蓮は好きな花なので何度もアップしています。
先日もいすみ市にある環境と文化のさとセンターで撮った蓮をH.Heineの「歌の翼に」と一緒にアップしました。このときには咲いていたのは一輪だけ、ちょっとしみそばかすのある花でしたけど、仕方ないってそのままアップしました。
この歌は去年も使ったと思います。
そのまえはとんぼの沼の未草のときに枕草子からの引用でしたね。
去年は「尿じゃいな、、、」なんておちゃらけまで書いております。
ということで、もう種切れに近い。
窮余の一策で万葉集を引っ張り出しましたよ。
蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの
意吉麻呂が家なるものは
芋の葉にあらし
長意吉麻呂
16-3826
(美しい)蓮の葉ってこうあるべきものだよな~
私の家にあるものは
芋の葉に違いない
意吉麻呂さんがどっかの美人を見て、あぁ、美人ってこんな人のことを言うのだな、家の嫁さんは、ありゃ、芋だ! って嘆いている歌なんでございますよ。
ところで日本の古典(少なくとも詩には)蓮を詠むときに、蓮の花よりもむしろ蓮の葉や、葉に溜まった水を詠んでいるのが多いような気がするんですけど?
なぜなんでしょうかね~
まさか、蓮の葉なの美しさに気おされたためってことではないでしょうけど、
バラなんかももっと後の時代に入ってきているから、万葉の時代の日本では文句なしのぴか一の花だったんじゃないかと思うのですけど。
確かに、バラや、その他の美しい花のなかでも蓮の花の端正さと、気品、優しさは見ている私を圧倒してしまいますけど、、
でも、野辺の花の手を差し伸べたくなるような愛らしさ、近親感みたいなものからいうと、どこか雲の上の花、どうせおしゃかさんの花なんでしょうって感じがするのでしょうかね?
だから、写真もきっちりした端正なものじゃなくて、どこかちょっと崩れているような蓮の花を撮りたがるのかな?
まさか万葉の歌人たちが同じ感じを受けて、葉っぱとか水を読んだということではないですよね。
先日もいすみ市にある環境と文化のさとセンターで撮った蓮をH.Heineの「歌の翼に」と一緒にアップしました。このときには咲いていたのは一輪だけ、ちょっとしみそばかすのある花でしたけど、仕方ないってそのままアップしました。
この歌は去年も使ったと思います。
そのまえはとんぼの沼の未草のときに枕草子からの引用でしたね。
去年は「尿じゃいな、、、」なんておちゃらけまで書いております。
ということで、もう種切れに近い。
窮余の一策で万葉集を引っ張り出しましたよ。
蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの
意吉麻呂が家なるものは
芋の葉にあらし
長意吉麻呂
16-3826
(美しい)蓮の葉ってこうあるべきものだよな~
私の家にあるものは
芋の葉に違いない
意吉麻呂さんがどっかの美人を見て、あぁ、美人ってこんな人のことを言うのだな、家の嫁さんは、ありゃ、芋だ! って嘆いている歌なんでございますよ。
ところで日本の古典(少なくとも詩には)蓮を詠むときに、蓮の花よりもむしろ蓮の葉や、葉に溜まった水を詠んでいるのが多いような気がするんですけど?
なぜなんでしょうかね~
まさか、蓮の葉なの美しさに気おされたためってことではないでしょうけど、
バラなんかももっと後の時代に入ってきているから、万葉の時代の日本では文句なしのぴか一の花だったんじゃないかと思うのですけど。
確かに、バラや、その他の美しい花のなかでも蓮の花の端正さと、気品、優しさは見ている私を圧倒してしまいますけど、、
でも、野辺の花の手を差し伸べたくなるような愛らしさ、近親感みたいなものからいうと、どこか雲の上の花、どうせおしゃかさんの花なんでしょうって感じがするのでしょうかね?
だから、写真もきっちりした端正なものじゃなくて、どこかちょっと崩れているような蓮の花を撮りたがるのかな?
まさか万葉の歌人たちが同じ感じを受けて、葉っぱとか水を読んだということではないですよね。
背高美人です。
蓮=レンコン
なかなかイメージかみ合いません(苦笑)
でも、愛らしさのなかに、激しい強さもお持ちのようです。
先日見た坂本の蓮は葉を破って茎が出ていました。
蕾を、そっと触ってみたら、先が凄く固いのにびっくりしてしまいました。
そして、もうひとつ、大賀蓮では見かけなかった事も発見しました。
花がおもいのか、茎が折れていた蓮が結構ありました
。
愛らしく強い。。。憧れますね。
あの泥沼から生えてくる花ですけど、、、
でも普通はMillerさんの言われるようにすっきりとたっていますよね。
それともジャンボタニシの性?
坂本の蓮田では、一回目の時にはひとつの蓮田だけと思っていましたけど、二回目に行ったときにはほとんどの蓮田でジャンボタニシを見ました。
稲にもつくそうで、九州ではかなり被害がでているようです。
これもずいぶんと北限を延ばしてきています。
温暖化の性なのでしょうね。
コンクリートの柱にもついていて、節操のないタニシだと友達が騒いでいましたけれど。
タニシも干涸らびたのが何個も転がっていました。私の小さい頃から見ていたタニシとは大きさが全然違いましたね。
これが稲についたらどうなってしまうのでしょうか、心配です
坂本ではたくさんついていましたね。
これ以上広がらなければいいのですけど。