夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

写真展

2010年09月08日 08時40分54秒 | 日記


久しぶりでMixiをのぞいたら、横浜の団体から写真展のお誘いが入っていた。
ニコンD300のコミュに入れた写真を見て、私のアルバムも見られたらしい。
でも、ニコンD300のコミュって物凄く上手い人たちがいっぱいいるコミュ。
おそらく、この方はキャノンやその他のコミュも回って、たくさんの人たちに声をかけているのでしょうね。

このお誘いは参加費を取る企画。
企画屋さんとしての私から見れば、有料は仕方ないとは思うけど、私の企画してきたものは、必ずスポンサーを他に見つけていた。
どうせ努力するのならそちらの方をがんばれば、私みたいなものよりも、もっと素晴らしい、自分の好きな作家を集められるのになんて思ったりして。
そうしたら、商売ではない、ほんとうにいい企画をできるのに。

お返事をするとなると、お断りしかないので、、、、しばらく、放っておきましょう。


それにしても、以前の仕事を辞めてから、企画は別にしても、本を書けってのが4。講演会が5。写真を飾らせてってのが3、、、、、
仕事場でも、私の転居先をなかなか掴みきれないで文句を言われるのに、よく探し出して話を持ってくるな~って感心するけど、
でも、なんでかな~
蝉の抜け殻みたいなのに、そんなの頼む人の気が知れない。

どうせ苦労するなら、別な面を苦労すれば、これから世に出る才能なんかの企画が出来るのじゃないかな~
その方がなんぼかええじゃろが、、、、



富士の傘雲

2010年09月07日 17時00分34秒 | 日記


トップの写真は昨日の夕方の写真。
富士山に傘雲がかかっていますね。
富士山に傘雲がかかると70-80%の確率で雨が降るのだそうです。
期待しましたけど、今日も雨はなし。

先日の日記でも、東京では7月29日以降雨が降っていないって書きましたけど、雨が降りませんね。

そういえば、この傘雲もぐんなりしている。
暑さで、傘雲の霊力もなくなっちゃったか。



一つ問題解決

2010年09月07日 16時51分04秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


ボクちゃんの登録が済んで、その証書といっしょに東京のマンションにボクちゃんがいられるように、おいちゃんが申請を出してくれました。

先日の日記では「なんかいいことあるよね~」なんて、のんきに構えておりますけど、
実は、マンションの規約で体高30センチくらいまでの小型はいいけど、中型は駄目って言われてしまいました。

管理人さんが、「長くいるのだから、認めてあげたら」って言ってくれてやっと、今日、OKがもらえたようです。
よかった、よかった。ほんと、いいことありました。


だって、この暑いさなかに他の里親を探しに出かけるなんて、チビ太としてはもう真っ暗になっていたんですけど。。。。
黄昏が晴れて、、、、、、
でも、明日は朔日。今日あたりから月は見えないですよね。
まだ、何か問題でも起こるのかしら。

世の中、何事も簡単にはいかないのですね~




ところで、トップの黄昏。
オリンパスペン E-PL1でとったものですけど、かなりスローシャッターを手ぶれ補正オンで手持ち撮影。 手ぶれ補正ってかなり有効なんですね。


チビ太の効用

2010年09月06日 08時38分41秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


以前の仕事場では、私が煙草を吸っていると10メートル以内には近づかない同僚がおりました。そして、その先から嫌煙権を延々(煙々ではないですぞ)と喚きたてておりました。

知人にも、私の車に乗っていて、私が煙草を吸い始めると(もちろん窓は開けるのですけど)、ゴホンゴホンって空咳をする人がおりました。
でも、気にしない、気にしない。

なんて思っておりましたら、チビ太が同じことをやる。
後ろの席で、ゴホンって、いかにもわざとらしく咳をするんですよ。

チビ太が同乗してのドライブ。これから煙草が吸いにくくなるって思っておりましたら、10月から煙草増税で、煙草の値段が上がるのだそうですね。
貧しいおいちゃんとしては、チビ太のおかげで喫煙量が減って、助かります。



月明かり

2010年09月05日 22時28分02秒 | 芸術・文化

子供のころ夜中にふと起きて、雨戸の隙間から昼間のような光が差し込んでいるのを見て、雨戸を開けて外を見ると、そこは白い冷たい光に溢れた音もない世界だったって書いていたことがあります。
李白の静夜思を添えていたのだと思いますが、漢詩を紹介している「漢詩を長崎弁で」のなかにはありませんでした。
なにか別なテーマで書いていたのでしょうか。


岬の我が家。ベランダが白の床ですので、とてもよく月明かりを映し出します。
それに誘われて、ぼんやりと外を見ることもとても多くなりました。
月明かりに照らされた木々の葉や、ベランダのテーブル、、、
普段見慣れた風景とは違う、静かな、死の世界かとも思える、小学校にもまだ上がらない子供の心を虜にした眺めがここにあります。
そろそろ人間を卒業しようかと思うような歳の私にも、あのときの子供心の驚き、畏敬を思い起こさせる風景。



トップの写真。ひょうたんの葉っぱですが、照らしているのは月光。
後ろには星が見えていますね。
ちなみに、データを紹介しますと。トップも、この上の写真も同じデータ。

D300
AF-S Nikkor 18-70mm F.3.5-4.5G ED  このときは25mm
ISO 800
マニュアル露光 30秒 f. 5.6
ただし、この画像を得るために、現像処理でかなり明度を上げています。


ISO800で 5.6の30秒露光というのは、普通ならば真っ黒な世界。
だけど、夜の暗闇に慣れた目には、月の光に照らされた外が、昼間のように明るく見えるってことですね。


作家の中には作為を嫌い、心象に忠実になんて人が多いですけど、その心象がどのレベルから発するものかってことには無頓着な人が多いのかなって思ったりします。
昼間の世界に見えても、その時の自分の状態をちゃんと把握できていれば、これは真っ黒な世界なんだよって分かるはず。それが分かっていての「霜をおいた風景」っていうのなら、理解できます。
でも、何も考えないで、月明かりは、太陽と同じくらい明るいのだって言っちゃったら、それは馬鹿。

よく言ってますよね。お腹が空いてれば、いつもは嫌いなものでも美味しく感じる。

自分が見えてなくって、表層だけの発露で物事を見る、それを表現する。
それが芸術なのだってのは、押し付けられる方としては、勘弁してよって、、、、


まぁ、枯れた花が何をいい、どうあがいても、何の意味もないのですけどね~~~







雨ってどんなもんだったっけ?

2010年09月05日 22時15分56秒 | 日記


雨が降らないですね。
東京の過去の天気を調べましたが、雨マークは7月の29日が最後。
7月も1日と12日に雨マークがついているだけで、3日しか降っていない。
暑さばかりに気がとられているけど、からから天気もこれから影響しそうですね~

雨ってどんなもんだったか、、、、
忘れてしまいそう。。。。




なんかいいこと、あるよね~

2010年09月05日 16時29分43秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


もう9月。
そろそろ、なんかいいこと、あるよね~

だって、あんなに暑い日を我慢してきたんだもん。
まだ、暑いけど、、、 
もう、秋でしょう。


なんかいいこと、あってもおかしくないよね~


なんなのかな~

2010年09月04日 23時48分22秒 |  求める魂と与える心


人から「ペットを飼うなら、一番してはいけないこと、、、
それはペットより先に死んではいけないってことだ」
って、注意されました。
「彼らは、貴方が死んだってことが分からないのだから、放り出されたって思われても仕方がない。
ペットにとっては貴方は全て、宇宙にも相当するような存在。それがなくなるということはペットにとって裏切りにも等しいこと」

私はこのブログのコメントに対する返事などで、ペットを飼うということは彼らを看取ることって何度か書いていますけど、その方のご注意とはちょっと違うけど、でも意味していることは重なっているところもあるのかなって思います。

今日の多摩川の散歩でも、16歳という柴ちゃんに会いました。
大病をしてから足腰が弱くなり、目も悪くなってしまったけど、内臓はまだ丈夫なので、引っ張ってでも散歩をさせてください。そうでないと、全身が衰弱してしまうからと獣医さんに言われて毎日散歩をさせているのだそうです。
病気をする前は、チビ太のように元気溌剌としていたのだけどって、チビ太の姿見ながらため息をついていました。

多摩川の私の散歩コースには、毎日何百という犬が散歩に出てきています。
よろよろと散歩をしているコリーや、ゴールデンレトリバー。お母さんの腕の中で散歩をしている、ミニチュアダックスフント。。。
その中には、もう歩くことも出来なくなった老犬が乳母車に乗せられてやってきて、芝の上にバスタオルを引いてもらって、冬は毛布をかけてもらって日光浴をしている犬がおりました。「この子は外にでるのが大好きだったので、最後は好きなことをやってあげたいから」ってその犬を連れている老婦人は話しておられました。(この子の話は一度書いたことがあったように記憶しています)
みんな、その子たちから受けた暖かい、楽しい思い出をとても大切に思い、家族として接しているのですね。


私はどうしても、ペットは先に死ぬって前提で考えてしまう。
その最期を看取ることは飼い主としての責任、ペットを飼うってことは最初にその覚悟をする必要があるんだってね。
もちろん、嫌々の責任感とか、義務感とかってことではなくって、自然に、あたり前にそれができることが前提ですね。
でも逆に、チビ太が老犬になって、そのころに私が死んでしまったら、チビ太はどうして生きていくのかな? 昔はそんなことは思いもしませんでしたけど、今は、そんな風に思ってしまったりします。



いすみ市の隣町に、老夫妻が住んでおりました。
あるときから、その庭に子猫が入り込み、しばらくしたら家の中に入ってくるようになりました。
旦那さんは追い出そうとしたのですけど、奥さんが可哀想だからというので飼うことになったそうです。
旦那さんが猫を嫌いだったのかどうかは分かりません。
というのは奥さんは声楽を勉強した方。
その方が喘息を患い、ステージを諦めたのです。
もしかしたら、旦那さんは奥さんの体が心配だったのかもしれません。
なぜって数週間もしないうちに、旦那さんもその子猫にメロメロになってしまったのですから。

その猫は愛情をたっぷりと注がれ、野良猫だった過去はまったく忘れ去ったみたいに、この家で生まれた王女さまのように振る舞っていたそうです。

ある日、知人がその家を訪ねました。
その猫が、奥さんが一番大切にしていたグランドピアノの上に寝ているのを見て、叱りましたら、奥さんに「どうして叱るのよ、可哀想でしょう」って言われて吃驚したって話しておりました。
ピアノの上は猫ちゃんのお気に入りの場所になっていたのです。

数年前に旦那さんが亡くなりました。
そして今年の初めに猫が死にました。
奥さんは病床にいてそのことを知らないままに三日後になくなったそうです。

なんだか、猫だったり、犬だったり、妙にこんな話をたくさん聞くんです。
なぜでしょうね。




いつとても恋しからずはあらねども

2010年09月02日 23時28分04秒 |  気になる詩、言葉


いつとても恋しからずはあらねども 
     秋の夕べはあやしかりけり
          詠み人知らず 
          古今集 11-546


いつだって恋しくないってことではないけれども、秋の夕べっていうのは胸がざわめくのですよね。

昼間はまだ暑いですけど、でも、その暑さの中にもどことなく秋の予兆を見ることが出来るようになりました。
秋、、、、もう、ほとんど人間であることも卒業しかかっている私でさえ、秋って聞くと、胸がなんとなくきゅんとしてきます。
でも、、、、、、秋が終わりに近づくと、「あぁ、もう私には、春も秋もないんだ」なって気がつかされて、胸の中は木枯らしが、、、、というより冬の嵐というほうがもっと適切でしょうか?、、、吹き荒れるのです。
もう、なんどもなんども、そんな思いをしてきましたので、先が読めちゃって、、、
しょうがないですね~
「灰になるまで」なんて言えるのは、ほんとうに強い信念が必要みたいです。




ここんとこSX20ISで撮った写真をアップしていますけど、なんだかすごくノイズが多いですね。セッティングの問題なのでしょうか?