世間様はお盆である。
今日は75年目の終戦の日でもある。
朝っぱらから遠慮のない蝉時雨を聴きながら
うーん、昨夜も寝苦しかったなあと
力なく呟きながら目覚めた。
朝っぱらから遠慮のない蝉時雨を聴きながら
うーん、昨夜も寝苦しかったなあと
力なく呟きながら目覚めた。
昨夜は死んだ親父の夢を見た。
お盆だからそういうことがあっても不思議はないが
何か言いたげだった表情が妙に気にかかる。
それとも終戦の日に息子に言い残したことでもあったのか。
戦争体験を語り継ぐことが年々難しくなっているが
親父にはずいぶん体験談を聞いた。
島根県の師範学校時代に志願兵として予備士官学校に入り
中国からはるか南方戦線を転戦した親父は
陸軍大尉として終戦を迎えた叩き上げの職業軍人だった。
そのことの負い目は常にあったようで
戦後、多くの友人が当たり前のように教職に復帰する中
自分にはその資格がないと復職を拒否。
またエリート軍人だっただけに創設間もない自衛隊からも
引く手あまたの誘いだったと聞くが
これからは戦争の時代ではないとこれもキッパリ拒否。
一介のサラリーマンとして生涯を終えたが
そんな親父を心から誇りに思う。
それは親父ならではの「反戦」ではなかったか。
お盆だからそういうことがあっても不思議はないが
何か言いたげだった表情が妙に気にかかる。
それとも終戦の日に息子に言い残したことでもあったのか。
戦争体験を語り継ぐことが年々難しくなっているが
親父にはずいぶん体験談を聞いた。
島根県の師範学校時代に志願兵として予備士官学校に入り
中国からはるか南方戦線を転戦した親父は
陸軍大尉として終戦を迎えた叩き上げの職業軍人だった。
そのことの負い目は常にあったようで
戦後、多くの友人が当たり前のように教職に復帰する中
自分にはその資格がないと復職を拒否。
またエリート軍人だっただけに創設間もない自衛隊からも
引く手あまたの誘いだったと聞くが
これからは戦争の時代ではないとこれもキッパリ拒否。
一介のサラリーマンとして生涯を終えたが
そんな親父を心から誇りに思う。
それは親父ならではの「反戦」ではなかったか。
この季節が来ると決まって茨木のり子の詩を思い出す。
反戦詩「わたしが一番きれいだったとき」だ。
19歳で終戦を迎えた茨木のり子もまた
この日の感情が詩の原点だった。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
親父と詩人を比べてはいけないが
二人に共通するのは
信じていたものに裏切られた「怒り」だろうか。
あらためて反戦を誓いたい。
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