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夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

頓珍漢

2012年09月05日 16時24分49秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


この写真を見ていて、なんだかサクランボに似ているななんて、、
昔はよかった。
時期になると特選の佐藤錦なぞがどこぞやの市役所から送ってきたもんでございますよ。
それが、今じゃ、届くものは請求書のみ。
あまりの変わり果てさに、当人も驚くばかり、、、、

ほんでなもし、
サクランボは送って来ないにしても、
そう言えば、黄色いさくらんぼなんちゅう歌もあったがなもし。
ザ・ピーナッツだったかと思い調べましたら、スリーキャッツだったそうな。
これまた、失礼。頓珍漢。

黄色いサクランボ


あ~ぁ、こんなこと書いているから、PVが急降下。数日で半分もなくなっちゃったんですね。そのうち、ブログを見てくださる方はだぁれもいなくなるか。。。


ほんまやで~
都の巽のあばら家の爺のとこなんかには、誰もきぃへん。
くるのは、蛇に、百足に、げじげじだけや。
ほんま、よういわんわ。
しゃもないから、釣りにでも行ってしゃれこうべでも釣ってくるか。





写真

2011年09月16日 08時32分34秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


飛びものは飛んでなきゃってよく言っておりますね。
私の写真は目に触れたものの印象。

図鑑的に正確な写真を撮るのであれば、花であっても、花、それを支える額、茎、葉、そして葉のつき方、、、、盛り込まなければいけない約束事がたくさんあります。
鳥も、その種の特徴をどう現すかが問題ですよね。

でも、悲しいかな私には植物にも、動物や鳥、昆虫にもまったくの素養がありません。図鑑的な写真を撮るための準備がない。

ということで、好むと好まざるとを得ずに、「印象」ってことで逃げなければならないのです。
だから、鳥だって、花だって、面白いと思えば元の被写体が分からなくなるほどの超クローズアップだって私的には「あり」ですね。
なんせ、飛んでいる鳥の目玉の中に写している私の姿が撮れないかな~なんて思ったりするくらいですから、、、

写真を復活したのも、散歩を続けるために付加価値が欲しいということでした。
寒い時、暑い時に、健康のためとは言いながらあの苦行者みたいな散歩を続けていくためには、写真を撮るって別な楽しみが必要だったからです。
それも少し萎えてきたな~っと思い始めたときに、チビ太がやってきてくれました。チビ太を散歩させなきゃって別な意味が加わりまして、だいぶ助かったのです。

でも、チビ太には可哀想ですが、発作以来、散歩ができなくなりました。
写真を撮る意味もなくなってきているんですね。

出歩きが少なくなったということは、写真どころか、日記の題材にも事欠く始末。

知人たちからは、新しい日記は、あなたが生きている証拠って言われていますし、彼らが言うように、会えないのですからね~ 生きてますよ~ってメッセージだけでも発信し続けてないと。

メモと言っても、こんな花が咲いていました、あんな鳥がいましたっていうスナップ的なものもありますけど、私のは、花の蕊だけ撮ってみたりとか、ある意味、マスターベーションでしかありませんね。
ただ、暗闇に烏であっても、その日の日記が書けて、それに何かを付けることが私には意味があるので。

でも、何もないときに日記を続けていくというのも、難しいですね~




今日の写真は昨日の鴨川からの帰り、大原の漁港に立ち寄ってみた時のものです。

今日は鴨川へ、歯医者さんです

2011年09月15日 10時59分27秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


例の発作の時に、あの病院には歯科があるのを知りました。
歯医者にも行かなければいけないけど、心臓に問題があるときに例のキ~~ンって歯を治療されたら、ショックでまた血管が裂けるかもしれない。でも同じ病院で治療が受けられれば私の情報を共有してもらえるかと思い、集中治療室から一般病棟に移されたときに、すぐに調べてもらい、予約をお願いしました。

退院しましたが、歯科の治療はまだ続いておりますので、心臓外科と歯科の通院で鴨川にはちょこちょこ通うことになりました。


歯は全般に悪い。でも、全部を治療し始めると、結局は全部抜いてしまうことになりかねないから、応急修理で止めておきましょうねって、親切なお言葉。恐怖に背中が冷たくなりますよ。




老人病院ってありますよね。老人が多く罹る科目を置いた病院ですよね。
高血圧、糖尿、眼科、、、、 歯科もその一つですね。
今までは私にはあまり関係ないかと思っておりましたが、発作のせいで血圧、脈拍は要注意。腎臓も少しでも悪化すれば、透析が必要かも、、、、肺もやばい、、、
腰も、足も弱くなりました。
目も悪くなったし、耳ももしかしたら、、
何より、認知症の自覚があるのが怖い。
そんな状態になってきて、私もあちこちに通うよりも、老人病院があればその一か所で済めば便利だなって、今さらながら思うようになってまいりました。


鴨川の病院は老人病院ではないですけど、科目も、スタッフも下手な大学病院なんかよりも充実していますね。
私にとっての老人病院ですね。


でもまぁ、一日中引き籠りになって周りと隔絶しているよりも、1時間でもシーサイドドライブを楽しめ、綺麗な看護師さんたち(あれ、これを忘れると、ドリルでギャ~~~って傷めつけられるかも。技工士さんも美人です。はい)を見れるだけでも生きている甲斐があるってもんですよ。




ところで、今日の写真は、先日使いました姥百合。
葉なし、、、⇒歯なし。でしたよね。




所属がなくなるってことは

2011年09月09日 11時58分45秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


ここんとこいろんなものを買いすぎました。
あの発作以来、あっちゃに金持って行っても円は受け取ってもらえない。
ユーロもドルも信用ないでしょうし。
特別室じゃなくてもいいから、せいぜいデッキクラスのフェリー代だけ残っていれば、、、、(もっとも下の方へ行くと、「金次第」って、凄まれそうですけど、「ないものはない」で仕方ありませんよね)

ということで、欲しいもの、興味のあるものは、ポチッ、ポチッって通販のページで指を動かしていたんです。
あれと、これの請求が同じ月に来ると、ちょっと困っちゃう。

なんせ、腎臓? あの発作の時に、集中治療室で可愛い看護婦さん(女性のお医者さんはいなかったのでパス)が気にしていたのが、破れかぶれの大動脈や、食道と一緒に、水プカプカの肺。そして生きていても透析が必要になるかな~ なんて思われていたこの腎臓だったんです。セコハンの使いまわしはちょっと無理みたいですね。
なら肝臓は? 狂牛病のときにイギリスにいちゃ駄目でしたか?
生命保険? そりゃ待ってよ、せっかく欲しい物を買ったんだから、少しは楽しまさせてよ、、、、

ってっことで、クレジットの会社からの請求が気になって、オンラインのページで請求をチェックしようとしたのが大間違いの発端。

メモしていたIDとパスワード。8年も前の奴だったけど、何度入れてもはじかれてしまう。会社に電話したら、登録がないっていうのですね。
ということで、新規に登録しようとおもったら、ここでもこの会社に登録されている勤めていた会社の電話番号を入れなければならない。なんせ、30年近く前のデータだから、そのときどんな電話番号だったかうろ覚えの番号をいくら入れてもヒットしない。
またまたクレジット会社に電話を入れて、会社のデータを消してもらって一件落着だけど、その間五回近くもクレジット会社と電話のやり取り。
どこかに属していないってことは、結構大変ですね。

お茶の師匠が、運転免許も持っていなくって身分証明ができないので、いろんな届けが難しいことが多いって言っていたけど、今さらながら身にしみました。

それにしても、退社したって言うと、退会しろって言われるのかな~



ずいぶん昔の写真を引っ張り出しました。
ボクちゃん、そのころから人生の悲哀を目に染み込ませていたんですね~

めでたくもなし

2011年08月23日 09時02分24秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


門松は 冥土の旅の一里塚
   めでたくもあり めでたくもなし
            一休


誕生日は 冥土の旅の一里塚
   めでたくもなく めでたくもなし
            風車


昔は数え歳。お正月に歳をとっていました。
今は満年齢。誕生日が一里塚になりました。
今日は私の一里塚。
でも、この歳になれば、めでたくはないな、、、
ただただ、めでたくもなく めでたくもなし




探し物はなんですか?

2011年08月11日 02時06分39秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


昔、ある都市の文化政策を審議する委員会にいた時に、普通に言われて、誰もが疑問を抱かなかったことに、「生きがいのある社会」ってスローガンがありました。私もそのことに何の疑念も抱かなかった。

でも、知人たちと話をしていて、それって意外と難しいことなんだって思い知らされています。

個人がそれぞれの生きがいを見つけられること、、、
そして社会がそれを推進して行けること、、、

多くの人たちは、大人になるととにかく自力で生活をしなければならない。
そしてそのことで手いっぱいになって、自分が本当にやりたいことを見つけるゆとりがないのが現実。

昔のその昔、「仕事が面白くない」なんて愚痴りましたら、「なんで面白くない仕事をしているの」って不思議そうに聞かれたことがあります。
その時には、自分の生きがいになるような仕事や趣味を持てる幸運な人なんて、はたして何人いるんだろうなんて思いました。

賢い私は(?)、自分の仕事が有意義で、面白いものだって自己暗示をかけることに成功して定年まで勤め上げましたが、そんなことすら意外と難しいのですね。

以前にも書いたことがありますが、「あなたと仕事をする人にどんな人がいいですか」って質問に、「仕事を遊びでする人」って答えましたら、相手の市長さんはびっくりして、「その訳は」って聞き返されたので、「言われたことをいやいややるような人と仕事をしても面白くないでしょう。仕事が楽しいって思っている人なら、きつい仕事でもどんどんやってくれるから」って答えましたら、納得してもらえました。

そう、面白くてやる仕事、楽しんでやる仕事、自分が意義を認めてやる仕事、そんな仕事を見つけられれば、生きがいを感じますよね。
あるいは、仕事を、趣味に広げてもいい。そんな趣味を見つけられれば、いい人生を送れるのじゃないでしょうか。

でも、好きでもない毎日の仕事をこなすことでいっぱいで、他を見る余裕もなくなってしまう。生きて行くってこんなことなんだなんて自分を慰めながらね。

やっぱり、ちょっと悲しいのかな。
でも、その悲しさが充満しているのが今の社会かな?
周りを見回すゆとりを持つことって、そんなに贅沢なことでしょうか?

生きるっていうこと

2011年07月07日 19時29分18秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


あるテレビにでていた老夫婦。
定年になって、楽しいことはあるけど、それよりも人から喜ばれることをやりたいということで、学童から帰る子供たちを親が帰ってくるまでの間 預かっているのだそうです。その気持ち、素晴らしいなって思うけど、、、

翻って、私は、定年になって、しばらくはチャージするためにゆっくりと休もうというのが、気がついてみるとそれが常態になってしまって、いつまでも毎日が日曜日になってしまっている。
しかも、最近はドクターストップがかかって、外出もままならない。ちょっとした作業も難しくなったということで、家の中の雑用をやるか、ただただ椅子に座ってテレビを見るか、ぼんやりと外の緑を見て、時間を潰しているだけ。

現状以上に体が良くなることは考えにくいので、このまま一生を終るのだろうか、なにかできることないのだろうかってちょっと焦りを感じている今日この頃。

まあ、なんて思いながらも、なにも思いつかず、怠惰な日々を送っておりますよ。




さて、大丈夫かな?

2011年06月06日 08時20分54秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


5月24日の「こんな生き方もある」って日記の続きですけど、

退院して自宅に帰ってからの彼は、現在のところ、毎日手探りでの可能性の探求に生きています。

とにかく、医者のいいようでは「かなりぐちゃぐちゃな状態の大動脈」に過度な負担をかけないで、そろ~りと生きて行かなければなりません。
血圧や脈拍を上げるなって言われても、自分でコントロールできるものではないし。
少し動いては息苦しさを感じて、動きを止める、、、、

基本、病院では動いているつもりでも、寝ているのが常態だったのですね。
自分の家に戻ってみたら、休み休みやっているつもりでも、四六時中動いているのが普通だったと気がついたそうです。

リハビリ。 今回の病院のリハビリは、どこまでできるのかのチェックだけでした。
階段を20段上りました。その時の血圧や脈拍の上昇はこれだけだから、この階段は登れます。なんてね。
この時に、明日は30段登りましょうというプランは全くないのですね。
あくまで、ここまで動けますの確認だけなのです。

医者にしてみれば、運動機能を改善するとか、大動脈の状態を改善するなんて、そんな恐ろしいことやりたくないってのが本心なのでしょう。
下手をやって、ピリって乖離が進んだら、もう助けようがないってのは彼らには十分見えているのでしょうから。

とにかく、退院の前日に、まだ自分で動ける範囲は同じフロアーのみってことで、
彼は看護師さんに、明日からは退院して、毎日あちこち自分で歩いて行くのに、今日はまだ同じフロアーしか動けないんですかって文句を言って、やっと病院内を歩く許可をもらったくらいですから。術後のリハビリとは全く違いますね。


彼にとっての最大の関心事は、運転できること。
彼の家で車が使えなければ、買い物もできない。生活が全く成り立たないのです。幸いなことにこの点に関しては医者の許可がおりました。

さて、次は、、、
彼の家の生活フロアーは二階。階段は登れるにしても、買い物を手に持って登れるでしょうか、、、 
洗濯機は一階だけど、洗濯物を下ろしたり、持って登ったりできるでしょうか。
意外と、掃除機をかけるので息切れしてしまったり、

帰宅して寒い日が続き、ストーブに火を入れましたが、この灯油タンク、下のポリタンから灯油を入れて、二階に持って上がれるでしょうか。

家へのアプローチ。これから雑草が生い茂って、道を隠してしまいます。でも、刈払い機はもう使えないでしょうね。。。いちいち便利屋さんにお願いしなければならないのでしょうか、、、、


お風呂は諦めるとしても、シャワーを独りでいるときに浴びるのが怖いのだそうです。
血圧が上がる可能性がありますからね、、、、

日常のなんでもないと思えるような、ごく普通のことをやっていても、思いもかけずきつい仕事も出てきています。


これからできないこと、難しいことをリスとして、それをどのように解決していくのかが、彼の仕事なのでしょうね。



こんな生き方もある

2011年05月24日 21時01分04秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
赤い風車の回りに起こっていることなのですが、
知人が、大動脈乖離、そしてそのショックで食道破裂。
救急車で搬送された病院でははでな吐血と下血で、食道のほうにばかり気をとられて3日。なんかおかしいということで、再度CTを撮って、あれ大動脈乖離もある、でもここには心臓外科はないということで再度救急搬送。

次の病院では、さて困った。
本来、すぐに手術で大動脈乖離を何とかしたいけど、下手をすればふさがる様子を見せている食道がまた破裂しそう。
この状態では発作が起きて2日で8割は死んでいたはずの大動脈乖離もなんとなく落ち着いて、悪化しないでいる。
ままよ、しばらく絶対安静で様子を見て食道の傷がふさがるのを待とうってことになりまして、それから1週間以上、水も飲めないような安静を経て、晴れて(?)心臓外科へ。

ところが、心臓外科では、「手術!」っててぐすね引いて待っておりましたね。
で、知人は、「まず、状況を説明してください」ということで、手術の手順の説明を受けました。

まずは心臓から出ている右側の冠状動脈を切除。人工血管に取替え。半年から8ヶ月ぐらいして、落ち着き、回復してから、左側の冠状動脈をなんとかする、、、(裂けた部分から内臓のほうに血が流れているのだそうですけど、それが十分かどうか、、それも問題ありなのだそうです)。そして、さらに半年から8ヶ月位してなにかまたやるのだそうです。

知人は、仮に、ひとつの手術の成功率が7割なら、一年半以上で三回も手術して成功率は3割5分ですかって、、、、、(こんな確立ありかどうか、私には不明だけど)ごねたみたい。

知人の、「もしその手術を受けなかったらどうなる」かって質問に対しては、担当医はしぶしぶながら、「本来、発作が起こってから2日も何も処置されなかった。この間の致死率は8割。それがなんとなく生き残って、特に乖離が進んでいる兆候もない。うまくすれば、(というのは、心臓に負担をかけないような今の状態を続けられれば) このまま落ち着いていくかもしれない」

これを聞き出して、知人は、「じゃ、手術は受けません、それを前提にした検査も受けません」って宣言してしまったそうです。
かれは、これから、発作以前のような状態にはなれないでしょうし、心臓に負担をかけるような動き方はできなくなります。
家に帰って、何ができる、何ができない、、、、、これから一つ一つ検証していかなければなりませんが、できないことはたくさんたくさん出てくるでしょうね。


この知人、ずっと昔から、ある程度歳をとってきたら、若い人たちと同じような能力を回復させてあげる必要があるのだろうかって、今の老人医療に疑問を口にしておりましたので、彼の思いを如実に反映した判断になったなと、私には思えます。
余命が10年ちょっと、ここできつい思いをして、危険を冒して、1年半の手術に耐えて、、、、10年を生きるのか、
3年、5年になるのかわからないけど、平穏な最後を送るのか、、、、
彼は後のほうにかけたのですよね。

これをあなたにお勧めはいたしませんけど、こんな生き方もあるのですよ。

死んでませんので

2011年02月02日 22時32分00秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


ちょっとばかし日記をアップしなかったり、しばらく連絡を断ったりすると、
「最近、風車から何も聞かないな、、、、
死んじゃったんだろうな」
って、よく、殺されておりましたよ。

だから、今日は、
残念ですけど、まだ死んでません
ってことで、屑でも、なんでもアップしておきます。
よろしく。



だって、死んじゃったって思うんだったら、まずやることがあるでしょうよ。
香典をよこせよ。