住みたい習志野

市内の情報を中心に掲載します。伝わりにくい情報も提供して行きます。

かつてユダヤ人を見殺しにした世界、今度はパレスチナ人を見殺しにするのか。世界各地で「即時停戦」求める声

2023-10-23 23:33:21 | パレスチナ

(ANNニュース)

世界各地で“パレスチナ支持” 米がイスラエルに「地上侵攻延期」要求か

アメリカで

アジアで

ヨーロッパで

 

パレスチナのアラブ人の苦境とナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人との共通点

NHK出版「イスラエル 人類史上最もやっかいな問題」より

ユダヤ人国家は本当に必要なのか…パレスチナのアラブ人の苦境とナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人との共通点 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい

数年前、私は子供たちと一緒に、アムステルダムにあるアンネ・フランクの家を訪れた。

訪問後、すべてを理解しようと頑張っている娘(当時11歳)にこうたずねられた。アンネと家族はなぜ、アメリカでもカナダでもオーストラリアでも、「どこでもいいからほかのいい国」に行かなかったのか、と。

私は娘に、ヨーロッパで恐ろしいことが起こっているとはっきりわかってもなお、ヨーロッパのユダヤ人を進んで受け入れてくれる国は世界のどこにもなかったのだと説明した。

当然、娘は信じられない様子で、どうしてユダヤ人が安全に行ける国が世界に一つもないのかときいた。まさにそのときその場で、私はシオニスト意識の誕生を目の当たりにしたのだ。

というのも、ヒトラーが「最終的解決」を実行する前の数年間に、ヨーロッパのユダヤ人の多くに避難場所を提供する国が世界に一つでもあれば、言うまでもなくあなたが本書を読むこともなかっただろうからだ。

シオニストの企てが始まった理由はホロコーストではなかったとしても、その企てが成功した理由はホロコーストだったはずだ。娘の願いをかなえてくれる「いい国」が一つでもあったとすれば、移民もおらず存在理由もないイシューヴ(「ユダヤ人共同体」)は孤立した小集団のままで、いずれ縮小して消滅した可能性がきわめて高い。

だが、そうはならなかった。シオニストは正しかった。

(編集部注)

ユダヤ人を追い出そうとするナチスと、パレスチナにユダヤ人を送り込もうとするシオニストたちは利害が一致し、1933年「ハーヴァラ協定:ヘブライ語ではהֶסְכֵּםהַעֲבָרָה ヘスケム(協定)ハーヴァラ(移送)」を結び、パレスチナにユダヤ人を送り込むことにした。

つまりイスラエルを建国した極右シオニストとナチスは当初手をにぎっていたのです。

ところがナチスが政権を取るとユダヤ人への弾圧が強まり、少数派だったシオニズムの「パレスチナ帰還運動」に勢いを与えることになった。



つまり、ユダヤ人以外、誰もユダヤ人の面倒を見てくれることはなかったのだ。ヒトラーがヨーロッパのユダヤ人を根絶やしにしようとした時代に生き、それに気付いていた人が、いまでも世界中にいる。

元イスラエル首相のイツハク・ラビンは自らの回想録で、ベン=グリオンからこう命令されたと述べている。

1948年、アラブ人の町であるリッダ(現在はイスラエルのロッドという町で、国際空港がある)の数万人におよぶアラブ系住民を戦闘のさなかに家から追い出し、11マイル〔約18キロメートル〕先の国境の向こうのヨルダン川西岸まで歩かせるように、と(興味深いことに、この出来事は、1995年にラビンが暗殺されて以降に出版された回想録にのみ書かれている。それ以前の版では、軍の検閲によって削除されていたのだ)。

多くの場合、アラブ人の村や町は徹底的に破壊され、その住民が逃げるか追い出されるかしたのちに、基本的に地図から消し去られた。それ以外の場合、アラブ人の村の跡地にイスラエル人の新たなコミュニティが建設されることもあった。避難したアラブ人が故郷に帰ることは許されなかった。

高級官僚でのちに首相となるゴルダ・メイアは、パレスチナのアラブ人の苦境をナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人のそれになぞらえていた。

こんにち、民族浄化―お察しのとおり(イスラエル/パレスチナの話題なので)、パレスチナ人に起こったことは実際には民族浄化ではないと言い張る者もいるだろうが、これは予想の範囲内だ―は人道に対する罪と見なされており、ひとたびそれが起これば、世界からごうごうたる非難を浴びる。

実際、強制移住の亡霊はけっして死んでいない。いまもイスラエルの極右の一部(権力の座に就いている者もいる)の中で元気に生きていて、イスラエルを支配するウルトラ・ナショナリストのあいだで広く受け入れられているふしもある。

ところで、新生イスラエルから逃亡した、あるいは追放された70万人のパレスチナ人はどうなったのだろうか?

大半はトランスヨルダン(まもなくヨルダンに改名)、トランスヨルダン支配下のヨルダン川西岸、レバノン、シリア、エジプト、エジプト支配下のガザ地区に渡った。

また、近隣のアラブ諸国やその先へと向かう者もいた。ユダヤ人の歴史の皮肉な再現であるパレスチナ人の離散民―現在では「一九四八年の難民」の子孫が500万人を超えている―は、まさにユダヤ人のディアスポラのように、世界各地に散らばっている。

そして、ユダヤ人と同様、亡命したパレスチナ人の経験はけっして楽なものではなかった。

入国したアラブ諸国のほとんどで、パレスチナ人は難民キャンプに収容され、70年以上を経た現在も、多くの難民がそこで惨めに暮らしている。

 
難民キャンプは、パレスチナ人の急激な流入に対応しつつ、政府の役人が恐れていた事態、つまり、パレスチナ人が引き起こしかねない混乱の潜在的リスクを避ける手段だった。

キャンプによってパレスチナ人の苦境という問題が解消されることはなく、それに対する民衆の怒りが収まることもなかった。たどり着いた国でパレスチナ人は歓迎されず、しばしば軽蔑され、差別され、(たいていの場合)市民権と(多くの場合)基本的な権利を認められなかった。

受入国はイスラエルとの、あるいは受入国同士の紛争において、パレスチナ難民を政治的なサッカーボールとして利用した。
 
1948年12月、イスラエルとアラブ諸国の戦いが終わりを告げると、国連総会決議一九四号が採択された。1948年の戦争で生じた難民が、故郷に戻って隣人と平和に暮らしたいと望むなら、できるだけ早期にそれが許されるべきだとするものだ。

これが、パレスチナ人はグリーン・ラインの内側のイスラエルへ「帰還権」を有するという主張の根拠であり、和平プロセスにおいて最もやっかいな問題の一つでもある。

というのも、1948年の難民の生存者全員と、さらに重要なことだが、何百万人というその子孫が現在のイスラエル内にある故郷に帰ることが許されれば、それらの人数と、イスラエルとその占領地に住んでいるアラブ人の人口を合わせると、現在イスラエルで暮らしているユダヤ人の人口をはるかに上回ってしまうからだ。

そうなれば、イスラエルでユダヤ人が多数派である状態が終わってしまいかねない。要するに、「帰還権」はユダヤ人国家に終止符を打つ可能性があるのだ。

1949年、国連は難民とその子孫を保護すべく、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を創設した。UNRWAに登録した難民は、難民としての地位を父方の子孫へ引き継ぐことができる。

現在、UNRWAは約60カ所の難民キャンプで活動しており、これらのキャンプは、ヨルダン川西岸、ガザ地区、ヨルダン、レバノン、シリアで140万人を収容している。
 
(世界各地でパレスチナ連帯)

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸田自民に逆風?衆参補選は自民1勝1敗。所沢市長選では新人が自公推薦現職破る

2023-10-23 22:26:13 | 国政、県政

(読売新聞の記事より)

衆参補選は自民1勝1敗、徳島・高知で苦杯…与党内「年内の解散は困難だ」

衆参補選は自民1勝1敗、徳島・高知で苦杯…与党内「年内の解散は困難だ」

 衆院長崎4区、参院徳島・高知選挙区の両補欠選挙が22日、投開票された。衆院長崎4区(佐世保市の一部など)は自民党の金子容三氏(40)(公明党推薦)が初当選を決め、参院徳島・高知選挙区は野党系無所属で前立憲民主党衆院議員の広田一氏(55)が勝利した。自民は参院補選で敗北したほか、強固な保守地盤である衆院長崎4区でも苦戦し、与党内では「年内の衆院解散は困難だ」との見方が広がった。

(時事通信の記事)

衆参補選、徳島・高知は無所属の広田一氏が勝利

2次岸田再改造内閣の発足後初めての国政選挙となった衆院長崎4区と参院徳島・高知選挙区の補欠選挙が22日、投開票された。いずれも与野党一騎打ちの構図で、長崎4区は自民党が制し、徳島・高知選挙区は野党系無所属の広田一氏が勝利した。自民は選挙前の2議席を守れず1勝1敗。岸田文雄首相(党総裁)には痛手だ。

(毎日新聞の記事より)

泉房穂氏応援の新人が自公推薦現職破る 埼玉・所沢市長選

泉房穂氏応援の新人が自公推薦現職破る 埼玉・所沢市長選 | 毎日新聞

泉房穂氏応援の新人が自公推薦現職破る 埼玉・所沢市長選 | 毎日新聞

 任期満了に伴う埼玉県所沢市長選は22日投開票され、無所属新人の元衆院議員、小野塚勝俊氏(51)が、無所属で4選を目指した現職の藤本正人氏(61)=自民、公明推薦=と、...

毎日新聞

 

 任期満了に伴う埼玉県所沢市長選は22日投開票され、無所属新人の元衆院議員、小野塚勝俊氏(51)が、無所属で4選を目指した現職の藤本正人氏(61)=自民、公明推薦=と、無所属新人で介護福祉士の杉田まどか氏(45)を破り初当選した。投票率は38・80%(前回31・99%)、当日有権者数は28万7991人だった。

 小野塚氏は、市を中核市に移行させて保健所を設置することや、学校給食費や18歳までの医療費を無料にすることなどを公約に掲げ、「他の自治体では実現済みだ」と藤本市政を批判。自公推薦の藤本氏に対し「私は無党派。団体や組織の利益を考えず市民第一の政治ができる」と強調した。泉房穂・元兵庫県明石市長の応援も受け、支持を集めた。

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉のご当地グルメ「習志野ソーセージ」味わう 「伝承の地」でドイツフェア

2023-10-23 22:12:09 | 俘虜収容所

(産経新聞の記事より)

千葉のご当地グルメ「習志野ソーセージ」味わう 「伝承の地」でドイツフェア

日本のソーセージ製法の「伝承の地」として知られる千葉県習志野市で21、22の両日、「習志野ドイツフェア&グルメフェスタ2023」が開催された。第一次大戦で捕虜になった独軍兵のソーセージ職人から伝えられた製法がもとになったご当地グルメ「習志野ソーセージ」などが出店した。ソーセージが昨年度、県誕生150周年記念で「ちば文化資産」に選ばれて以降、初のフェアとなった。

大正時代、習志野市内では第一次大戦中に捕虜となった独軍兵ら約1000人が収容されていた。大正7(1918)年、栄養価の高い食品としてソーセージに注目していた農商務省(当時)は、独のソーセージ職人、カール・ヤーン氏(1890~1959年)らが、収容所内でソーセージを製造していると知った。そこで、同省から飯田吉英(よしふさ)技師(1876~1975年)が収容所に派遣され、ヤーン氏から製造方法が伝えられた。

「習志野ドイツフェア&グルメフェスタ2023」10月21・22日開催 - 住みたい習志野

習志野ソーセージの恩人、西郷寅太郎と飯田技師 - 住みたい習志野

(飯田吉英さんの著書)


(飯田吉英さん)

ソーセージ試製の好機

 大正初期欧州戦争は東洋に波及し、日本軍は独乙(ドイツ)軍を支那青島において攻略し、その捕虜を内地各所に収容した。その中、千葉県習志野俘虜収容所へ収容されたもののなかにソーセージ製造を業としたものが5人もあった。その中のカール・ヤン(Karl Yahn)というものが最もその技術に長じていたので、これを利用してその技術を獲得することが絶好のチャンスだと判断し、同所では頻(しき)りに牛豚を購入してヤンに解体加工をさせて、日常の兵糧(ひょうりょう)に供し、又貯蔵用の兵糧などを製造させていた。これを聞いた私は直ちに同所へ出張し、所長と面接して来意を告げたところ、大いに賛成されて次のような条件で製造試験を実施することを取り決めた。
(中略)
 習志野俘虜収容所長は陸軍歩兵大佐西郷寅太郎氏(大西郷の令息だと伝聞した)であって、痩身長躯(そうしんちょうく)容姿端麗の愛嬌ある外交官タイプの好紳士であった。曾(かつ)て独乙国へ駐在したことがあると語られた。
(中略)

西郷所長の人格

(習志野俘虜収容所長、西郷寅太郎)

 西郷所長とは私は全くの初対面である。前以(まえもっ)て許可を得たのでもなく突如訪問した。勿論(もちろん)官姓名の名刺を差し出して面会を願ったのである。所が所長は直ちに副官を通じて所長室へ私を招かれ、私の用務を詳しくきいて下さった。而(しか)しておっしゃるには、あなたのお話はまことに結構なことだからあなたの都合のよいように計画して実施して下さいと、即座に承諾なされて兵糧担当官たる竹内陸軍主計官、独乙語通弁(つうべん)山口陸軍通訳官を呼入れて会談、約1時間で試験製造日程をきめたものである。所長の即決には深く感激させられた。
 その後所長とは屡々(しばしば)会食も致し種々の話も聞いて、その談笑の間に従容迫まらざる※態度と親切丁寧であることに大いに敬服させられた。又折々戯談(ぎだん)をとばして人を笑わせるような話術にも長(た)けていることも知った。
※(「従容迫まらざる」⇨「悠揚迫らざる」が正しい?)

テレビで西郷寅太郎(西郷隆盛の息子で習志野ドイツ人俘虜収容所長)の生涯を紹介 - 住みたい習志野

習志野はソーセージ発祥の地って本当? - 住みたい習志野

ソーセージの製法は「秘伝」の技術だったが、マニュアル化し、だれでも作れるようになった。その画期的な変化が起こったのが習志野

H氏 ソーセージの製法はドイツでも、親方(マイスター)に弟子入りして、永年徒弟修業してやっと教えてもらえる「秘伝」になっていました。日本人が真似して作ろうとしても、形は同じように出来ても食べられたものではなかった。わずかに大木市蔵という人が横浜で、何とか国産ソーセージを作ろうと努力していましたが、それでもなかなかいい物が出来なかった。ところが、習志野で農商務省畜産試験場が、ドイツ兵からこの秘伝を教えてもらったことによって、日本中の肉屋が、別にドイツに行ったわけでも、マイスターに弟子入りしたわけでもないのに、ソーセージが作れるようになった。その画期的な変化が起こったのが習志野だ、と申し上げているのです。

大木市蔵さんのソーセージの方が習志野より4ヶ月先?

編集部 横浜でソーセージの修業をした大木市蔵さんという方は千葉県横芝の出身で、そちらこそソーセージの元祖だ、という声もあるようですね。

H氏 大木さんが横浜に出て、マルティン・ヘルツに付いてソーセージの修業をした。そしてやっと完成して、「第1回神奈川県畜産共進会」に出品したのが大正6年(1917)11月1日だった、というので、現在11月1日を「ソーセージの日」としているそうです。翌大正7年2月、畜産試験場の飯田吉英(いいだよしふさ)技師が習志野で、カール・ヤーンから秘伝を聴き取るのですが、それより4ヶ月ほどこちらの方が先だ、ということになりますね。

大木さんという人はたいへん人格者で弟子の面倒見もよく、現在も続くハム・ソーセージのメーカーの中には大木さんの恩恵に与っている所が非常に多い。我が国食肉加工業の恩人であることは間違いないのですが、しかし、この大正6年のソーセージが完成品だったかどうかというと、そこは疑問が残ります。大木さんは続く大正8年(1919)、第1回畜産工芸博覧会で銀賞を受賞、大正13年(1924)には銀座に日本初のハム・ソーセージ専門店を開くのですが、大正8年の博覧会には批評が残っていまして、「ソーセージは概して、原料肉の截切及び填充法、そのよろしきを得たりといえども、風味色沢(しきたく)に於て欠陥を有するもの多し。」と書いてあります。風味、色つやに欠陥を有するソーセージを、あなたは食べてみたいと思いますか? 要するに、まだまだだったのです。ところが、この博覧会の後、進境著しく、5年後には銀座に進出している。一気に開花したわけですね。

この厳しい批評をした審査員が習志野でドイツ兵から「秘伝」を習った飯田技師だった。

実は、上の批評を書いた審査員が、習志野でドイツ兵カール・ヤーンから秘伝を習った飯田技師なのです。


その飯田技師が習志野の「秘伝」をサジェスチョンして、大木さんのソーセージ作り、一気に花が咲いた?

私の想像に過ぎませんが、この時、飯田技師から大木さんに、「私も習志野でドイツ人から聞いたのだが、ここはこうやってみたら…」というサジェスチョンがあったのではないでしょうか。永らく苦労してきた大木さんだからこそ、一つヒントを聞けば「ああ、なるほど」と、一気に花が咲いたのではないか、と想像してしまうのですが、証拠はありません。しかし、大木さんをもって我が国ソーセージの元祖として尊敬している方々は、飯田技師からサジェスチョンを受けたのではないかというと不愉快に思われるかも知れませんね。

100年前の味復元、「習志野ソーセージ」は永久不滅!?(NIKKEI STYLE) - 住みたい習志野

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人名義のクレジットカード使用か 市原警察署の巡査を詐欺容疑で逮捕

2023-10-23 21:45:21 | 人権、環境

(チバテレニュース)

他人名義のクレジットカード使用か 市原警察署の巡査を詐欺容疑で逮捕

 他人名義のクレジットカードを使って商品をだまし取ったとして市原警察署の(36)の巡査の男が逮捕されました。

 詐欺の疑いで逮捕されたのは市原警察署地域課の巡査 浅岡高志容疑者(36)です。

 警察によりますと浅岡容疑者は2023年5月、県内の雑貨店で買い物をした際、他人名義のクレジットカードを使い、タオルとマスクをそれぞれ1点、販売価格あわせて2900円を騙し取った疑いが持たれています。

 浅岡容疑者は調べに対し、「私がやったことに間違いありません」と容疑を認めているということです。

 9月15日にクレジットカード会社から「女性名義のクレジットカードに不正利用が認められる」と情報提供があり、警察が被害店舗の防犯カメラなどを捜査し、浅岡容疑者の関与が浮上しました。

 警察は浅岡容疑者の余罪の有無についても詳しく調べを進めています。

 

交通事故でうその調書作成、習志野警察署員が書類送検 - 住みたい習志野

(千葉日報の記事)

千葉県警の元警部、6回目の逮捕 8年前、女性宅に侵入し性的暴行した疑い

(JIJI.COMのニュース)

巡査部長を書類送検 部下に銃口向ける―千葉県警:時事ドットコム

(読売新聞の記事)

警官「自分をコントロールできなかった」…官舎公益費248万円を着服

(動画:長崎・西海市ストーカー殺人事件。被害届受けず慰安旅行)

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダンシング・オールナイト」(もんた&ブラザーズ)のもんたよしのりさん死去

2023-10-23 08:02:36 | エンタメ

(ANNニュース)

「ダンシング・オールナイト」もんたよしのりさん(72)死去 大動脈解離で

 5人組バンド「もんた&ブラザーズ」として「ダンシング・オールナイト」のヒットなどで知られるシンガーソングライターのもんたよしのり(本名・門田頼命=かどたよしのり)さんが、大動脈解離のため亡くなったことが分かりました。72歳でした。

 所属事務所は22日、もんたよしのりさんのブログで「あまりにも突然のご報告となりますが、10月18日朝、もんたよしのりは大動脈解離で永眠いたしました。72年の生涯でした」と発表。

「あんなに元気でいつもパワフルだったもんたが、天国へ向かうなんて、今もまだ信じられない気持ちでいっぱいです。もんたと共に過ごした長い年月が、まるで走馬灯のように蘇ってきます」と追悼の思いをつづりました。

40カ国以上旅…パプアニューギニアでバンドも

(サンスポの記事より)

【関西レジェンド伝】もんたよしのり(4)40カ国以上旅…パプアニューギニアでバンドも

【関西レジェンド伝】もんたよしのり(4)40カ国以上旅…パプアニューギニアでバンドも

 自分らしく生きたい。そんな思いで、1985年から、バックパック背負って旅に出るようになった。最初はタイに向かった。ミャンマーとの国境近くの村へ。ホテルなんかな…

サンスポ

 

 旅していると、いろんな国のミュージシャンと知り合った。ニュージーランドでバンドをつくってコンサートをしていたこともあるよ。パプアニューギニアのミュージシャンともバンドを組んだ。俺のオリジナル曲を彼らが演奏して。たばこ会社が途上国に攻勢をかけていた頃で、販促のために何万人も集まる屋外コンサートを主催する。そこでメインを張る人気バンドだった。会場の外もすごい。遠くの村から何日もかけて歩いてきた人たちがいて、チケットがないから柵の外で見てるんや。大音量に興奮しすぎて暴動になる。警官が発砲していたよ。

 40カ国以上に行ったけど、印象に残っているのは、1996年にマラリアにかかったことやな。パプアニューギニアに行って、現地で知り合ったレコード会社の人に誘われ、レコーディングのためオーストラリアのブリスベンに向かう飛行機の中で震えが止まらなくなった。なんとかブリスベンに着いて錠剤をもらったので、とりあえず3錠飲んだ。すると、ものの20分でケロッと治ったんや。あとで聞いたら、1週間に1錠しか飲んだらいけない薬だった。

(スポニチの記事より)

高校時代に意図的に声をつぶして手に入れたハスキーボイス

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/10/22/kiji/20231022s00041000589000c.html

独特のハスキーボイスは高校時代、意図的に声をつぶして手に入れた。

大橋純子(73)とのデュエット曲「夏女ソニア」や、作詞作曲した「ギャランドゥ」を故西城秀樹さんに提供し、西城さんの代表曲の一つになった。84年のバンド解散後、ミュージカルや映画などにも出演し俳優活動も行った。

(もんた&ブラザーズ ダンシング・オールナイト)

(大橋純子さんと「夏女ソニア」)

(もんたさんが楽曲を提供した西城秀樹さんの「ギャランドゥ」※)

※ちなみに「ギャランドゥ」は、もともとはスキャットの類であった。つまり「ギャランドゥ」の語そのものに特に意味があったわけではない(造語である)。同曲のヒット後、西城秀樹がテレビ番組で水着姿を披露、へそ下の濃い毛が話題となり、これを念頭においてへそ下の剛毛をギャランドゥと呼ぶ言い方が深夜ラジオを通じて広がった、とされる。発信者は歌手の松任谷由実。

(スポニチの記事より)

もんたさん、谷村さん、財津さん…昭和のスターが相次ぎ天国へ ネット「昭和がどんどん遠ざかっていくな」

相次ぐ芸能界の訃報に、同じ世代を生きた人たちのSNSも衝撃を隠せない様子だった。
「独特のハスキーボイス 夜もヒッパレでカバーしてた時のもんたさんめっちゃカッコよかったなぁ 財津一郎、谷村新司さんに続いてもんたよしのりさんも亡くなられた...ご冥福をお祈りします」
「昔は分からなかったけど『時代が終わっていくのを見る』ってこういう事言うんだろうな…」
「昭和のスターがまたひとり 寂しいね」
「谷村新司さん、もんたよしのりさんとこの辺の世代が旅立っていく時代に突入してしまった。時の流れは残酷だ」
「もんたよしのりさん、ご逝去、、谷村新司さん、今月は昭和~を彩った人達が旅立っていく」「昭和がどんどん遠ざかっていくな」。
過ぎゆく昭和を実感する人たちの声があふれた。

 

谷村新司さん逝く - 住みたい習志野

ピアノ売ってチョーダイ!俳優の財津一郎さん亡くなる - 住みたい習志野

「音楽のまち習志野」が泣いている - 住みたい習志野

「音楽のまち習志野」が泣いている - 住みたい習志野

(南田是也さんの投稿です)「音楽のまち習志野」が泣いているタイのスラム街育ち…“子どもオーケストラ”貧困からの脱却目指す日本で演奏会も内容は動画...

goo blog

 

 

 

コメントをお寄せください。


<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする