 09:55:12 | 古代の出雲

<石宮神社 いしのみやじんじゃ>

 

ここ数日の記事を書いていて思うのは、

各地の伝承で描かれる「大国主神」や

「大地主神」という存在が、どことなく

「弥生系」のニュアンスを纏っているということです。

「大国主神」が「大歳神(御年神)」に、

「牛の供犠」をいさめられる一節などは、

「牛」の伝来とともに弥生時代に来日した

「渡来民」を彷彿させる話ですし、

また『出雲国風土記』での「猪を狩る大国主神」の姿も、

少々視点を変えれれば「猪」が象徴する縄文人を、

大国主神が追い払ったような印象にも受け取れます。

 

どうも「大国主神」という存在は、

「縄文人」とも「弥生人」とも断定できないような、

一筋縄では行かない立場に置かれていたのかもしれません。

以前の記事内で、「縄文」と「弥生」との

境目が曖昧になってきたと記しましたが、

恐らくは「大国主神」のポジションも、

「縄文」と「弥生」との狭間に

位置すると考えたほうが自然なのでしょう。

特に、出雲の地においての「大国主神」とは、

縄文系だけでなく弥生系の人々にとっても、

偉大なる「王」だったという見方もできそうです。


犬に追われる猪

2020-08-05 09:50:34 | 古代の出雲

<石宮神社 いしのみやじんじゃ>

 

先日よりご紹介している、松江市宍道町の

「佐為神社」および「女夫岩遺跡」の他にも、

『出雲国風土記』における「犬と猪が岩になった話」

の伝承地とされるのが石宮神社(いしのみやじんじゃ)です。

「女夫岩遺跡」とは打って変わり、

広々とした田んぼが四方に広がる

見晴らしの良い場所にその社は鎮座しており、

鳥居をくぐると「猪石」と思われる

大きな二体の岩が出迎えてくれました。

また、「犬石」と呼ばれる岩のほうは、

本殿の裏に丁寧に安置されているところをみると、

こちらの神社のご神体として祀られているのでしょう。

 

ちなみに、宍道(しんじ)という変わった地名には、

「猪の道」という意味があるそうで、

「宍(しし)」とは「肉」や「猪や鹿」を表す古語です。

「牛」ではなく「猪」や「犬」が登場するということは、

縄文時代の名残を残す説話だとも考えられますし、

「犬に追われる猪」という内容にも、

何やら部族同士の争いの匂いが漂ってまいります。

もしかすると、意宇郡の西端で行われた「猪狩り」とは、

「猪」を狩猟の対象としていた縄文人を、

「大国主神」(の暗示する人物)が

追いやったという意味なのでしょうか……。


意味深な配置

2020-08-04 09:45:45 | 古代の出雲

<宍道町白石>

 

松江市宍道町にある「女夫岩遺跡」には、

『出雲国風土記』の意宇郡(おうぐん)

宍道郷の条に登場する「犬」と「猪」が、

この地で石に姿を変えたという言い伝えが残ります。

それが本当かどうかはともかくとして、

この遺跡の主人公であるふたつの巨石は、

古墳時代どころかそれ以前から存在する「磐座」であり、

数千年以上もの長きに渡り出雲国の歴史を

眺めてきたのではないかと個人的には感じました。

 

ちなみに、先日ご紹介した佐為神社には、

「三輪山信仰の発祥地」という伝承があり、

三輪山へと神様を遷す際に、

御神体であるこの女夫岩も一緒に

大神神社に移されたといいます。

恐らくは、三輪山のふもとにある

「狭井神社」とのつながりを前提にした

話でしょうが、いずれにせよ重要なのは、

この地に残る「サイ」という言葉でして、

その響きからは「塞ノ神」を祀る

切実な理由が浮かび上がってくるのですね。

 

そんなことをつらつらと考えながら、

「女夫岩遺跡」を後にすると、

遺跡の隣にあったのは、

なんと「JA島根中央家畜市場

(食肉などの解体・加工をする工場)」でした。

果たして、この意味深な配置の仕方は、

偶然なのかそれとも(偶然でしょうけど……)。


女夫岩遺跡

2020-08-03 09:39:47 | 古代の出雲

<女夫岩遺跡>

 

地元で「女夫岩さん」とも「宍岩さん」

とも呼ばれる「女夫岩遺跡(めおといわいせき)」は、

ふたつの巨石が寄り添うようにして鎮座する

いわゆる「ホト」形状のご神体です。

 

以前は、このホト岩のすぐ南に、

男性を象徴するオハセ型の「岡」もあったそうですが、

女夫岩遺跡のある一帯が、中国横断自動車道の建設予定地

に組み入れられたため、オハセの付け根の部分は

道路工事の際に削られたと聞きます。

 

本来であれば、この遺跡も取り壊す予定だったものの、

地元民の猛烈な反対運動により保存され、

現在は遺跡を横目で眺めるような形に

高速道路のルートが変更されておりました。

 

ちなみに、平成8年の発掘調査では、

古墳時代中期~後期の須恵器・土師器

などが発見されていることから、

この巨石の周りで何らかの祭祀が

行われていたことは間違いないようです。

 

入り口に置かれた「ハチやマムシに注意」

の看板に軽く動揺しながらも、

小高い山の上へと続くらせん状の階段を昇って行くと、

思わず「おーっ」と驚きの声が漏れてしまうほど、

大きな大きな巨石が目の前に現れました。


佐為神社

2020-08-02 09:37:21 | 古代の出雲

<佐為神社 さいじんじゃ>

 

松江市宍道町白石の才という集落に、

「佐為神社(さいじんじゃ)」

という名の神社があります。

現在の御祭神は猿田彦命とされますが、

「才」という地名や「佐為神社」

の名称から考えても、塞ノ神と関わる

場所であることは間違いないのでしょう。

 

ちなみに、出雲を代表する観光名所

「宍道湖」の宍道(しんじ)とは、

大国主命が犬を連れて狩りをしていたとき、

猪を追ってここまで来たことから

名付けられた名称だそうで、

佐為神社の裏手に位置する場所には、

それらの獣たちが岩になったとされる

遺跡(女夫岩遺跡)も残っていました。

 

また、ちょうどこのあたりは、

出雲の二大勢力である「意宇郡」

と「出雲郡」の境界でもあり、

この地に伝えられる「狩り」の伝承は、

両地域の間で起こった何らかの

イザコザを暗示している可能性もありますね。

 

さらには、『出雲国風土記』において

「狭井社」とも記されていたこの社と、

大神神社の摂社である「狭井神社」

とも関連も気になるところです。


荒神と牛肉

2020-08-01 09:32:57 | 古代の出雲

<葛城御歳神社 かつらぎみとしじんじゃ)

 

お正月になると、各家のご先祖さまを導いて、

家々へとやってくる「歳徳神/歳神(としがみ)」は、

一説に「幸神」つまりサイノカミだという話があります。

先日ご紹介した津軽の「虫おくり」に関する伝承の中で、

大国主神を叱りつけた「大歳神」とは

歳神のことですから、「動物供犠」をいさめ

「虫(蛇・龍)」のお札を授けたのは、

「塞ノ神」だったとも言い換えられますね。

 

つまり、村の境などに置かれた

「幸神」の祠のご祭神は「蛇」や「龍」であり、

「大歳神」という神様が「海人族」

とのつながりを持つ可能性が出てくるのです。

 

一方で、『古語拾遺』の中には、

「大歳神(御年神)」に関する逸話として、

==========================

大地主神が田を作る日に、
農夫に牛の肉をご馳走した。
しかし、その事を怒った御歳神は、
田にイナゴを放ち苗の葉を喰い枯らした。
そこで大地主神は、白猪・白馬・白鶏を
献上して謝ると、「麻を使った呪文」や
「牛の肉と男茎形の供物」のやり方を教え、
その通りにしたところ豊作になった。

==========================

という話が残っておりました。

 

これもまた「御歳神(荒神)」が「動物供犠」

を嫌った証拠にもなるかと思いますが、

同時に「牛肉」を供物する方法をも教えています。

果たして、荒神という神様は、「蛇や龍」

そして「牛」とどのような関係にあったのか、

さらに出雲・伯耆地方の「荒神」

を探って行くことにしましょう。


コウジンさん

2020-07-31 09:27:16 | 古代の出雲

<松江市上佐陀町>

 

「荒神」を祀ったご神木に巨大なワラヘビを巻き付け、

周囲を大量の御幣で覆う出雲地方の荒神祭は、

「荒神信仰」のメッカである中国地方の中でも、

出雲・伯耆国に集中して分布する特徴的なお祭りです。

ちなみに、出雲のお隣の伯耆国では、荒神祭を

「モウシアゲ」「タツマキサン」などの名称で呼び、

また境港市幸神町という地名に示されるように、

「コウジン」を「幸神」と記すケースも散見されます。

 

また、「幸神」という字面には、

いわゆる「塞ノ神(サエノカミ)」

の性質も付加されているようで、

出雲・伯耆を巡っている最中

「集落の境」と思われる場所に、

「サイノカミ」などと記された神社や祠が

置かれているのを良く見かけました。

 

出雲のある神社の宮司さんの話では、

いつの頃からか一部の場所で、

「荒」ではなく「幸」という吉字を

用いるようになったと聞きますが、

本来は「荒神」が正解とのこと。

つまり、「荒神」「幸神」「塞ノ神」は

すべて同様の性質を持った神であり、

「虫おくり」の「虫(蛇・龍)」

とも縁する「祟り神」だったのでしょう。


荒神信仰

2020-07-30 09:24:26 | 古代の出雲

<斐川町中州>

 

さてさて、昨日は「牛族」と「龍族」

についてご紹介しましたが、

このテーマに没頭すると

かなりの文字数を取られそうなので、

折々に触れるとして、出雲そして

ワラヘビとも深く縁する「荒神様」

へと話に移すことにしましょう。

 

出雲地方に限らず、日本の至るところで

祀られる「荒神様」は、比較的私たちの

身近にいる神様といっても差し支えない存在です。

ただし、「果たして荒神とは何ぞや」と考えると、

なかなか明確なイメージがわかないもので、

その最たる理由としてあげられるのは、

「荒神の定義が複雑」ということかもしれません。

 

台所の守り神とされる竈の神、

竈の神と仏教とが習合した三宝荒神、

家の周辺を守る屋敷神、

屋敷神から発展した同族神・村落神などの地荒神、

あるいは山の神や牛馬の守護神、

また祖霊神に至るまで、多彩な顔を持ちながらも、

その正体が何であるかはまったくの謎……。

 

唯一の共通点として語られるのは、

「祟りを成す」ということのみで、

その全容を解き明かすことは容易ではないのです。

そんな分厚いベールに包まれた

荒神信仰が盛んな地域のひとつが、

実は出雲地方のある島根県なのでした。


龍族と牛族

2020-07-29 09:21:04 | 古代の出雲

<国立民族学博物館>

 

インドでは蛇のことを「ナーガ」と呼んで丁重に扱い、

釈尊は「ナーガの末裔」とも言われているそうです。

「ナーガ」という響きからイメージするのは、

日本でいう「長物」という蛇類を指す言葉、

そして「ナガ」のつく古代人や地名かもしれません。

もしかすると、「ナガ」の響きを有する

「モノ」たちは、海人族(龍蛇族)との縁を

持つ人や名称であり、彼らが信仰していた対象が、

いわゆる「長物」だった可能性もありますね。

 

ちなみに、古代より「龍族(龍蛇族)」の人々は、

以前記事にした「殺牛祭祀」とも深く関わる

「牛族(牡牛族)」との争いを繰り返して

来たという話があり、世界各地の伝承の中には

「龍」と「牛」との対立を暗示させる逸話が

驚くほどに多いのだとか……。

 

一説に、「牛族」の圧力に屈した「龍族」が、

現在の中東あたりからインドや中国南部、

東南アジアなどを経由し、

日本で海人族となったなどの噂もありますが、

この説の中に幾ばくかの真実があるとすれば、

昨日ご紹介した「虫おくり」の所作なども、

「虫(龍)」と「家畜(牛)」

そして「大国主神」と「大歳神」

との間で起こった諸々の出来事に、

「龍族」と「牛族」を投影した

内容だといえるのでしょう。