他の方のブログでコメントすることの面白さ・楽しさは、
多様な記事に出会うことで、誘発された思考が、
自分では計算できないタイミングで発動するところにあると思います。
いつも自分が考えていることをそのまま書き込める場合もあれば、
刺激されたり、影響された結果、自分でも思いがけないコメントを
書き込む可能性もあり、本人さえ意識していない自分の鏡像に
出会える場でもある。
もう1つ興味深いのは、1人のブロガーがコメント的には様々なブログに分散されること。
巡回ブログがかぶると、他ブログでのコメントとつなぎあわせて
その1人のブロガーの全体像(と思われるもの)を
意識的&無意識的に収集・ストックしていくことは可能ですが、
通常は参加ブログの差による、全体像の把握の限界=ズレが生じる。
それもまた非常にブログっぽいと思います。
ブログコミュニティにおいて、ブロガー同士の交流が非常に密になり、
ブックマークがほとんど同じ構成になっていくのは、1つには
そうした全体像集め=相手を理解するためのコメントチェイス傾向が
強いからだと思っています。共通要素を増やしていくことで得られる
コミュニティにおける一体化欲求・所属欲求にもつながるのでしょうね。
(私自身は所属欲求よりは、交流欲求が強いブロガーだと思っています。)
で、あるブロガーが、別のブログで書いたコメントのノリで、
また違うブログに書いたコメントを
それを知らずに読んで、まったく意味がわからない参加者や、
逆に、他で見たコメントと併せ読みして、深読みしてしまう参加者もいる。
(ここにメールや電話などブログ外手段が絡むと
ますます当事者同志以外には見えないブラックボックス化が進行。)
「コミュニケーション頻度が高まれば、誤解は減る」というのが
一般解釈だと思うのですが、
ブログを見ていると、頻度が高まれば高まるほど、
ズレの差が生じやすいケースもある。
ある意味、頻度が高い分、リアル以上に誤解や勘違いが生じやすい媒体ではないのかな?
という気がしています。(情報処理能力の問題もあるでしょうが)
ブログコメントって、自分流を通すことの自分なりの自覚と
波及効果を認識していないと
簡単につながっていく関係だけに、
コミュニケーションツールとして難しい部分もある。
まぁ、んなこといったら、言葉や文字って
自分から離れた瞬間に、二度と戻せないわけで、
その時のその感情も、1秒後には過去なわけで
元の流れにはあらず、
誤解されてもOKな覚悟で発信するしかないわけだと思うのですが。
で、こんなことばかり考えてると、コメントなんてできなくなっちゃうので
これも「そういうこともあるかもねー」くらいで、
トラブルになった時に思い出せばいいと思っております。
まぁ本来は、コメントよりは自ブログの記事中心に
発信していけば、大きな問題にはならない部分ではありますが。
(自ブログの記事は、自分の思うように自分を編集も演出もできる自分の城ですから)
=============================
わはは、メタまとまりないから、また私見メモだなぁ。
その時の気持ちを残せるのもブログのよさだろうから
考えが更新されるまでの1データとして、ってことで、ま、いいか。
(こういうのもまさに、自己統一欲求のつじつま合わせの1つだよな)
で、こういう記事を書くと
「誰かを想定してるのか」と思われる場合もあるようですが
(↑えへ、あるブロガーが指摘してくれました♪
私の記事もまた誤解を生みやすいってことです。はい。)
毎度のように、私の中で、混沌と溜まった思いを整理してるだけなので
そういう意味では特定の誰かは今回は存在しておりません。
言い換えれば、この記事に興味を持って下さる方、全員に発信しています。
言葉って、関係に働き掛けるツールであり、意図する・しないに関わらず
書くことで誰かを刺激したり、気づかせたり、その他影響必須なので
(書いてる本人が思いもしないことを含め)
プラスにでればポジティブ連鎖なのですが、
マイナスにでるとんとに泥沼なネガティブ連鎖にもなるので、
注意するにこしたことはないと思います。
(それも結局個人の枠の中の話で、そういう意味では
どこまでいっても自分の手から先には出られないのかも?)
ま、常に常に自己責任ってことかなぁ。
で、好意というスパイスはいつでもどんな状況でもプラスに変える
魔法のような効果を持っているよなぁ、と思う今日この頃。
やっぱ「好き」って感情はワガママ(我が壗=自分としてあるがまま)の中でも最強クラスだなー。
できるなら両思いでいたいっすね♪
なんてことをぼーーーーと思った、モモの節句の一時でした。
いつもながらの私見ではありますが
なにか思われたこと、意見、質問、反論
記事に直接関係なくてもコメントについて感じること
どんなことでも結構ですので
ぜひぜひコメントご参加くださいませね。
多様な記事に出会うことで、誘発された思考が、
自分では計算できないタイミングで発動するところにあると思います。
いつも自分が考えていることをそのまま書き込める場合もあれば、
刺激されたり、影響された結果、自分でも思いがけないコメントを
書き込む可能性もあり、本人さえ意識していない自分の鏡像に
出会える場でもある。
もう1つ興味深いのは、1人のブロガーがコメント的には様々なブログに分散されること。
巡回ブログがかぶると、他ブログでのコメントとつなぎあわせて
その1人のブロガーの全体像(と思われるもの)を
意識的&無意識的に収集・ストックしていくことは可能ですが、
通常は参加ブログの差による、全体像の把握の限界=ズレが生じる。
それもまた非常にブログっぽいと思います。
ブログコミュニティにおいて、ブロガー同士の交流が非常に密になり、
ブックマークがほとんど同じ構成になっていくのは、1つには
そうした全体像集め=相手を理解するためのコメントチェイス傾向が
強いからだと思っています。共通要素を増やしていくことで得られる
コミュニティにおける一体化欲求・所属欲求にもつながるのでしょうね。
(私自身は所属欲求よりは、交流欲求が強いブロガーだと思っています。)
で、あるブロガーが、別のブログで書いたコメントのノリで、
また違うブログに書いたコメントを
それを知らずに読んで、まったく意味がわからない参加者や、
逆に、他で見たコメントと併せ読みして、深読みしてしまう参加者もいる。
(ここにメールや電話などブログ外手段が絡むと
ますます当事者同志以外には見えないブラックボックス化が進行。)
「コミュニケーション頻度が高まれば、誤解は減る」というのが
一般解釈だと思うのですが、
ブログを見ていると、頻度が高まれば高まるほど、
ズレの差が生じやすいケースもある。
ある意味、頻度が高い分、リアル以上に誤解や勘違いが生じやすい媒体ではないのかな?
という気がしています。(情報処理能力の問題もあるでしょうが)
ブログコメントって、自分流を通すことの自分なりの自覚と
波及効果を認識していないと
簡単につながっていく関係だけに、
コミュニケーションツールとして難しい部分もある。
まぁ、んなこといったら、言葉や文字って
自分から離れた瞬間に、二度と戻せないわけで、
その時のその感情も、1秒後には過去なわけで
元の流れにはあらず、
誤解されてもOKな覚悟で発信するしかないわけだと思うのですが。
で、こんなことばかり考えてると、コメントなんてできなくなっちゃうので
これも「そういうこともあるかもねー」くらいで、
トラブルになった時に思い出せばいいと思っております。
まぁ本来は、コメントよりは自ブログの記事中心に
発信していけば、大きな問題にはならない部分ではありますが。
(自ブログの記事は、自分の思うように自分を編集も演出もできる自分の城ですから)
=============================
わはは、メタまとまりないから、また私見メモだなぁ。
その時の気持ちを残せるのもブログのよさだろうから
考えが更新されるまでの1データとして、ってことで、ま、いいか。
(こういうのもまさに、自己統一欲求のつじつま合わせの1つだよな)
で、こういう記事を書くと
「誰かを想定してるのか」と思われる場合もあるようですが
(↑えへ、あるブロガーが指摘してくれました♪
私の記事もまた誤解を生みやすいってことです。はい。)
毎度のように、私の中で、混沌と溜まった思いを整理してるだけなので
そういう意味では特定の誰かは今回は存在しておりません。
言い換えれば、この記事に興味を持って下さる方、全員に発信しています。
言葉って、関係に働き掛けるツールであり、意図する・しないに関わらず
書くことで誰かを刺激したり、気づかせたり、その他影響必須なので
(書いてる本人が思いもしないことを含め)
プラスにでればポジティブ連鎖なのですが、
マイナスにでるとんとに泥沼なネガティブ連鎖にもなるので、
注意するにこしたことはないと思います。
(それも結局個人の枠の中の話で、そういう意味では
どこまでいっても自分の手から先には出られないのかも?)
ま、常に常に自己責任ってことかなぁ。
で、好意というスパイスはいつでもどんな状況でもプラスに変える
魔法のような効果を持っているよなぁ、と思う今日この頃。
やっぱ「好き」って感情はワガママ(我が壗=自分としてあるがまま)の中でも最強クラスだなー。
できるなら両思いでいたいっすね♪
なんてことをぼーーーーと思った、モモの節句の一時でした。
いつもながらの私見ではありますが
なにか思われたこと、意見、質問、反論
記事に直接関係なくてもコメントについて感じること
どんなことでも結構ですので
ぜひぜひコメントご参加くださいませね。