ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

日光街道・粕壁宿を歩く

2017-11-06 07:27:19 | 日記



首都圏に住んでいる高校の同級生3人が喜寿を迎えたことを契機に始めた街歩き。
首都圏を中心に歴史探訪や文学散歩を楽しんでいます。今回は日光街道の「粕壁宿」。
日本橋から4番目の宿場町です。東武鉄道・春日部駅に集合した一行は観光案内所
「ぷらっとカスカベ」でルート地図や粕壁宿の資料を入手しました。

ヤス: 今日は日光東照宮や奥州へつながる日光街道の宿場町、粕壁宿を案内しよう。
    最初に言っておくけど、ここは川越のような立派な店蔵が多く残された街で
    はないんだ。それに多くの宿場町の共通項だけど、当時の史跡は少なく、残
    された建物と神社・仏閣めぐりが中心になる。でもここは舟運でも栄えた町
    なので古利根川や古隅田川の川沿いに往時の痕跡が残されているから、宿場
    町と川沿い歩きで往時を忍びたい。途中に現在の春日部の街づくりの中心と
    なっている施設も点在しているので紹介していく。話が江戸だったり、現在
    になったりするけれども切り替えてね。

ノブ: 日光街道の宿場町歩きは初めてだ。4代将軍家綱の時代に五街道が定められた
    けど、日光街道は東海道に次いで二番目に整備されているんだよね。少ない
    史跡から往時の宿場町の賑わいを想像するのもいいんじゃないかい。

ヤス: 五街道の整備は参勤交代によって宿場町に大きな経済効果をもたらしたんだ。
    やがて庶民の寺社参りや温泉旅行にも利用されるようになったんだよね。

最初に立ち寄ったのは「春日部市郷土資料館」です。春日部の歴史と文化を紹介する施
設で、江戸時代後期の粕壁宿の1/200の模型が展示されています。3人は現在の地図と
比較しながら粕壁宿の見学ポイントを確認して街へ飛び出しました。

ヒデ: この街に来て、ここがマンガ「クレヨンしんちゃん」の街だったこと、父娘の
    経営方針の違いからお家騒動となった「匠大塚」の発祥・拠点の地であること
    を知ったよ。
    粕壁宿の話から外れる現在の話だけど・・・、春日部が身近になったな。

ノブ: 街中には彫刻がいっぱいあるんだね。彫刻は好きだから見るだけでも楽しい。

ヤス: 彫刻については後ほど話すよ。できるだけ宿場町を中心に歩く。最初に紹介する
    のが、ここ「八坂神社」だ。粕壁宿の入り口に位置する古社だ。夏に「春日部
    夏祭り」があるけど、ここの祭礼が起源なんだ。次は「東八幡神社」、ここも
    古社だ。本殿とその彫刻、力石そしてご神木の大ケヤキをみてほしい。春日部
    では最も雰囲気のある神社だよ。さ~来たぞ。ここが「東陽寺」だ。元禄2年
    (1689)「奥の細道」紀行で芭蕉一行が江戸を出発して最初の宿泊地としたよう
    だ。「伝芭蕉宿寺」、同行した「曽良の日記の一文」が石碑として境内にあるか
    ら見ておこう。

ヒデ: 宿場町に寺があるのは分かるけど、神社ってなぜ宿場町にあるんだい。

ヤス: 神社の役割は定期的に立つ「市場」を守護する市神として祀られたと聞いている。
    これ以上は突っ込まないでくれ。さて、現在に戻るけど、ここが春日部薬草園跡
    だ。大正11年に開設され昭和55年につくば市に移転している。跡地は春日部市
    民文化会館だ。記念としてミニ薬草園が残っている。話は江戸に戻って、ここが
    粕壁宿・旧商家東屋田村本店前で、この屋敷の前に日光、岩槻、江戸の三方角が
    刻まれた道しるべが残されている。

ヒデ: この道標は今の道路に対して斜めに立っているけど、これが本来の位置なんだろう
    ね。粕壁宿を歩いた往時の人たちもこの道標を触っているんだろうから、人の往
    来が想像できる貴重な史跡だ。

ノブ :僕が利用する「筑波実験植物園」は春日部から移転してきたことを知ったよ。

一行は宿場町を抜け、古利根川・古隅田川が流れる川沿いの道を歩き始めました。

ヤス: ここは古利根公園橋といって、市政30周年事業で、光と風をテーマにした全長79m
    の橋上公園で昭和59年に建設されたものだ。県鳥シラコバトをデザインした風見
    鶏に、麦わら帽子をイメージした弓型の梁(はり)のオブジェが目を引くね。橋の
    たもとに千住馬車鉄道がモチーフになったテト馬車のレリーフがあるから見てくれ。
    この街にはこんなのが走っていたんだよ。僕も下見で初めて知ったんだ。

ヒデ: 柴又には人力で押す鉄道があったけど、ここには馬が曳く鉄道があったんだね。

ノブ: この橋上公園には良い彫刻がいっぱいある。なかなか芸術色豊かな街だね。

ヤス: 春日部の街は竹下内閣時代の故郷再生事業の1億円を基金に「彫刻のある街づくり」
    に取り組んだんだ。この橋には有名な彫刻家の作品が多く見られるよ。

ノブ: 1億円のばら撒き政策があったね。春日部では「彫刻のある街づくり」に使われた
    のか。

ヤス: 江戸時代に戻って、ここが新町橋だ。江戸のころは大橋と呼ばれ、この古利根川に
    架かる唯一の橋だった。だから参勤交代の行列は必ずこの橋を渡っている。橋の
    たもとには、船着き場である上喜蔵河岸(かみきぞうかし)があり、その名残の石
    垣がここに残っている。さて、ここからは古隅田川だ。この川に架かるのが「十文
    橋」だ。この辺りは江戸時代、渡船場だった。明治時代に橋がかけられ、渡り賃が
    十文だった。十文渡し跡の碑があるよ。
    ここから粕壁宿に戻って、最勝院を案内する。場所は粕壁宿の出口の位置になる。
    境内に春日部重行の墓と言われる塚があって、春日部の地名の由来といわれる人物
    だ。南北朝時代に南朝方として戦った武将だそうだ。地名はその後、春日部→糟ヶ
    邊→粕壁→春日部と変遷している。
    今日は大雑把な案内だったけど、粕壁宿の始まりから終わりまでを歩いてみた。
    ここで案内を終えます。

ヒデ: 歩きながら話に出たけど、本陣や脇本陣と言った中核となる建物が残っていないのが
    残念だね。1/200の模型の中だけで示されてもちょっと寂しいね。

ヤス: 江戸時代では間口が狭く奥行きが長い地割に沿って、土蔵が連なっていたんだ。「日
    光道中宿村大概帳」によると本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、問屋場1ヶ所、家773
    軒があり、日光街道23宿のうちの6番目の規模であったと書かれている。

ノブ: 今日はありがとう。古利根公園橋を見て、今も川と密着した街づくりをしているのが
    嬉しいなと感じたよ。

春日部の特産品は「押絵羽子板」「麦わら帽子」「桐箪笥・桐箱」です。今度は特産品の生ま
れた背景や工房なども訪ねたいねと話し合っています。
さて、3人の街歩き、次はどこへ行くのでしょうか。
コメント
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