夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

月明かり

2010年09月05日 22時28分02秒 | 芸術・文化

子供のころ夜中にふと起きて、雨戸の隙間から昼間のような光が差し込んでいるのを見て、雨戸を開けて外を見ると、そこは白い冷たい光に溢れた音もない世界だったって書いていたことがあります。
李白の静夜思を添えていたのだと思いますが、漢詩を紹介している「漢詩を長崎弁で」のなかにはありませんでした。
なにか別なテーマで書いていたのでしょうか。


岬の我が家。ベランダが白の床ですので、とてもよく月明かりを映し出します。
それに誘われて、ぼんやりと外を見ることもとても多くなりました。
月明かりに照らされた木々の葉や、ベランダのテーブル、、、
普段見慣れた風景とは違う、静かな、死の世界かとも思える、小学校にもまだ上がらない子供の心を虜にした眺めがここにあります。
そろそろ人間を卒業しようかと思うような歳の私にも、あのときの子供心の驚き、畏敬を思い起こさせる風景。



トップの写真。ひょうたんの葉っぱですが、照らしているのは月光。
後ろには星が見えていますね。
ちなみに、データを紹介しますと。トップも、この上の写真も同じデータ。

D300
AF-S Nikkor 18-70mm F.3.5-4.5G ED  このときは25mm
ISO 800
マニュアル露光 30秒 f. 5.6
ただし、この画像を得るために、現像処理でかなり明度を上げています。


ISO800で 5.6の30秒露光というのは、普通ならば真っ黒な世界。
だけど、夜の暗闇に慣れた目には、月の光に照らされた外が、昼間のように明るく見えるってことですね。


作家の中には作為を嫌い、心象に忠実になんて人が多いですけど、その心象がどのレベルから発するものかってことには無頓着な人が多いのかなって思ったりします。
昼間の世界に見えても、その時の自分の状態をちゃんと把握できていれば、これは真っ黒な世界なんだよって分かるはず。それが分かっていての「霜をおいた風景」っていうのなら、理解できます。
でも、何も考えないで、月明かりは、太陽と同じくらい明るいのだって言っちゃったら、それは馬鹿。

よく言ってますよね。お腹が空いてれば、いつもは嫌いなものでも美味しく感じる。

自分が見えてなくって、表層だけの発露で物事を見る、それを表現する。
それが芸術なのだってのは、押し付けられる方としては、勘弁してよって、、、、


まぁ、枯れた花が何をいい、どうあがいても、何の意味もないのですけどね~~~








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