街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

高野街道(河内長野~橋本)

2016年09月17日 20時16分52秒 | 街道を歩く
高野街道(不動坂口道)を河内長野から橋本まで歩きました。

東高野街道と西高野街道の終点である近鉄・南海河内長野駅前をスタート。



河内長野市商工会が5年前に設置した道標。銅鐸と梵鐘をイメージしているとのこと。



先の道標を過ぎるとしばらく「高野街道 酒蔵通り」が続きます。
左右の建物は登録有形文化財の「西條合資会社旧店舗主屋・土蔵」。現在の事務所・酒蔵も旧店舗の北側にあります。



酒蔵通りを過ぎたあと急坂を上がり、国道371号線を横切ってさらに別久坂(びっくざか)を上がります。



楠木正成が築いたという伝説のある烏帽子形城跡がある烏帽子形八幡神社。



向かいには、神社参拝者向けの駐車場と高野街道の休憩所。



三日市宿に入ります。宿の本陣があった油屋の跡。
尊王攘夷派の天誅組が、天領である奈良・五条の奉行所を襲撃したことで知られる天誅組の変(1863年)ゆかりの地です。



三日市宿は古い街並みの保存に力を入れているとのこと。江戸時代末期に建てられたと考えられる八木家住宅(登録有形文化財)。



南海三日市町駅。



駅前に飾られた、地元のだんじり祭りに協賛する企業などの提灯。



三日市町駅を過ぎてしばらくのところにある「高野山女人堂江八里」の道標。
西高野街道にもあった、1857年に設置された里程石の続きです。江戸時代は西高野街道が賑わったようです。



三日市以降は国道371号線に概ね沿った形で歩き続けますが、南海天見駅を過ぎてしばらくしたところで371号線(左)は紀見峠トンネルに入ります。
高野街道は通れる部分がほとんど残っておらず、わずかに通れる道を目指し旧371号線(右)を進みます。



蛇行する道を上がります。



紀見峠で和歌山県橋本市に入ります。左の道が現在も残っている本来の高野街道。左へ進みます。





橋本市に入ってすぐのところにある「高野山女人堂江六里」の里程石。



さらに、里程石のすぐ近くにある数学者・岡潔(1901-78)生誕の地の石碑。



「橋本市岡潔数学WAVE」が今年7月に設置した「情緒の道」の標柱。「人を先にして自分を後にせよ」という岡潔の言葉が書かれています。
生誕の地の石碑の横にも同じ標柱がありました。



山を下りて「柱本」交差点で371号線に合流し、国道沿いを歩きます。「光陽台北」交差点にて、両側にローソン。



再び国道を外れ旧道を歩きます。古い街並みの向こう側に見える、林間田園都市の高層マンション。



「高野山女人堂江五里」の里程石。



林間田園都市を結ぶ橋梁をくぐる。



老朽化のため総重量2t以上の車両が通行できない橋を慎重に渡る。



古い街並みを残す御幸辻周辺。



「小原田南」交差点を過ぎて京奈和道をくぐる。



JR和歌山線のガードをくぐる。



道は奥へと続きますが、左に曲がるとJR・南海橋本駅のため、ここまでとしました。



南海橋本駅より帰宅。

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