goo blog サービス終了のお知らせ 

まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

平野レミさんのラブレター

2019年11月09日 | 日記

たまたま買った週刊文春。
パラパラめっくっていると和田誠さんの追悼特集だった。
表紙のイラストも懐かしい和田さんのタッチ。
残念ながら和田さんは亡くなったが
表紙2000回記念で過去の作品のアンコール掲載である。

ニューヨーク・マンハッタンの夜景だろうか。
オシャレで都会的なのにどこか懐かしさを感じさせるイラストだ。
どこかで見たことがあるなあと思っていたら
ジョージ・ガーシュインの没後70年を記念して描かれた
名曲「ラプソディ・イン・ブルー」をイメージした
12年前の作品だという。
なるほど、だからピアノとニューヨークか・・・

色々な人たちの追悼文の最後に
奥様で料理愛好家の平野レミさんの一文も載っていた。

これが泣ける一文だった。
ああ、レミさんは本当に和田さんのことが好きだったんだなあ。
そう思うと不覚にも涙がこぼれてしまった。
50年近くも一緒に暮らしてきて喧嘩をしたことは一度もないと言うし
和田さんもレミさんの料理に不満を言ったことは一度もないと言う。
いつもニコニコと「美味しい、美味しい」と食べてくれ
ゴミ出しや洗濯物の取り込みも自然にやってくれるご主人だったらしい。
そんな和田さんに「神様、素敵な主人をありがとう」と
レミさんはいつも感謝しながら生きて来たと言う。
まあ、夫婦のことは夫婦にしかわからないとは言いながら
我が家とは雲泥の差に絶句してしまった。
そもそもレミさんにピッタリの「料理愛好家」という肩書にしても
レミは料理学校も行ってないし研究家じゃないよね。
じゃあ、こんなのどう?とネーミングは和田さん自身だったと言う。
そんな風にレミさんの仕事もさりげなくサポートしながら
自分の仕事場には断固としてレミさんを入れなかった和田さんである。
そんな昭和の男に生涯にわたって恋しながら
最後は好きだった料理を重箱につめて枕元にならべて
ビールや好きなワインも並べたというレミさん。
本当に幸せな時間だったと言う。

 「和田さんが死んじゃってから、もう泣いて泣いて
  涙が枯れるぐらい泣きました。
  もうちょっと嫌なところが和田さんにあれば
  こんなに悲しくないのに。
  嫌なことを思い出して諦めがつくのに。
  こうなってみると、もう全部が、夢みたいです。
  あっという間の47年間でした。
  和田さんは素敵な夢を見せてくれました。」

これは追悼文ではなく
熱烈なラブレターではないのかと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿