DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

偽善について・なるもにあver.

2006-03-21 | 日記/備忘録/独り言/その他
偽薬というのがありますよね。いわゆるプラシーボ

偽善もまたプラシーボ効果を持つのではないのかな、
と思いました。

で、ゼットン様へのコメントでも書いたのですが
「善」があるというのであれば、たとえ「偽」でもよいのでは?

あと、偽善って多くの場合、本人は「善」だと思って行ってるわけで、
その瞬間のその思いは絶対に「善」のはずだと思います。

また、
誰かにとっては「偽善」であっても、誰かにとっては「善」かもしれない。

「偽」「善」もまた、それを見る人の目の中にあるのかも。

で、ある時、もし自分の行動で、「あ、これって偽善かも?」と思ったとして
自分は今まで意識していなかったとしたら
で、偽善はどうしてもイヤな場合は、
今度からそれをやめればいいだけだと思います。
てか、人間って、本当にイヤなことはできないようになってると思うので、
もしできてたとしたら、逆説的にそれはその時点で「偽善」ではなかったからだと思います。(や、この文章の論旨でいくと、偽善でも一向に構わないんですが)

で、このところの「偽善」関連コメントを読んでいて
の、現時点でのなるもにあ的結論。

「偽善」ばっちこーい!(オイオイ;

私も多分に偽善者だろうと思いますが
別にいいんだ、自分が偽善者でも、暴走系でも。

やりたいことをやりたいままにやらせていただきまーす。
偽善であろうが、なかろうが、
それが・なるもにあクォリティ!
コメント (4)
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