この前の日記にあられさんからコメントを頂いている。
ブログの右のブックマークにも
彼女の日記へのリンクを張ってあるのでぜひ見てください。
その彼女のことをちょっとご紹介しておきたいのだけど。
(了解を取っていないので、後で消すことになるかもしれません)
最初に彼女のブログを拝見してびっくり。
デジスコとニコンをもって、今日は富士山の奥庭、あすは埼玉って飛び回っておられる。それで旦那さんが帰るまでに家に着いてなきゃって車をすっ飛ばせておられるのですね。
最初に実際にお目にかかったのは、私のフィールドに巴ガモが入ったとき。
それをブログで紹介して、数日後にそのスポットに行ったら、どうもあられさんのような方がおられる。普段は絶対にしないことなのだけど、「あられさんですか」ってお聞きしたら「そうだ」ということでそのときが最初。
サンコウチョウのときはあられさんに教えていただいて、現場でお会いしたし、養老渓谷のお化けトンネルを紹介したら、即すっ飛んでこられた。
ものすごくバイタリティに飛んだ方だけど、、、
実はこの方、カメラやデジスコ機材と一緒にどうしても持ち歩かなければならないものを抱えておられる。
酸素ボンベ。彼女には必要なのですね。ボンベの助けを受けて息をされている。時間が長くなると2本以上を持ち歩いておられる。
撮影をご一緒すると、動きが本当に辛そう。
100メートル行っては、休み、また100メートル行っては休む。
そんな状態であの健常者でもできないような活動をなさっているのです。
見ていてほんとうに頭が下がる思いを受ける方。
私も子供のときから不治といわれる病を発症する危険を背負って生きてきた。子供心にそれに打ち勝つのには、「生き死になんて、夢か幻のようなもの」(それがこのブログのタイトルですね)って思いを自分に押し付けることだったのです。幸いなことに今になるまで発症しなかったけど、そんな私にとって生きることへの執着って持てなかった。持てば、悲劇だからね。
死ぬことは病を抱えようが、抱えまいが、必定。
必要なのは、死に際に自分の一生、後悔してもいいけど恥ずかしくない生き様であって欲しい。
子供心に決めたのはそんなことしかなかったんです。
悲劇?
でも、当人には与えられた運命。それが当たり前のものとして受け入れるしかなかったのです。
弟も、まだ子供のころに、「あと何年」なんていわれる大病を克服して生きてきたのだけど、その彼が、大動脈3本を、心臓を止めないでバイパスするという手術を「神の手」と言われるような有名な医者にしてもらった。これで一安心と思っていたのが、またあと何年って言われて、今や、鬱病のさなか。
体に生き死にに関わるような不調を抱えて生きてきて、それでもなお、人よりもハンディのある体に鞭を打ってもやりたいことをやって、思いを残さないようにしようとされているあの方の生き様、、、、
不調、きつくなると、もういいやって諦めてしまう私には、ほんと文字通りの猛女に見えるし、尊敬しちゃう。
でも、体や心にハンディを持って、雄雄しく生きておられる方って思っている以上に多いのですよね。
昨日も、怪鳥さんから送ってきたビデオ。
中国での話しだけど、ある女性のダンサーが事故で片腕をなくし、そのダンサーがやはり足を失った相手(ダンスは踊ったことがない人だったのですけど)を見つけて、二人でペアを組んでダンスの大会に出て優勝した話だったけど、、、
中国にはハンディを持った人たちの舞踊団もあるのですよね。
あれはそれを知らなくても素晴らしい舞踏だった。
オランダにも日本にもハンディを持った人たちのオーケストラがあったりして、みんな元気に活動しているのですね。日本のオーケストラはカーネギーホールでも演奏会を開いたことがあるのですよ。
たまたま、チビが死なないか心にかけていたら、昨日から、今日にかけて、そんなことを考えさせるものが続きました。
チビ。元気にしております。ご心配をおかけしました。
ちょっと気になるのは、呼吸をするときに少し、息の音がすること。
フィラリアが死んで肺に入っていっているのでしょうか。
そんな風なことを獣医さんから聞いています。
でも、呼吸の音、、、、
私のほうがよほどひどい。
もう何年も、寝ているときなんかに、喉がピーピー音を立てたりしていますからね。
いえ、喉が子守唄を歌っているわけじゃないんですよ。
私のはたぶん肺に炎症でも起こっているのでしょう。
気分が悪いので、よけいにタバコを吸ったりして、、、、、