Kantele-Suomiho-Fuga

フィンランドと音楽(カンテレ、音楽療法)をキーワードに!

本は食べ物

2010-09-21 22:26:52 | つれづれ・・・

ある雑誌の座談会記事を読む。出席者は本の達人たち、児童文学評論家、翻訳家、哲学者、編集者など。子どもの頃から本好きの方々ばかりで、私もまったく同じ思いで共感した。

憶えている最初のクリスマスプレゼントは絵本、『銀河鉄道の夜』。それはシリーズものも最初の1冊で、その後毎月絵本が届いた。小学生の頃から両親の行きつけの本屋さんで<つけ>で買うことを許されたので、学校帰りに寄っては本を買っていた。本屋さんのおじさんも「これが面白いよ」とか、手に取った本を「それならこっちがおすすめ」と小学生の私を相手に真剣にアドバイスしてくれた。私も「この間の本はこうだった」と感想を言って話し込んだ懐かしい思い出。残念ながら大型店の出店で、この本屋さんはおじさんの代で終わってしまった。

実家は何度も床を補強したほどの量の本がある。中学生になると、哲学・宗教や社会学の専門書が多い父の本棚からこっそり借りて、手当たり次第読む。なぜかテスト前になると分厚い本を読み、母親に叱られた思い出も。またわからないなりにも評論も読んだ。ある時期「ちょっと大人っぽく」と爪先立ちするほどの背伸び読書もしたが、そこで培われる背伸びがいい経験と感覚を養い、そして今にも繋がっていると思っている。

はまったのはやはり<文学>。日本の古典から近代まで、またヨーロッパやロシアの作家もほとんど読んでいる。高校生の頃、友人たちと競って読んだトルストイ、ドストエフスキー、シェークスピア、ヘッセ、ゲーテ・・・、。本ではいろいろな人に会える、日常会えないような人間に会うこともできる。また時空に限定されないので、どこへでも飛んでいかれるし、また遡れる。いつか行ってみたいあの場所、サンクトペテルブルクは私の永遠の都。



今や<電子書籍>の時代。でも本は生き残るし、意識して生き残さなければいけない文化だと思う。「映画はみない」と断言する私、それは「ただ本が好きだから」。私にとって本は食べ物だから生きる糧でもあり、本が身体に積み重なっていく感じを覚える。ジワジワ老眼の昨今だが、まだまだめげない。