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世界各地で“パレスチナ支持” 米がイスラエルに「地上侵攻延期」要求か
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ヨーロッパで
パレスチナのアラブ人の苦境とナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人との共通点
NHK出版「イスラエル 人類史上最もやっかいな問題」より
ユダヤ人国家は本当に必要なのか…パレスチナのアラブ人の苦境とナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人との共通点 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
数年前、私は子供たちと一緒に、アムステルダムにあるアンネ・フランクの家を訪れた。
訪問後、すべてを理解しようと頑張っている娘(当時11歳)にこうたずねられた。アンネと家族はなぜ、アメリカでもカナダでもオーストラリアでも、「どこでもいいからほかのいい国」に行かなかったのか、と。
私は娘に、ヨーロッパで恐ろしいことが起こっているとはっきりわかってもなお、ヨーロッパのユダヤ人を進んで受け入れてくれる国は世界のどこにもなかったのだと説明した。
当然、娘は信じられない様子で、どうしてユダヤ人が安全に行ける国が世界に一つもないのかときいた。まさにそのときその場で、私はシオニスト意識の誕生を目の当たりにしたのだ。
というのも、ヒトラーが「最終的解決」を実行する前の数年間に、ヨーロッパのユダヤ人の多くに避難場所を提供する国が世界に一つでもあれば、言うまでもなくあなたが本書を読むこともなかっただろうからだ。
シオニストの企てが始まった理由はホロコーストではなかったとしても、その企てが成功した理由はホロコーストだったはずだ。娘の願いをかなえてくれる「いい国」が一つでもあったとすれば、移民もおらず存在理由もないイシューヴ(「ユダヤ人共同体」)は孤立した小集団のままで、いずれ縮小して消滅した可能性がきわめて高い。
だが、そうはならなかった。シオニストは正しかった。
(編集部注)
ユダヤ人を追い出そうとするナチスと、パレスチナにユダヤ人を送り込もうとするシオニストたちは利害が一致し、1933年「ハーヴァラ協定:ヘブライ語ではהֶסְכֵּםהַעֲבָרָה ヘスケム(協定)ハーヴァラ(移送)」を結び、パレスチナにユダヤ人を送り込むことにした。
つまりイスラエルを建国した極右シオニストとナチスは当初手をにぎっていたのです。
ところがナチスが政権を取るとユダヤ人への弾圧が強まり、少数派だったシオニズムの「パレスチナ帰還運動」に勢いを与えることになった。
つまり、ユダヤ人以外、誰もユダヤ人の面倒を見てくれることはなかったのだ。ヒトラーがヨーロッパのユダヤ人を根絶やしにしようとした時代に生き、それに気付いていた人が、いまでも世界中にいる。
元イスラエル首相のイツハク・ラビンは自らの回想録で、ベン=グリオンからこう命令されたと述べている。
1948年、アラブ人の町であるリッダ(現在はイスラエルのロッドという町で、国際空港がある)の数万人におよぶアラブ系住民を戦闘のさなかに家から追い出し、11マイル〔約18キロメートル〕先の国境の向こうのヨルダン川西岸まで歩かせるように、と(興味深いことに、この出来事は、1995年にラビンが暗殺されて以降に出版された回想録にのみ書かれている。それ以前の版では、軍の検閲によって削除されていたのだ)。
多くの場合、アラブ人の村や町は徹底的に破壊され、その住民が逃げるか追い出されるかしたのちに、基本的に地図から消し去られた。それ以外の場合、アラブ人の村の跡地にイスラエル人の新たなコミュニティが建設されることもあった。避難したアラブ人が故郷に帰ることは許されなかった。
高級官僚でのちに首相となるゴルダ・メイアは、パレスチナのアラブ人の苦境をナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人のそれになぞらえていた。
こんにち、民族浄化―お察しのとおり(イスラエル/パレスチナの話題なので)、パレスチナ人に起こったことは実際には民族浄化ではないと言い張る者もいるだろうが、これは予想の範囲内だ―は人道に対する罪と見なされており、ひとたびそれが起これば、世界からごうごうたる非難を浴びる。
実際、強制移住の亡霊はけっして死んでいない。いまもイスラエルの極右の一部(権力の座に就いている者もいる)の中で元気に生きていて、イスラエルを支配するウルトラ・ナショナリストのあいだで広く受け入れられているふしもある。
ところで、新生イスラエルから逃亡した、あるいは追放された70万人のパレスチナ人はどうなったのだろうか?
大半はトランスヨルダン(まもなくヨルダンに改名)、トランスヨルダン支配下のヨルダン川西岸、レバノン、シリア、エジプト、エジプト支配下のガザ地区に渡った。
また、近隣のアラブ諸国やその先へと向かう者もいた。ユダヤ人の歴史の皮肉な再現であるパレスチナ人の離散民―現在では「一九四八年の難民」の子孫が500万人を超えている―は、まさにユダヤ人のディアスポラのように、世界各地に散らばっている。
そして、ユダヤ人と同様、亡命したパレスチナ人の経験はけっして楽なものではなかった。
入国したアラブ諸国のほとんどで、パレスチナ人は難民キャンプに収容され、70年以上を経た現在も、多くの難民がそこで惨めに暮らしている。
キャンプによってパレスチナ人の苦境という問題が解消されることはなく、それに対する民衆の怒りが収まることもなかった。たどり着いた国でパレスチナ人は歓迎されず、しばしば軽蔑され、差別され、(たいていの場合)市民権と(多くの場合)基本的な権利を認められなかった。
受入国はイスラエルとの、あるいは受入国同士の紛争において、パレスチナ難民を政治的なサッカーボールとして利用した。
これが、パレスチナ人はグリーン・ラインの内側のイスラエルへ「帰還権」を有するという主張の根拠であり、和平プロセスにおいて最もやっかいな問題の一つでもある。
というのも、1948年の難民の生存者全員と、さらに重要なことだが、何百万人というその子孫が現在のイスラエル内にある故郷に帰ることが許されれば、それらの人数と、イスラエルとその占領地に住んでいるアラブ人の人口を合わせると、現在イスラエルで暮らしているユダヤ人の人口をはるかに上回ってしまうからだ。
そうなれば、イスラエルでユダヤ人が多数派である状態が終わってしまいかねない。要するに、「帰還権」はユダヤ人国家に終止符を打つ可能性があるのだ。
1949年、国連は難民とその子孫を保護すべく、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を創設した。UNRWAに登録した難民は、難民としての地位を父方の子孫へ引き継ぐことができる。
現在、UNRWAは約60カ所の難民キャンプで活動しており、これらのキャンプは、ヨルダン川西岸、ガザ地区、ヨルダン、レバノン、シリアで140万人を収容している。
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