治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

嫌われても真実を告げるべきか

2015-06-05 10:16:15 | 日記
今日はかるたの続きをやろうと思ったのですが、
タイトル的な話題が出ていて、ちょうど自分的にタイムリーだったのでこっちいきますね。

私はいつも「自閉症の人は本当のことを言うと聞き分けがいい。なぜあの聞き分けの良さを使わないで腫物に触るようなウソを言う支援者が多いのか」と言っていますが、つい最近もそういうことがあったので。

嫌われても真実を告げるべきだ

という命題を与えられたら、私の答えは

No

です。

意外に思われるかもしれませんが、私がNoと言っているのは前半です。

私はだいたい、本当のことしか言いません。
そして著書「自閉っ子と未来への希望」に書いたとおり、とくに自閉っ子にはウソをつかないように心掛けています。

そして本当のことを言った結果、私を嫌うかどうかはあっちの裁量なので、そこんとこは別にこちらでコントロールしようと思っていないのです。

私は本当のことを言う。
それで嫌う人は嫌えばいいし、好く人は好けばいいのです。心は自由なのですから。
それだけです。

時々お悩み相談みたいなメールをくださる読者の方は何人かいます。

そのうちのおひとりが、なんか悩みが解けていく糸口がつかめそうな状況になり
「元気になってくださいね」と私はお返事しました。

そうしたら「それにむかついた」というお返事がきました。
自分では元気がないように見られているとは思わなかった、心外だ、というのです。

死んだふり支援者の皆様におかれては、ここで「傷つけてごめんなさい」とか言うのかもしれません。
でもそれは誤った対応です。誤学習を増やします。世の中に適応できない自閉症の人を一人増やします。
私はこう返事をしました。

「私は○○さんの顔を見る機会はほとんどありません。
判断する材料は気弱なときに送ってこられるメールだけです。厳密に言うとそれに返事する義理もありません。でもちょっとでも状態がよくなってほしいからお返事をしています。私は自閉脳に慣れているからいいけど、弱気なときだけメールを送って親切に答えてくれる人に対してそのように食ってかかることを、世間では『恩知らず』と呼びます」

おそらくこの方には元気な時間もたくさんあるのでしょう。でも私にメールを送ってくるのは弱気なときだけ。セオリーオブマインドが上手に機能しないと、その結果「私からみた自分の姿」がどういうものかが見えないのでしょうね。そして「心外だ」と怒る。そこで私は「私の持っている判断材料は弱気なメールだけですよ」とリマインドしたのです。


そうしたら、よくわかってくださいました。
そして

「いつも的確なアドバイスにありがたいと思っていましたが読者の一人にすぎないのに申し訳ありません」

みたいなことを言ってこられたのですが

そこで申し訳なく思う必要はないんですよね。
いやならこっちは無視するんですから。いや、いやじゃなくてもたまたま忙しかったりこちらに余裕がないときにはお返事しないことになります。
たまたま余裕があったからお返事しただけ。

だから申し訳なく思ってくださる必要はないのです。

ただ、なんで世の中の支援者はこういう物わかりのいい人たちに対して死んだふりするんだろうなあ、
腫物に触るように扱って誤学習をほっとくのだろうなあ、とそれが不思議なだけです。
言えばわかる人たちなのに。

発達障害の啓発をしようと言っても、「正しい知識」の定義が人によって違いすぎるのが現状だと思いますが
私の見たASDの人たちは「言えばわかる人たち」なのです。
でもじゅうぶんに真実を告げられた経験が圧倒的に不足している人たちです。
だからこそ
ギョーカイが癒せないものを社会が癒していくのでしょう。