街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

鳥羽街道

2016年09月10日 19時09分04秒 | 街道を歩く
鳥羽街道を羅城門跡から納所(のうそ)まで歩きました。全区間に渡って旧千本通または千本通です。
したがって、鳥羽街道は京阪鳥羽街道駅付近は通りません(約2.6km離れている)。

整備中の京都駅八条口からスタート地点へ向かう。



東寺の近くにある公園に「羅城門遺址」と刻まれた石碑があります。ここからスタートします。



上鳥羽にある恋塚浄禅寺(こいづかじょうぜんじ)。1182年に文覚(1139-1203)によって開基。文覚は出家前は北面の武士で遠藤盛遠(もりとお)といいます。
『源平盛衰記』によれば、盛遠は従兄妹である袈裟御前に横恋慕し、袈裟御前に別れを迫った結果袈裟御前は夫に殺されます。
自分の罪を恥じた盛遠は出家し、この寺を建立したとされます。境内に恋塚(袈裟御前の首塚)と呼ばれる五輪石塔があります。



名神の下をくぐる。



小枝橋で鴨川を渡る。



小枝橋より名神を臨む。



小枝橋を渡ってすぐに南下し道なりに進むと現れる千本通と城南宮通の分かれ道。直進すると城南宮、右折すると鳥羽街道。
ここが、慶応4年1月3日(1868年1月27日)夕刻から始まる戊辰戦争の端緒となった鳥羽・伏見の戦いの勃発地です。
元日に挙兵した旧幕府軍が小枝橋を渡ろうとしたところ、新政府軍が阻止して発砲し、戦いが始まりました。



「千本通赤池」を通過。



下鳥羽にある恋塚寺(こいづかでら)。由来は恋塚浄禅寺と同じです。



丹波橋通との交差点を過ぎてすぐのところにある、純米酒「月の桂」を製造する造り酒屋・増田徳兵衛商店が右手に見えます。
このあたりは古い街並みが残っています。



下鳥羽のこのあたりで西高瀬川が鴨川に合流します。河原に並んでいる3つの石は鳥羽の大石。
河原を公園化する整備事業の際に鴨川の水中から引き上げられました。二条城の城郭石材として使われる予定だったものという説があります。



川沿いに整備された桂川サイクリングロードは、自転車とランナーが頻繁に行き交います。



外環状線が通る羽束師橋の下をくぐる。



羽束師橋を過ぎると道が細くなります。



沿線に広がる田園風景。



横大路にある市立洛水中学校。



京阪淀駅付近にある「納所」交差点。ここがゴールとなります。14412歩、1歩65cmで9.4kmでした。
納所で京街道に合流します。左端が鳥羽街道、右端が京街道。
鳥羽街道は、東寺と高野山を結ぶ広義の高野街道の一部となります。
納所で京街道に合流したあと京阪八幡市駅付近で橋本方面へ進まずに東高野街道の起点に合流します。
そのまま東高野街道を進み、西高野街道と合流する河内長野以降は高野街道を進むことになります。



淀駅より帰宅。

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