治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

バカンスとバカ

2015-06-23 10:07:18 | 日記




昨日は、この夏の臨海学校の代金を払い込みました。
楽しみ
でもふと、他人の休暇にまで文句言っていた人がいたなあと思い出してみたら
猿烏賊史編纂室に持ち込みスクショがありました。
ごっちゃんです。

っていうわけで今日はこのスクショについて検討してみましょう。

まあ他人のお金や時間の使い方へのおせっかいは「自他の区別がついていない」ということでいつもの通り説明がつきますね。

そのあとね。

そういう道徳を振り回す人がどっかにいるらしいですが(あるいはこの男の妄想かもしれない)

私の場合はどうか、を検討してみましょう。

発達障害当事者に働けというか。

言いますね。
その方が幸せだもん。
自己肯定感が上がりお金がもらえる仕事は最高の暇つぶしです。病んでる時間が減ります。好きな仕事で成功できたらなお幸せ。そしてそれが発達障害当事者に不可能だとは全く思っていない。可能だし、それを応援したいと思って活動しています。

福祉に頼るな。

頼る必要がある人は頼るといいですね。
そしてそこに財源を回すためにも頼らなくていい人には切磋琢磨してもらいたい。
支援者はこれに反対するかも。頼れるだけ頼ればいいというかも。そうしたら福祉もまた産業だということを思い出してもらいたいんです。どういう産業かというと、なるべくたくさんの人が、なるべく長い間、なるべく重い障害でいてくれるとお金が入ってくる産業。つまり、福祉のギョーカイと国は利害が対立しているんです。
私がなぜギョーカイという言葉を使うか。それは彼らも経済原理で動いているのに、それをひた隠しにしているからですよ。利用者としては彼らがどういう論理で動いているのかよく知っておく必要があります。

足るを知れ

これは大切なこと。発達障害があろうとなかろうと大切なことではないでしょうか。足るを知らないのはむしろ、女児に股間を触らせて謝りもしないような人たちじゃないの?

凡人として生きよ

これは、はっきりと勧めません。
神田橋先生は発達障害の人に「優れた変人」になることを勧めていますね。
先生のお考えと重なっているかはわかりませんが、私も変人枠を勧めています。これも卑屈な人は被害的にとるんだけどね。なんで変人枠を勧めるかというと、発達障害の人にとって、凡人としてなんとなく幸せになるのってとても難しいからです。
そして実は変人枠で食べていく方法って、世の中いっぱいあるからです。
でもそれは「ありのまま」では無理なのです。効率よく部分的に現実的な努力をしなければならないのです。だから修行が必要なんです。

ところがこの変人枠、ギョーカイは知らない、もしくはギョーカイは変人枠につなげないのです。
ギョーカイが知っているのは「アインシュタイン・エジソン」方面か、もしくはハローワークの障害者雇用方面。その中間の「そんなに才能はないけど変人枠」は彼らの産業構造の中にないんです。
でも知的障害のない圧倒的な層が実はギョーカイの持ってこられない変人枠が向いていると私は考えているのです。
それを障害者枠に押し込めることは本人の健康に良くないと思っているんですよ。

というわけで、なんとかとはさみは使いよう。

他人のバカンスにケチつけてた不思議な人がいたなあ

という発想から記事を書いてみました。