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夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

老いるということ

2011年01月11日 22時12分27秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


東京へ戻って、チビ太とおいちゃんは毎日2回づつ散歩に出ています。
そして、その都度、おいちゃんは習慣でカメラとレンズを持ってでます。
でも、おいちゃん、何を見てもカメラを向けない。
トモエガモやチョウゲンボウは最近姿を見せません。
でも、トラフズクは、その下を毎日チビ太と通っていますけど、おいちゃん、ちらっと見るだけで、カメラをバッグから取り出そうともしません。
鴨や鴎、可愛い犬たちや、夕日、以前なら写真を撮る、撮らないはべつにしても、目をキラキラさせて綺麗だね~ってつぶやいていたもの、、、今でもたくさんあるのに。

老いるって、体が老いることでありますけど、それ以前に、あるいはそのために心まで老いるのですね。
物事に積極性がなくなる、興味がなくなる。。。。
基本、おいちゃんの写真はなんでもないものでも綺麗じゃない、面白いじゃないって、、、、ひとつの発見だったはずなのに、、、、
おいちゃん、最近何を見ても、「ふん」で終わっています。


ポインセチアとシクラメン。
おいちゃん撮るものがなくって、ベランダのポインセチアとシクラメンを撮っておりました。
ずいぶん前に、咲いてますよ~ってアップしてましたよね。
シクラメンは一年中咲いているのですけど、やはり今の時期が一番綺麗。



ポインセチアは、おいちゃんにとって初めて、紅葉させることができた嬉しいはずのもの、、、、
でも、おいちゃん、これを撮りながらも、「ふん、ふん」なんて、あまり感激してなかった。



おいちゃんが、こうやってぼけていくのは自業自得、、、、
でも、それってチビ太にも大きな影響があるんですよね。

はて、どうしたもんかな~

昨日1番多かった検索キーワードは柴田浩一でした

2010年10月08日 07時38分13秒 |  姥捨て山は大騒ぎ



タイトルはこのブログのアクセス解析の文句です。

昨日のアクセスの検索キーワードで一番多かったのが、「柴田浩一」なんだそうで、、、
ほかほか、横濱ジャズプロムナードも終わったんだな~って、もう今年のカレンダーもこんなに薄くなって、私の髪の厚さと競いだしたのを実感。

それにしても、柴田氏、検索かけてくる人の検索ワードでは常連なんだけど、まさか一番多いってのは、あのデューク・エリントンの本がでたころでもなかった現象だね~

まさか、野毛あたりの飲み屋さんで、飲みすぎてばったり、、、、なんてことはないでしょうね。それは私の一世一代の夢の企画だから、そんな羨ましいことをやっちゃいけんのよ。

私の葬儀費用の予算には、ちゃんと柴田さんからの香典が計上されているんだから、先に行かれちゃうと、死ぬに死ねなくなっちゃう。

なんて、嫌だね~
この歳になると、なにかあると、えっ、逝っちゃったのって言われちゃうから。

そんなこんなで岬に着くと、梅若さんからの招魂(おがたま)のお誘い。実盛をおやりになるんだって。
普通なら、黙って逝けば、後は周りが片付けてくれるけど、私はね~
やっぱり、どっかのお坊さんのところに化けて出て、香典、これだけ入る予定だから、私の葬式やってくださいって、自分で始末しなきゃいけないんでしょうね。

明日は弟の発表会だし、こちらのドッグカフェ、シェーンの運動会。
世の中、きらきらしているね~
仙人修行中の私には眩しいかぎり。


祝 8000枚   彼岸花

2010年09月25日 22時08分14秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


トップにアップしました写真で、Gooのブログに掲載した写真が8000枚になりました。
ほんと、ごみみたいな写真ばかりをよく恥ずかしげもなくなんて思いますけど。
まぁ、年寄りが散歩を続けるための、付加価値を与えるメモとして、笑ってお許しください。
カメラがなく、今みたいにチビ太と言う同伴者がいなかったら、おそらく私の散歩は続いていないでしょうし、ということは今頃は「私、誰」になっているだろうと思います。


ブログはこちらのブログに移る前に2,3書いており、そのごく一部をこちらにも移しましたが、書くだけだと、以前の仕事がらみのことが多くなってしまいますので、今頃はネタ切れで、開店休業って感じでしょうか。

定年のおりに、自分へのご褒美としてカメラを買いました。しばらくはカメラは持ち歩かなかったのですけど、散歩も面倒だなって思うようになってから、気がついて、カメラを持って行こうって思いました。
カメラを持っていることで、目線が鳥や花など、さまざまなものに移れるようになりました。
散歩への新たな、強力な刺激でした。

そのカメラも、なんとなく限界かななんて思っておりましたら、今度はチビ太と言う同伴出勤のお相手が出現。
カメラだけなら、散歩も気が乗ったときだけってことになっていきますけど、チビ太様がご一緒だと、そうはいきません。毎日朝夕、調子が悪かろうが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、散歩に行かなければなりません。
カメラ以上の起爆剤ですね。

私の背後霊さんも、私をボケから救うために手を変え、品を変えいろいろと助けてくれているようです。



ところで彼岸花。



毎年、この時期になると、律儀に咲いてきましたってアップしています。
花がはでなので、クローズアップにしてみたりして、いろいろ試しておりましたが、もうそれも限界かな。
今回は、ごくごく普通に撮ってみました。


不精  露と消えた私のライフワーク

2010年09月16日 09時11分50秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
しばらく不精をして日記を更新していなかったら、怪鳥さん始め、いろんな方からメールを頂いたりして、「死んでない?」って聞かれました。
「死にました」って答えてもよかったんですけど、せっかく気を使って下さる方に失礼ですよね。
「まだ、生きております」って返事をいたしておりました。
不精はひげくらいにしておいたほうがよろしいですな。


先日の「写真展」に「やれやれ!」って励まし(たぶん)のコメントを頂いておりました。

それには、自分で何かを書いたり、作ったりして発表するのは子供のときからの夢だったけど、夢を持つと同時に、自分の創作能力のなさに気がついて、、、
だから仕事も人の仕事を紹介するような仕事を選んだので、仕事をしているときで、しがらみにがんじがらめになってどうしても引き受けなければいけないようなら別だけど、仕事を離れて、この歳になってまで何かを作ったり、意見を言うような恥はかきたくないってお返事しておりました。
(この日記は路傍の草だからって言いながら、最近、プロフィールに実名を出してきたのは、まだ色気が残っている証拠かな)

もっとも、アートマネージメントの授業に携わっていて、学生さんたちにお話をしていたときに、教授から、「この仕事に携わってよかったと思うか」って聞かれて、「ほんとうにいいマネージャーなら、何年か仕事をしてくると、自分の方がより素晴らしいものが作れるって思いに駆られることがきっとある。そしてそんな思いがだんだん強くなるから、欲求不満になる」って答えて、教授の苦笑をかってしまった。
もちろん、その教授はこれからその道に入ろうかと言う学生さんたちにばら色のイメージを与えたかったんでしょうけど、、、
それは分かっていたけど、それ以上に、マネージャーなら作品を作れなくとも、作家の思うところ、目指しているところ。技術的な問題、、、いろんなことを作家以上にきちんと把握できていなければ、人様には勧められないよって意味もあったのですよ。

物を作れない腹いせに、批判精神ばかり研ぎ澄ましてきた自分の目から見ると、今、書いている日記や写真は、どうにもこうにもならないもの。
昔、よく言っておりました。
見ないでもにっこりして「すごいね~」って言える作品。
だって、どうやってもそれ以上になれない人を駆り立てても仕方がないでしょうってね。
そのレベルでしかないのですよ。

でもほんとうは、一つだけ、やりたかった夢があったんだけど、、、
機会があって、地方の新聞に半年ほどコラムを持ったのです。
ちょうど仕事が猛烈に忙しいときだったのですけど、それを書かせてくれるというのでお引き受けしました。
半年と言う話が、終わりに近づいてもなにも連絡がないので、続けられるのだろうってのんびり構えておりましたら、最終回に急にこれで終わりですって連絡が来て、あわてて取り繕って終わってしまいました。

しばらくして、学者さんたちの集まりに出ましたら、集まった方から「あの終わり方、ずいぶん唐突だね~」って言われ、「えっ、先生、読んでくださってたのですか」って聞いたら、誰かがこの連載に気がついて、別な集まりでその話をされたらしくって、いろんな方がその新聞をとってくださっていたんですね。
ほんとうに小さな地方新聞だったし、新聞社にはなんのリアクションもなかったようなのですけど、学者さんたちの情報網って凄いな~って驚いておりました。
なかでも、一人、当時の東大の史料編纂所の所長をなさっていた方が、「風車さん、あれ凄く面白かった。終わりをちゃんとして、本にしようよ。私が本屋を紹介するから」っておっしゃってくださった。
これは本当にうれしかった。
私が一番気にしていた分野だったからね~
でも、仕事をやめ、しばらくチャージだ~ってぶらぶらと不精していたら、その先生、亡くなってしまった。
残念。せっかくのチャンスを、自分の不精でつぶしてしもうた。

結局、この日記もその分野の関連のものはほとんどない。
この日記で、検索が一番多いのは、料理、そして漢詩、あとは岬にあるゲイのシークレットビーチ。。。。
そんなもんですな~ とほほ。


幸せって?

2010年08月25日 09時10分50秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


朝起きて腰の痛みを味わうこと




若いころは、節々の痛みなんて、一晩でなくなっていました。
歳をとると、腰の痛みを感じながらの毎朝の目覚め。
そして、おいちゃんくらいになると、その慣れ親しんだ痛みに、
今日も新しい一日を恵まれたって思えるようになります。


なんちゃって、この痛みなんとかならないかな~
おいちゃんだって、疲れも知らずに、空を羽ばたきたいよ。

猛女 再び  あられさん

2010年05月27日 10時20分02秒 |  姥捨て山は大騒ぎ
この前の日記にあられさんからコメントを頂いている。
ブログの右のブックマークにも彼女の日記へのリンクを張ってあるのでぜひ見てください。

その彼女のことをちょっとご紹介しておきたいのだけど。
(了解を取っていないので、後で消すことになるかもしれません)


最初に彼女のブログを拝見してびっくり。
デジスコとニコンをもって、今日は富士山の奥庭、あすは埼玉って飛び回っておられる。それで旦那さんが帰るまでに家に着いてなきゃって車をすっ飛ばせておられるのですね。
最初に実際にお目にかかったのは、私のフィールドに巴ガモが入ったとき。
それをブログで紹介して、数日後にそのスポットに行ったら、どうもあられさんのような方がおられる。普段は絶対にしないことなのだけど、「あられさんですか」ってお聞きしたら「そうだ」ということでそのときが最初。

サンコウチョウのときはあられさんに教えていただいて、現場でお会いしたし、養老渓谷のお化けトンネルを紹介したら、即すっ飛んでこられた。
ものすごくバイタリティに飛んだ方だけど、、、

実はこの方、カメラやデジスコ機材と一緒にどうしても持ち歩かなければならないものを抱えておられる。
酸素ボンベ。彼女には必要なのですね。ボンベの助けを受けて息をされている。時間が長くなると2本以上を持ち歩いておられる。
撮影をご一緒すると、動きが本当に辛そう。
100メートル行っては、休み、また100メートル行っては休む。
そんな状態であの健常者でもできないような活動をなさっているのです。
見ていてほんとうに頭が下がる思いを受ける方。

私も子供のときから不治といわれる病を発症する危険を背負って生きてきた。子供心にそれに打ち勝つのには、「生き死になんて、夢か幻のようなもの」(それがこのブログのタイトルですね)って思いを自分に押し付けることだったのです。幸いなことに今になるまで発症しなかったけど、そんな私にとって生きることへの執着って持てなかった。持てば、悲劇だからね。
死ぬことは病を抱えようが、抱えまいが、必定。
必要なのは、死に際に自分の一生、後悔してもいいけど恥ずかしくない生き様であって欲しい。
子供心に決めたのはそんなことしかなかったんです。
悲劇?
でも、当人には与えられた運命。それが当たり前のものとして受け入れるしかなかったのです。

弟も、まだ子供のころに、「あと何年」なんていわれる大病を克服して生きてきたのだけど、その彼が、大動脈3本を、心臓を止めないでバイパスするという手術を「神の手」と言われるような有名な医者にしてもらった。これで一安心と思っていたのが、またあと何年って言われて、今や、鬱病のさなか。

体に生き死にに関わるような不調を抱えて生きてきて、それでもなお、人よりもハンディのある体に鞭を打ってもやりたいことをやって、思いを残さないようにしようとされているあの方の生き様、、、、
不調、きつくなると、もういいやって諦めてしまう私には、ほんと文字通りの猛女に見えるし、尊敬しちゃう。

でも、体や心にハンディを持って、雄雄しく生きておられる方って思っている以上に多いのですよね。
昨日も、怪鳥さんから送ってきたビデオ。
中国での話しだけど、ある女性のダンサーが事故で片腕をなくし、そのダンサーがやはり足を失った相手(ダンスは踊ったことがない人だったのですけど)を見つけて、二人でペアを組んでダンスの大会に出て優勝した話だったけど、、、
中国にはハンディを持った人たちの舞踊団もあるのですよね。
あれはそれを知らなくても素晴らしい舞踏だった。
オランダにも日本にもハンディを持った人たちのオーケストラがあったりして、みんな元気に活動しているのですね。日本のオーケストラはカーネギーホールでも演奏会を開いたことがあるのですよ。

たまたま、チビが死なないか心にかけていたら、昨日から、今日にかけて、そんなことを考えさせるものが続きました。

チビ。元気にしております。ご心配をおかけしました。
ちょっと気になるのは、呼吸をするときに少し、息の音がすること。
フィラリアが死んで肺に入っていっているのでしょうか。
そんな風なことを獣医さんから聞いています。
でも、呼吸の音、、、、
私のほうがよほどひどい。
もう何年も、寝ているときなんかに、喉がピーピー音を立てたりしていますからね。
いえ、喉が子守唄を歌っているわけじゃないんですよ。
私のはたぶん肺に炎症でも起こっているのでしょう。
気分が悪いので、よけいにタバコを吸ったりして、、、、、




痛でで、、、

2010年04月13日 18時22分47秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


右の坐骨の周りが痛いのは何年も前からありました。
寝起きや、車から降りるとき、そして右の足を上げるとき(けっこう多いんですよ、段差を上がるときとか、靴下やパンツをはいたりするときなんかもね)痛いし、足が上がらない。年中、痛ででって騒いでおります。
不便なことでございます。

ところが、先週の木曜日の夜中には、左の胸が半端じゃなく痛かったんです。
不整脈は子供のころからありましたし、一瞬で意識がなくなることも何度かあっています。不整脈かな、それとも狭心症かなって、、、、このまま死ぬかと思いました。
心臓からくるのであれば、もう少し我慢すれば、あっちゃに行けるかも知れないし、肋間神経痛なら、そのうち治まるだろうって、枕にしがみついておりました。

ひたすら痛みに耐えておりましたら、1時間ほどしてだんだん痛みが和らいできたので、これなら大丈夫だろうと、ベッドの中で体を動かさないようにじっと固まっておりました。

翌日の金曜日には枝打ちの予定が入っており、便利屋さんたちの仕事を手伝いもほとんどしないで、道に腰を下ろしてみておりました。
ひどい痛みはなくなりましたが、左胸を起点に、右の下、そして肩甲骨の間にまで、痛みとコリに似た状態が続いております。痛みの場所があっちこっちって動くんですよね。もしかして、岬の家でカメムシを10匹ほども摑まえて、トイレに流したので、それのたたりだったかな~
もう何年も、痰が頻繁に出て咳をするんですけど、それもきつい状態。

ほんと、坐骨の方は基本的に体の後ろ、そして今度は体の前、、、
咳をすれば体の中、、、
全面攻撃に晒されておりますよ。

ということで、今日はせっかくの晴れなのに、散歩は止め。
大人しくベランダの花と遊んでおりました。
ので、あいも変わりません被写体をあいも変わらない撮り方で撮ったものでございますけど、、、
お許しあれ




それにしても、日曜日は千葉におりましたが、最高気温25度。翌日の東京の予報は10度(あとで12度になっておりましたけど)、そして今日はまた20度を越えたのでしょうか。年寄りには辛い猫の目天気でゴザイマスな。

人間の体を作ったプログラマーは天才ですな。
寿命が尽きてくると、体のあちこちに異常が出て、だんだん生きていくのが辛くなる。おまけに、ここは都会の人の老人ホームではないなんて冷たくあしらわれたりもする。
お爺さんや、お婆さん達が 「早くお呼びがこないかな」なんて言っているのが、よく分かる今日このごろでございます。(なんせ、自分がそのお爺さんの一員になったのですから、当然ですな)

なのに、私は、「どうせ、あっちゃに行くのなら、小さくっても、もう一花咲かせて」なんて、、、、
ちょっとばかし思ったりもするのですけど、、、、
ねぇ~ いかがなものでしょうか???



今日の多摩川散歩

2010年02月24日 15時13分09秒 |  姥捨て山は大騒ぎ

昔、仕事をしていたとき。作家、作品を取り上げる最初は、自分の気持ちに響いてくるものかどうかだった。
特に現代作品の場合、できればその作家と直に会ってその作家がなぜそんな作品を作ったのか、どんな風にその気持ちを展開し、作品に込めたのか、、、、そんなことを話し合ったりした。

芸術作品は、新しい価値を生み出すもの。今までにない価値観の上にあるものを評価するため、自分が追いついているためには、常に自分の気持ちを白紙に出来る努力が必要だった。

もちろん、まったく自分の個人的な好き嫌いであれば、そんなことは必要ない。
ただ作品の前に立ち、これ好き、これ嫌いって思っていればいいことだけど、
展覧会やステージや、コンサートを企画し、人を集め、金を集めるためには、それだけでは駄目なんですよね。
自分の感動を、その人たちにも伝え、その人たちを引きづりこまなければならないられなければならないから。

友人の美術史家たちは、それをあまりに個人的なこととして、客観的に受け入れられるためには芸術、文化の中でのその作家、作品の評価すべきだと述べていたけど、それなら、今までの価値で判断することとあまり違わない。
まったく新しい価値を生み出している人、そしてその価値の評価には繋がりにくい。
素人の感慨、考えで仕事が出来てきたというのは、他には稀なる幸運に恵まれたというべきなのでしょうね。

でも、仕事を離れて、芸術に触れるということからも離れてしまった。
私の周りにあるものは自然の作り出したものだけ。

芸術作品と違い、自然の作り出す美というのは、そこにあるもの。
だから、なぜとか、どういう風にとかってことは一切関係がない。
ただただ、その折々に、自分がそれを受け入れられるかどうかなのですね。
最初の自分の感動、それだけが重要。

でも、どこにでも綺麗なもの、美しいもの、感動的なものってあるんですよ、なんて暢気に書いているけど、今となっては、そこにあるものの美しさに感動することもだんだん少なくなってきている。


今日の散歩。
何も撮るものがないって、バッグにしまいこみぱなしだったカメラを、散歩の終わりに、これじゃだめだと、強迫観念に追われて、とにかく、何か撮らなければって、しかたなく撮ったもの。
感動も何もないところからの産物。
どうころんでも、いい写真が出来るような状況じゃないね。

歳をとると、柔らかな心で物を見て、感動する、そんな気持ちを持ち続けるって大変なことなのだな~って、身に沁みている。




どうしましょうね、、、

2009年12月04日 14時04分18秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


マイミクさんが先日、お能に行かれて、ぐっすりと眠ってこられたって書いておられたけど、
横浜の家に行ってみたら、お能の招待状が来ていた。
でも、横浜にはしばらく行っていないので、公演日から一月以上も経ってしまっている。
今更、「ごめんね~」のお手紙をするのもなんだなぁ~って感じがするのだけど、どうしましょうね、、、、



今回は追善公演で、この方「姨捨」をやられたんですよね、、、
礼を失しちゃった。。。。

やはり、「ありがとう、ごめんなさい」って書いて出すんでしょうね~



お掃除お掃除、、、、面倒な~~~

2009年11月27日 11時10分07秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


以前、Gooのランキングの「試したことがあるおばあちゃんの知恵袋ランキング」で、実際に試したことがあるものというのがあって、濡れた新聞紙をちぎって掃くというのがでていたので、それよりもお茶がらのほうがいいのじゃないかな~って「お爺さん」の知恵を披露していたら、その記事へ1,2週に一遍くらいたくさんのアクセスがあるようになってきた。



その数字を見ながら、身の回りをきれいにしていたい、ちゃんと掃除をしたいなんて殊勝な心がけの方がこんなにもたくさんいるんだな~ってなんとなくうれしくなってきちゃいましたよ。



新聞紙じゃ、細かく千切るってのも結構大変だし、ぺったりとくっつくとはがしにくいんです。でも、お茶がらならあとは庭にでも穴を掘って埋めておけば肥料にもなるしね。それにお茶がらを集める時にお茶の葉を水に漬けておくとその水は、拭き掃除に使えますよ。お茶の殺菌力がいいみたい。

拭き掃除っていえば、私の前の日記のところへ飛んでくださった方はお分かりのように、一番下に、ランキングの表を出していますけど、そのなかに「米のとぎ汁で床を拭く」というのがありますね。
でも、これも「お爺さん」に言わせると、どうかな~って疑問。
米ぬかって乾いてくると結構取りづらいんです。
要するに泥パックをするのと同じですものね。



何度も吹いていると何となく床が白っぽくなってくるかもしれませんよ。
私はお米のとぎ汁は食べ物屑を入れておく庭の穴のに入れるか、植木鉢の水やりに使います。
昔は洗剤代わりにも使ったみたいだけど、一度これで雑巾を洗ってみたら、後々、糠が落ちなくって大変でした。特に台所回りのステンレス部分などでは、その白く粉をふいたようになるのが目立ってしまって、何度拭いても、なかなか落ちてくれないんです。



売っているもので、すぐれものっていうと、発砲スチロールみたいな、消しゴムみたいな、、、、乾燥した泡雪みたいな物体。
台所から探してきました。。。
「激落ちキング」って書いてあります。
小さいのは高いけど、大きなロットで売っている物を買えば、そんなに高くない。
これって、洗剤とスポンジで何度洗っても落ちないようなこびりついた油汚れやシミにも結構効きます。力を入れなくっても、洗剤を入れなくっても、大丈夫なので、力もなくなったお爺さんでもにこにこ。



あとは、車のガラス吹きみたいなT型のワイパー。年末の掃除などには窓ガラスの掃除は欠かせませんよね。これがあると楽。すっきりと落ちてくれます。
家は、森の中にあって、バルコニーやガラス、窓枠がすぐ苔てしまうのですけど、これに水をつけて拭くと、苔もばっちり。
ワイパーですよ。カタツムリではふき取れませんからね、



いろいろお掃除グッズが出回っているし、年末を迎えて、お店でも特別にスペースを作って売り出しているけど、使ってみて意外と宣伝文句ほどじゃなくってがっかりすることが多いのです。



でも、いくらお爺さんでも、たまには新しいものにも目を向けなきゃね。。。

ということで、今、狙っているのはスチームの掃除機。
家は、全部が絨毯敷き。絨毯がしみたり、椅子やテーブルの足跡がついたり、、
以前使っていたスチーム掃除機はそんな時に結構役立ってくれました。でも壊れてしまっちゃったんですね。だから、新しいのがほしい。
今、ドイツ製のやつと、国産のやつがテレビショップで大宣伝をしているけど、どっちかな~



年末の大掃除が終わったら、お肌のシミ取りや、皺伸ばしにも使えるかしら、、、
なんて、真に受けちゃだめよ。。。




今日はいい天気。暖かそう。
でも、なんとなく外に出るのが億劫。
こんな風にして引きこもり、、、認知症ってか?
こんな時期も



あんな時期も、



あったんだけど、、、



今や、、、、、



だもんね~

そうか、掃除は、優しい、可愛いU20を見つけることなのだ!



掃除って、楽しいことなのね~



お後がよろしいようで~





今日の写真、古いのを引っ張り出しました。
またまた、ごめんね。