先日の「あるがままに」に知人から
清 格の歳寒圖(さいかんのず)をコメントしていただきました。
寒花還與歳寒期
夜起移燈看雪時
未許東風到桃柳
山茶先發近窗枝
お返しに、 蘇軾の正月二十日往岐亭郡人潘古郭三人送余於女王城東禅荘院を「半瓶濁酒待君温 蘇軾 紅梅・白梅」とタイトルして、お贈りしたのですけど、(詩と訳は上のリンクから見てくださいね)
今度はまた、「林処士にならって、この方を奥様になさったら?」なんて台詞が戻ってきました。
私のご返事は
梅の花の一弁に
鶴を想ひ
月を想ひ
山を想ひ
水を想ひ
断角を想ひ
書燈を想ひ
脩竹を想ひ
清霜を想ひ
羅浮を想ひ
仙妃を想ひ
、、、って思いすぎじゃないでしょうか。
もしかしたら、病院に行ってみてもらうべき人かも。
って、ものでしたけど、、、ちょっと芸がなかったな~って反省しきり。
林処士とは、林逋(あるいは林和靖)のことですね。ウィキペディアによれば生没は967年 - 1028年となっています。西湖のほとりの山に隠居し20年以上も町にも出なかったというような人。この人の詩や書画は今でも非常に高く評価されています。
彼は、梅の花が好きで、梅を妻にして、鶴を子供として生きたって言われているのです。
ところで、ここで写真を一枚追加。
鶴の子、博多の銘菓ですね。 でも、子供が鶴なら、鶴の子は孫?
作った詩は訪ねてきた人たちに惜しげもなく与えてしまっていて、今、知られているものは非常に少ないのです。
その中でも「山園小梅」とタイトルされた詩がありますのでご紹介しておきますね。
衆芳揺落独嬋妍
占尽風情向小園
疎影横斜水清浅
暗香浮動月黄昏
霜禽欲下先偸眼
粉蝶如知合断魂
幸有微吟可相狎
不須檀板共金樽
衆芳揺落して 独り嬋妍たり
小園にて 風情を占め尽くす
疎影横斜して 水清浅
暗香浮動して 月黄昏
霜禽下らんと欲して 先ず眼を偸む
粉蝶如(も)し知らば 合(まさ)に魂を断つべし
幸に微吟の相い狎(な)るべき有り
須(もち)いず 檀板と金樽とを
咲いていたたくさんの花が散ってしまったなかで梅の花だけが艶やか
小さな庭を埋め尽くしている
まばらな枝の影を清く浅い水の上に斜めに落とし
薄暗い月の光の下どこからともなく梅の香りを伝えてくる
霜の降りた庭に下りようとした小鳥はこの花を盗みみ
蝶がこのことを知れば、切なく思うに違いない
幸い、この花は私の小声で歌う詩には親しんでいてくれるから
歌舞の宴会は必要がない
この知人のコメントが「一生の受用」とタイトルされていますけど、これは
「不見西湖林処士 一生受用只梅花」(見ずや西湖の林処士 一生の受用ただ梅花)として、彼の清冽な生き様を称えた文言ですね。
日本では林逋について出版されたもの(ウエブも含めて)が意外と少ないのですね。芭蕉の句、芥川龍之介の文、そして絵などにも影響されたものは少なくないのですけど。
それにしても、もっと怖い
コメントを読まない人のために敢えて追加しておきますけど、「あるがままに」にコメントをくださった姐さま、今回もバチバチってコメントをくださいました。
それに対する私のお答えを、こちらにも追加しておきますね。
怖いですね~ 嫌ですね~
にしても、早く確定申告を済ませなきゃ。
「何を言っても、ぽんと帰ってくるわ。
梅の花の一弁に
鶴を想ひ
月を想ひ
山を想ひ
水を想ひ
断角を想ひ
書燈を想ひ
脩竹を想ひ
清霜を想ひ
羅浮を想ひ
仙妃を想ひ
、、、って思いすぎじゃないでしょうか。
って、ところで、芥川龍之介をひいてきたってお分かりになっちゃったんですね。
はい、あれは龍之介せんせの「梅花に対する感情」なる一文からの抜書きでござんした。
なんせ、風車さんはあまりにも浅学で、自分の言葉では話せない人だから、人さんのものを盗んできて使っているのがばればれ。
でも、タイトルのジエヌス・プリヌスはちょっと問題ありね~
プリヌスは桜なんですね。
だから龍之介先生が、梅って言うときには
Prunus mumeっていうのが正しいんじゃないかな~なんてほざいております」
でも発見した。
この学名、日本語の梅から作られたのかな???
中国語だとメだもんね。
中国語のマが日本に来るとウマ(馬)になるのと同じ原理よね。